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夏休み
ひまわりみたいに素直に太陽に向かえる高校生なんているのだろうか。私は目を逸らして、地面ばかり見て歩く。部室に入る前に制汗スプレーをシュッー。
田中くんは部室で受験勉強ではなく、その反動なのか好きな絵を描いていた。ゴッホを真似た風景画だった。
ぺたぺたと部費で買った油絵の具を使いつくそうとばかりに塗りたぐる。
美術系の受験は大学によってさまざまだ。田中くんの本命はデッサンもある。試験もあるし面接もある。
私は、まだ迷っていた。夏休み前の進路調査票を白紙で出したから、担任から呼び出しを食らった。
「悩んでいるだけです。すいません」
横幅のある女性の担任は、
「そう」
と困ったように笑った。学期末のテストがクラス一番の生徒がこんなので、先生も対処の仕方がわからないのだろう。先生のことはずっと好きじゃない。頓珍漢に、偏差値だけで国立大を私に勧める。
「そこは絶対行かないと思います」
と言ったら涙目になってしまって、申し訳ない気持ちになる。先生としては先生の点数を上げる駒が欲しいに決まっている。それにはなれない。美術部部長だからではない。私はきちんと自分の人生を考えたいのだ。まずはそれを先生に理解してもらう努力を私は怠った。
ある意味、田中くんは素直に生きている。周囲にも認知されながら。それってすごいことなのだ。絵を描いているイコール変人なのではない。田中くんが変人なのだ。そして、堂々と変人道を突き進んでいる。当然に、真っ当に。私にはどれもできないことだ。
「部活に戻ります」
私は席を立った。
「うん。頑張って」
あまりメンタルが強くなさそうな先生が薄毛になったら私のせいだ。
私は部室で石膏のデッサンを続けた。久瀬先生が家から別の胸像を持って来てくれたから、波のような布をまとった騎士を描いた。
「乳首が描きたいのに」
私は言った。
「高尾、俺のはどうだ? 今ならもれなく変な長い毛も生えてるぞ」
久瀬先生は許可なく私を盗み見てデッサンをするようになった。椅子に座っているのに椅子を描かないから中腰の滑稽な私。
「結構です」
服を着ているからいいのだけれど見られると悪寒がする。服の繊維をすり抜けて、久瀬先生は私の裸体を見ている気がする。
「田中、予備校はいつまで?」
久瀬先生が聞く。
「8月の上旬です」
「じゃあ、後半はうちの別荘で合宿をしよう。美術部の」
久瀬先生の提案を喜べない。
「お風呂にカメラ仕掛けて私の裸を盗撮するつもりですね」
私は言った。
「妙案だ」
がはははっと久瀬先生とは対照的に田中くんは浮かない顔をしていた。
「予備校が怖い?」
聞いてしまった途端、まずいと思った。
「うん、ちょっと。僕よりもうまい人はたくさんいるから」
「田中くんでもそんなふうに思うんだね」
「思うよ」
スマホで隠しカメラを検索する久瀬先生を横目に、私たちは紙パックのバナナオレを飲んだ。同じものを飲んでも田中くんに近づけないのはわかっていた。
学校が好きなわけでもないのに、こうして毎日やって来て、でもずっとじゃない。だから今が大事なのだ。
久瀬先生の絵を見て感心する田中くん、教えを乞う田中くん、頷く田中くんをずっと見ていることはできない。
「じゃあまた明日」
と校門で別れる。これもいつまでなのだろう。私たちしかいないから、どちらかが引退と言ったら美術部はそれまで。受験まで? 合否がわかるまで?
クラスが同じでも美術室でなければ私と田中くんの距離は微妙だ。
駅前で父と出くわして、一緒に帰った。田中くんがお父さんならずっと一緒にいられるのに。そうか、家族ならいいのかなんて考えたりした。恋人は嫌だ。親族に一人はいる変わり者くらいの距離がいい。
夜、相変わらず私は勉強ばかりしていた。それなのに将来が決められない。
「今の子はわがままだね。でも、それが許されるんだから浪人したっていい」
と言ってくれたのはおじいちゃんだけだった。
ラジオの人生相談は今日も重ため。
『私はそこそこかわいいのですが、私の好きな男の子はどうやら担任の男の先生が好きみたいで。私はどうしたらいいでしょうか?』
諦めるしかないだろう。そこで頑張れという大人はいない。そういうどうしようもないことが世の中にはいくつ存在するのだろう。私が田中くんを想う気持ちもそれに属する。
田中くんは予備校に行く前日も学校に来た。
「田中くん、あっちではビジホに泊まるの?」
私は聞いた。
「うん。9時から5時までが予備校」
「食事は?」
「適当にコンビニとか。たったの一週間だよ」
「そう」
頭の奥では言いたかった。遊びに行ってもいい? って軽い感じに。嘘をついて、そっちに用事があるから会おうよって。
言えないどころか、空回りして、今日はろくに会話もできなかった。
友達に愛想笑いならできる。あれだって、嘘の仲間だ。現に夏休みに入れば会ったりしない。
田中くんだから言えなかったのか、それとも私はへたれなのだろうか。
押しかけ女房とか同衾とか房事とか、そんなことばかりをスマホで調べて、田中くんは絵のことしか考えていないのに、私はどうしてこんなに脱線しまくりなのだろう。
田中くんがいない部室で一週間、デッサンを続けた。先生が大きくはない妖精の全身像や猫のレプリカまで持って来てくれた。
「かわいくない顔。本物の猫のほうがかわいい」
「ふてぶてしい猫もかわいいよ」
と久瀬先生は微笑んだ。
私はどっちなのだろう。本当は性格も悪いのかもしれない。せめて田中くんにはいい顔をしていたい。
予備校で美人の絵のうまい人に出会ったりしないのだろうか。
一人でぶつぶつ呟きながら石膏を描く。その私を久瀬先生が描く。今頃、コンクールに出した絵が審査されている頃だろうか。運動部と違って美術なんて勝ち負けが曖昧だ。野球部は夏の試合に負けてもう引退。陸上部も。
吹奏楽の音は聞こえてくる。
田中くんが部室にいないだけでこんなにも悲しい。私ではない裸婦を描いているのだろうか。そんなことに嫉妬して人生で初めて胃薬を服用した。
「まひるが元気ないとおじいちゃんも悲しい」
祖父がいなかったら、悲しくて心に変なものが溜まっていったと思う。夏休みだから兄が帰省して、おじいちゃんの医院で助手みたいなことをしていた。それが嫌だったけれど、兄自身はそんなにイヤな人ではなく、部活の帰りが遅いだけでやたらとメッセージをくれた。
『遅い。どこだ? 迎えに行く』
「過保護すぎるんじゃない?」
私だけではなく母も言った。
「心配じゃないか」
ちょっと敏感な兄は気づいているのかもしれない。私は私が思っている以上にいやらしい体つきで、それで男の人を変な気持ちにさせる。田中くんは別として、久瀬先生のは執着と言っていい。今日も嫌なのに先生が私を描くから、私も先生を描いた。目が合うと久瀬先生は微笑んだ。愛っぽくて嫌だった。家の近くで変出者が出たから兄としてはいろいろ心配なのだろう。
「明るいうちに帰るようにするわ」
私は言った。
「うん」
と頷いて、兄は私の友達の漫画を読みながら、
「うわっ、百合じゃん」
と笑った。
「親には内緒ね。ここの背景私が描いたんだ」
「まひるが描いたと思うとそこだけうまく見えるな」
「それ、出版社の人にも言われたらしいよ」
苦手なのは兄ではなく両親だと悟る。
私もここを離れよう。進学は親から離れる絶好のチャンスだ。
「亮、まひる、夕飯よ。チキンカツ」
「はーい」
と答えながら、連日、兄の好物ばかり得意そうに作る母から離れようと決意した。
予備校の短期集中コースから帰ってきた田中くんは腑抜けになっていた。
「みんな、めちゃくちゃ上手で。井の中の蛙の気分」
去年はそんなことなかったから、彼なりに受験のプレッシャーはあるようだ。
「いや、田中くんも上手いでしょ?」
私が部室で猫を描いていたから、仕方なく田中くんもそれに付き合う。
「びっくりしたのは高一の女の子ですごいのがいて。彼女は受験コースじゃなかったんだけど自由時間が一緒になってね。宮城県の高校って言ってた」
くすっと笑いながら、
「田中くんて、顔じゃなくて絵が上手いとかで惚れそうね」
と私が言ったら、
「そうかも」
とうな垂れた。
気に入らないから私は制服を脱いだ。これでは気持ちが離れそうな男を体でつなぎとめるダメな女みたいだ。
「描いて」
「うん」
互いに脱いだ状態で描き合うことはなかった。それが礼儀のような気もした。私を見て、描くことに集中して。この時間が永遠になればいい。
田中くんが私以外の女の子のスケッチを描いているのは嫌だったが、予備校の成果を見せに久瀬先生の家に行ったときに彼女の顔を見る羽目になった。田中くんは嘘偽りなく描く性分だから、丸い顔で髪は肩までのボブで、絵でもかわいくない女の子だった。その丸さなら私よりムチムチなのではないだろうか。それは田中くんに聞けなかった。
「このデッサンはいいね。自分の左腕?」
久瀬先生が先生の目になる。
「はい」
予備校で描いただろう絵、ホテルで直しただろう絵、一人で描いた絵が私にも手に取るようにわかった。気分で画力がばらつくなんて田中くんもまだまだだ。そのためにもっと勉強したいと彼は望むのだろう。
「さあ諸君、来週からは僕たちの合宿だよ。忘れ物のないように」
久瀬先生は男なのに荷物が多そうだ。先生によれば、別荘にイーゼルなどは揃っているから、私は絵具と着替えくらいしか持って行かないだろう。田中くんは身ひとつで来そう。合宿よりも心はまだ予備校にあるのだろうか。ふうっとため息をつく。
絵と恋に悩む田中くんが本物の画家っぽくて嫌だった。
両親の了解は得ていたので、兄に、
「合宿なんてだめだ」
と制止されても今更である。
「なんで?」
「まひる以外は男なんだろう? 危険だ」
「同じ部の田中くんと顧問の先生ね」
「絵を描いてる男って信用できない」
それは偏見だ。でも一般論のような気もした。
「下心がある人は少ないよ」
田中くんは裸婦を見ながらでも他の女の子が気になるような男の子。兄は田中くんを知らないからおかしなふうに想像する。私は彼とはもう二年と少しの付き合いになるから、ありのままの田中くんしか頭の中で動かせられない。部活だけの付き合いでも人間性はわかる。だから断言はできる。田中くんは絵を描くためにそれなりに生きる人だ。おかしな道にそれることはない。学校では教科書に隠れて絵を描けるけど、刑務所ではそうはできないことを知っている。面倒でも俗世にいなければならない。
兄が考えている艶っぽいこと、私の裸を見ても動じない田中くんが私に好意があるなんて夢のまた夢。
久瀬先生のクラシックカー形がかわいい。
「父のなんだけど60キロ以上は出ない安全仕様だ。いざ、出発」
と発進させる。
「先生、どうやって窓開けるの?」
私は聞いた。
「このハンドルを回すんだよ」
と田中くんが教えてくれる。
「詳しいのね」
「見ればわかるだろ、普通」
一般道でも他の車に追い越された。
銀の灰皿らしきものが後部座席にまでついている。ギザギザしている部分はなんだろう。横に座る田中くんを見れずに数秒ごとに変わる窓外ばかり目で追った。
別荘は山の中だった。
「すげぇ」
田中くんが自分の荷物も運ばずに自分のスケッチブックを広げる。
「しばらくいるんだから」
と先生も言ったのに、
「描きたい今が描きどき」
とエントランスに座り込んでしまった。そういうところをすごいなと思えるのは私が美術部だからだろう。兄だったら完全にやばい奴と距離を取る。
「高尾さん、部屋案内するよ」
久瀬先生が鍵を開けて言った。
「はい」
古いけど、きれいな家だった。
「管理してくれてる人も高齢だから、気になるならそこの掃除用具使って」
「はい」
私はあてがわれた二階のゲストルームの床だけ拭いた。なぜか枯れ葉が一枚ベッドの下から出てきた。それをベランダから田中くんに向かって投げたのに、明後日の方向に飛んで行った。
別荘にまで画集が並んでいるのはさすがだなと思った。それらを見て過ごしたかったのに、私のTシャツ、ハーフパンツ姿に高揚した久瀬先生にそそのかされて夜にはそのままデッサンを、次の日にはついに素っ裸になってしまっていた。
「僕だけの高尾さんだったのに」
田中くんにそんなこと言われる筋合いない。
「田中くん、独り占めはよくない。うわ、思っていたよりもすごいな」
久瀬先生は手に汗をかくのか、幾度もタオルで拭った。私は、ただ部屋で動かぬように裸で立っていた。庭に出てもよかったけれど、絵のためとはいえ人に見られたら犯罪になってしまう。この歳で露出狂のレッテルを貼られたら生きづらい。
山なのに、近くの山も近い。一番高い山は正しい山の形をしている。
久々につけたのかエアコンの匂いは臭いし、絵の具の匂いも、どちらかの男の人の匂いもする。夏の香りもほのかにする。
田中くんは現在進行形で努力をしている。久瀬先生もかつてはしたのだろう。運だけで残れる世界ではない。私はもっと明確に生きたい。これだけの仕事をしたからこの給料みたいな。恐らく、二人とは違う人生を歩むのだろう。憧れは当然ある。だからこうして今だけでも近い場所で見ていたい。一流の本気を。
「ご苦労様。モデルも疲れるだろう?」
久瀬先生は休憩を取るが田中くんは描きっぱなし。体力も絵描きには必要だ。そんなふうに床にスケッチブックを置いて膝を立てて子どもみたいな姿勢で描けるのは田中くんだけだよ。
夕飯は久瀬先生がカレーを作ってくれた。
「料理するんですね」
田中くんが意外そうな顔をした。
「腹が減ったら彫刻が進まない。苛々して失敗したら元も子もない。搬入も仕事だしね。だから若いうちにカレーだけ覚えたんだ。レトルトでもいいけど食べ続けると味気なくなるから」
「キーマカレーですね。すごくおいしい」
私は言った。
「夏だからトマトをすって入れたんだ。オクラも好きなんだけどね。夏のカレーは元気になるよね」
「ヨーグルトの味がする」
田中くんは味覚音痴ではないらしい。
「スーパーに売ってるスパイスを入れるだけで劇的においしくなる。冷凍もできるし、こんなに便利な食べ物はないよ」
「久瀬先生、これを食べたらもっとお腹が出るから私もう脱ぎませんからね。それから、いい加減私たちに絵の指導もしてくださいよ」
今日は描いているばかりで田中くんの絵すら見ていない。
「高尾さんは進路を先に決めないと。受験に必要な力は大学や学科によって違うから」
久瀬先生の言うことはもっともだ。
「高尾さんは頭がいいんだから推薦は? 先に作品を提出するところもありますよね?」
田中くんまで私を楽な道に進ませようとする。私は、苦しみたいのだ。茨の道を歩む田中くんのように。
大学の4年、院に進んだとして2年。好きに絵を描けるのは田中くんもそれまでかもしれない。学生でない人生が大人になれば増えるのだろう。学生時代に有名になれても、続かない人が多い。スランプは誰にでも訪れる。久瀬先生だって、そのルックスを持っていても、家族が金持ちでも、自分のお金ぐらいは捻出しようと先生をしている。
盛り返すために私が必要だったのだろうか。私の体が、裸が。妙に久瀬先生が活き活きして見える。
「後片付けは私がしますね」
「ありがとう」
家でも洗い物はするほうだ。きれいになるから好きなのだ。
夜に絵を描く時間を与えられても、私は有名な絵の模写ばかりしてしまう。このままでは山に裸になりに来ただけの高三の夏になってしまう。田中くんと横並びにはもうなれない。
二人は私の実物ではなく、想像で私を補正する。そう、そのまま少し痩せさせて。
リビングで、大きなテレビもあるのに電源を入れず、静かに絵に集中する。ほうら、これこそ合宿だ。兄よ、私は美術部なの。
田中くんも久瀬先生も自分で絵に描いた私をきれいだとは思わないのだろうか。そんな魔法があればいいのに。
「じゃあ先にお風呂に入って休みます。おやすみなさい」
二人の絵描きは手を振っただけだった。山の夜は涼しくても水分だけは取ってほしいものだ。
お風呂に鍵はあった。部屋にはない。
私の隣りが田中くんの部屋だった。久瀬先生は一階。
女だからって襲うことは可能だ。もう互いの体は見ている。しかし、そういうことではないのだろう。私は人間として性交に興味があるだけだ。
当たり前だけれど、田中くんが私を襲うこともない。初めてのベッドでも眠れるのは人間として順応力が高いのだろうか。鳥の甲高い声が朝方聞こえた。
翌日もカレー、デッサン、カレー、デッサン。夏でも裸になるときは鳥肌が立つ。
芸術家だけれど二人は偏食ではない。田中くんだって、生魚以外ならなんでもいいのに、ここでは出されたものを食べるのみ。
この二人はいろんなことに飽きないのかもしれない。私を見る。絵を描く。カレーを食べる。
下乳が汗ばんで、そんなことを二人には申告できず早く休憩にならないかしらと思っていると窓外から視線を感じた。庭も広いけれど、横の家との距離はそんなにない。窓をバンバンと叩く目の血走ったやばそうなおじいさんがいて私は思わず手で胸を覆った。
「藤井明路だ」
田中くんは私の体を隠そうともしてくれない。そのスケッチブックを貸してくれたら上も下も隠せるのに。
「隣に住んでるんだ」
と久瀬先生は窓の引き戸を開けた。
「誰?」
私はロンTだけ着て田中くんに聞いた。
「洋画の巨匠だよ」
田中くんの視線はおじいさんから動かない。よたよたしていて、足腰が弱々しいのに、目はまっすぐ私を見ていた。杖で私を差して、
「君を描きたい」
と聞き取りづらい、くぐもった声でおじいさんは言った。
「私ですか?」
「いいですよ。煮るなり焼くなり、裸でもご自由に」
私が答えるよりも先に久瀬先生と田中くんが了解してしまった。
「嫌です。二人に見せているのだって嫌なのに」
私ははっきりと断った。
「高尾さん、あの藤井明路だよ」
久瀬先生が取り乱す。
「もう筆を折ったのかと」
田中くんのほうがしっかりと声にした。
「描きたいものがなかっただけさ。そちらのお嬢さんは瑞々しい。絵に残すのが画家の使命だ」
命令されたわけではない。促されたのでもない。田中くんが羨ましがるからでもないし、久瀬先生に頭を下げられたからでもない。
でも次の日から私は藤井明路の前で裸になった。ひとつだけ譲らなかったのは田中くんを同行させること。
「足が悪いし、自分の家のほうが勝手がいい」
とおじいさんが譲らないから。
平屋の大きなお家だった。別荘だったけど、絵を描かなくなってからはずっとここで生活をしているそうだ。
巨匠というわりには小柄で、遠近両用のメガネをかけているし、スリッパではなく家の中でもスリッポン。しかもそれが絵具で汚れていても気にしない。
「そこに」
オレンジのベロア素材の一人掛けソファに私は体を預けた。裸のまま座るとお腹の下っ腹がぴょこっとなって嫌なのだ。だけれど、巨匠のお願いなので無下にもできない。
「体の力を抜いて。もっと重心を下に。もっと。そう、そのまま」
まだ背筋を伸ばしたほうが肉がむにっとならずにすむのに、気だるい感じに座った。腕を組むことは許された。巨匠の前で素っ裸で腕組みって、なんだか偉そう。
ささっと描き出した巨匠のうしろで田中くんは私ではなく、木炭の先を見ている。どんな私が描かれているのだろう。
藤井明路のことは全く知らなかった。昨晩、久瀬先生に画集を借りたけれど、焼き魚とか鍋とかをおいしそうに描く人だと思った。それよりも幼い女の子を描いた絵が高値で売れて有名になったらしい。と同時に、ロリコンなどの噂も絶えないと久瀬先生と同じようなことがネットには書かれていた。尾ひれがつくというよりも、同じ人が書き込んでいるのかもしれない。疑心暗鬼になって田中くんを同行させたのではない。田中くんのためになると思ったから。田中くんが有名になってもそんな噂でへこたれないでほしい。
年齢は77歳。さっさっさという巨匠が描く筆先の音だけが私に聞こえる。彼はもう自分の手の震さえ絵描きの一部にしているようだった。表に出さないだけで描かなかったわけではないだろう。
歳を取ってもどうしてそこまでの創作意欲が湧くのだろう。メガネを動かしながら私を凝視する。この人にとっては私が腹黒でも将来に悩んでいようが無関係なのだろう。
田中くんも描き始めた。
ああ、わかっていたけれど私はそっち側になれないのだと痛感。なりたいわけでもないし。
休憩時間にはお手伝いさんが紅茶とカロリー高そうなスコーンとかマドレーヌを運んできてくれた。
「たくさん食べてね」
巨匠の口調は優しく、私は彼に借りた手触りのいいガウンのようなものを羽織ってそれらを食べた。
田中くんの質問にも、
「うん、うん」
と丁寧に答えていた。私は焼き菓子にばかり目が行く。大好きなカヌレもあった。ねちょっとしていて好きなのだ。ハチミツの味がしっかりとする。
「うまっ」
私の独り言なんて誰も聞いていない。田中くんは巨匠から絵筆をもらって喜んでいた。そういうものを扱う会社なら絵描きと普通の人の狭間にいられるのだろうか。田中くんが一生使う筆を作ったり輸入するのもいいな。同じ方向へは進めない。だけれど縁がつながっているといい。赤い糸じゃなくていいから。
夏だから暗くなるのは夜の7時すぎ。それまで巨匠はずっと私を描いた。田中くんも。私はだらんと座りながらも精一杯お腹を引っ込めた。ねえ田中くん、どうしたらあなたは私を好きになるのだろう。それこそ魔法が必要だ。絵を描くことにも田中くんから好かれることも他力本願。見ているだけではだめなのだ。伝えないと。田中くんが私を見るから、私を描くから言えなかった。彼の邪魔はしたくない。
久瀬先生の別荘に帰ったら久瀬先生がそうめんとハンバーグを作って待っていてくれた。カレーの残りでそうめんの汁を作ったけれど、田中くんにはこれでは足りないと思ってハンバーグを足したに違いない。私は久瀬先生のようにわかりやすい人が好きだ。嘘も思考も手に取るようにわかる。
「今日はどうだった?」
と私と田中くんに聞く。
「すごかったですよ。見る、描くのテンポが一定で。見ながら描けちゃうんですよね、手は震えているのに」
田中くんのつたない説明でも、
「そうかぁ」
と久瀬先生が目を輝かせる。その年齢の久瀬先生を高揚させる巨匠はよっぽどすごいのだろう。美術界の面倒臭そうなごたごたに巻き込まれて、同じころに奥さんを亡くして描かなくなった。描けなくなったのかもしれない。
実際に、その夜から久瀬先生は自室で彫刻のための木をトントンガリガリ。うるさいと感じないのは私も美術をかじる人間だからかもしれない。
田中くんもだった。部屋から明かりが漏れているのがわかったのはドアのひし形の曇りガラスのせい。
そのドアを私は開けられなかった。田中くんが絵を描いていることがわかる。私の絵だろうか。この庭の続き? それとも空想?
追いつけない背中を見ているのが辛くて目を逸らして、夢まで変えた人間がいるのだろうか。ちゃんと生きたい人間が夢を追ってはいけない世界なんて正しくない。理解していても私は田中くんと同類にはなれない。並んでいたなんておこがましい。
次の日から、田中くんはもう同行してくれなくなった。自分の絵に集中したいのだろう。
久瀬先生もその音で存在を知らせるだけなので、私は朝食を巨匠の住まいで一緒にいただいた。
白米、生ワカメの味噌汁、納豆と大根おろし、ポーチドエッグ。私はその手の朝食が大好きだ。
「おいしい」
私にもお手伝いさんが濃いお茶を淹れてくれる。
「山崎さん、エビのふりかけがあっただろ? 海苔の佃煮も出してあげて」
「はい、ただいま」
巨匠の家で食べるものはちょっと高そうで、どれもおいしかった。廊下には小さな絵が数点あるだけで、お金持ちの家という感じはするけれど画家の居住場所としては色が乏しい。
窓から見える山がきれいだからいいのだろう。
お手伝いさんは近所に住んでいる山崎さんというおばあさんで、巨匠は奥さんが亡くなっているし山崎さんも旦那さんを亡くしていたが、色恋に発展しない二人がやけに清らかに見えた。
私が食器を流しに運ぶたびに、
「ありがとうね」
と山崎さんは微笑んだ。一緒にいるだけで心が洗われるようだ。そういう人は初めて。
きっと巨匠と一緒になったらお金が面倒って思って、雇われているほうが楽だと考える人なのだろう。
巨匠のことはよくわからないが、久瀬先生は有名になってお金を得たい人だし、田中くんも絵だけを描いて生きてゆきたい人。要するにわがままなのだ。そんな人しか私の周りにはいない気がした。だから山崎さんの見習って生きたいと思った。強欲な人はたいてい映画やドラマでは痛い目に遭う。そうならない方法はたくさんあるだろう。回避して生きたい。
夏なのに食後は暑いお茶。それを飲むと、
「じゃあ、そろそろ」
と巨匠が腰を上げる。ゆっくり絵を描く部屋へ移動する。彼なりに急いでいるつもりなのだろうが、歩幅が狭い。
部屋で私は服を脱いだ。昨日も感じたけれど、エアコンの風がたまに直撃する。このままでは私の右手が凍傷になってしまうかもしれない。久瀬先生だったら巨匠のために我慢する。田中くんであれば空気を読まずに寒いと言い放つ。どちらでもない私はじっと耐える。
鳥肌が立たない。
「高尾さんと言ったかね?」
巨匠は聞き取りづらいが話し好き。
「はい」
「君のことがもっと知りたいよ。君も美術部なんだろう? 君の描いた絵を明日持ってきなさい」
「こちらに来てまだ絵を描いていないので」
私は断った。田中くんなら小躍りしてスケッチブックを見せたのだろうか。
「じゃあ、悩みでも聞こうか?」
私を描いているから、時折、目が合った。呼吸と会話と絵を描くことが全部別々にできるようだ。
「アキミチさん、私はどうしたらもっと絵がうまくなりますか? あなたのように」
最後の一言は余分だった。絵を描いている人間で自分は絵が上手だなんて思っている人はない。思っていたらやめているだろう。
「他人がうまいと感じてくれるのは嬉しいけれど、自分の腕が向上したなと思うのはそれなりの努力をした下地がないと自分を認められないものだよ。君も絵を描いて生きてゆくのかい?」
イエスと答えたかった。人生の宣言のように。だけれど、その言葉は喉の奥に潜んで出てこなかった。
「アキミチさん、私は田中くんのことが好きなのでしょうか?」
「自分の気持ちは冷静なればわかるよ。質問をしている時点でわかっていると思うがね」
わかっている。これは恋であり、愛に近いのだろう。私はそれに怯えている。田中くんを好きでいることは、この気持ちを継続させるには根性がいる。幾度か自分を、彼を嫌いになるだろう。
昼食は冷やし中華。
夜は山崎さんが帰ってしまうので、巨匠と二人で煮物を温めてつまんだ。巨匠のデッサンは8時すぎにまで及んだ。
「迎えを呼んだら?」
アキミチさんは言った。
「隣ですよ」
「でも山だから神隠しも有り得る」
「久瀬先生は彫刻を、田中くんは絵を描いています。真剣に」
「僕の足がこんなじゃなければね」
「走って帰ります。また明日」
歩いて帰った。私は神隠しに遭わないし、星もきれいだ。でも絵には描かない。ダッシュで帰ったのに足を二ヶ所も蚊に刺されていた。
びっくりしたのはキッチンが散らかっていること。皿は流しに置いてあるだけ。オイルの蓋は開いているし、塩と胡椒の入れ物も乱雑に倒れている。これだから芸術家は嫌なのだ。そちらを優先して生活のあれこれをおざなりにする。
芸術を隠れ蓑にして私を裸にするし、巨匠まで私を肥えさすばかり。
カンカン、トントン。今日は久瀬先生に会っていないことに気づいた。田中くんにもだ。
台所を片づけて、お風呂に入った。まだ18歳なのに手がカサカサする。誰の妻にもなりたくないと思った。でもこの先、私は誰かをきっと愛するのだろう。芸術家だけは避けよう。普通の人がいい。猫を飼ってくれる人がいい。
名前を呼んでくれる人がいい。そんなことを考えながら階段を上った。
「まひる? おかえり。あ、ごめん。絵を描きながら、ずっと高尾さんのことを考えていて。今日の夕方くらいから急にまひる呼びになって、僕の中でだけど…」
まだ話の途中なのに田中くんはトイレに入ってしまって。ぱたんとドアは閉まった。ドアを閉めてくれるだけいい。田中くんのTシャツがほんのり透けていたから、部屋でエアコンのタイマーが切れても絵を描き続けていたことが窺える。
田中くんの部屋はぐちゃぐちゃでそれを黙って片づけるような女性と結ばれますようにと願った。私ではだめだ。ストレスになる。
憧れて、嫉妬をしてしまう。
私を見てほしいの。絵の中の私ではなくて、空を見上げる私を、こっそりあなたを見ている私を。
合宿なのに私は裸になってばかりいた。絵を描かなかった。田中くんを意識しないようにしていた。
巨匠は筆を進めるほどよく喋った。
私は自分の気持ちがよくわからなくて、焦ったり、じっとした。絵が上手くなりたい。だったらモデルではなく描くべきだ。でも、描く気分にならない。
そんなときに限って見上げる空は真っ青なのだ。日本画なら鉱物を削って絵具にするけれど、この青は私にはどうしたって描けない。描いて、残してしまったら、いつでも泣けるようになるだろう。
「色塗りにはモデルは不要だ」
とアキミチさん言われて、そろそろ真剣に何か描こうかなと思って庭の花をあちこち見て回った。鶏頭では地味だろうか。ひまわりではゴッホに勝てない。
背の高いタチアオイに見下ろされて、ちょうど私と同じ目線に蕾に釘づけになる。描きたいと思ったが、衝動だけで見つめているうちににわか雨。
久瀬先生が作る私はやっと二足歩行。ああ、服は着させてくれないのね。わかっていたけれど、こちらにたくさんある画集の裸婦よりも乳首がツンとしている気がする。シャワーを浴びながら益々そう思った。こうしてコンプレックスが増えるのだろう。
久瀬先生の別荘のボタニカルシャンプーが苦手だ。いい匂いと思う人もいるのだろうが、私にしたらほぼ草だ。大人になってお金持ちになっても使わないだろう。
一心不乱に絵や彫刻に向かう人たちは素晴らしい。でも、毎日ごはんを作って掃除をする山崎さんも素敵。久瀬先生の別荘で食べるものがなくなったからピザを配達してくれた睫毛の長いお兄さん、ありがとう。私は自分以外が素敵に見える病気なのかもしれない。
月明りで絵を描くような田中くんになりたいわけない。
「目悪くなるよ」
私は明かりをつけた。田中くんは眩しそうに数回瞬きをした。
「ありがとう、高尾さん」
「まひるでいい。どっちでもいいけど」
田中くんの絵は私の角度からは見えなかった。私なのだろうか。私であるならば、私を瞼の裏に思い返していたのだろうか。それは田中くんの中で恋心に変異しないのだろうか。
「お腹すかない?」
私の問いかけとは見当違いな答えが返ってきた。
「別荘にはいい思い出がないんだ。うちの母は結婚してから父の家族と折り合いが悪くて、僕を産んでからも精神科の先生とずっと愛人関係にあったんだけど、長い休みになると彼と母は母方の実家の別荘に僕を連れていって、とても幸せそうに笑うんだ。明らかに愛人先生との間に妹ができても父の子どもとして平然と育てて、女の人は怖いなと思ったよ」
それは知らなかった田中くんの一部だから聞き入ってしまった。田中くんは絵を描いているときは長く話ができない人だと思っていたから、それらの記憶は別荘でなければ思い出さないことだろうし、貴重だ。違う。田中くんとならどの時間も希少。
「私も怖い?」
私は聞いた。
「まひるは…」
とまた絵を描くことに集中してしまって、手が動くと口が止まるロボットみたいだなと思った。
それに、彼にとって私は女ですらないのだと悟った。好きな女の前なら、少しは変わるでしょう。
私は私で、田中くんを試そうともしていない。私と田中くんは友情と愛情の区別がつかない。もしも田中くんが私を好きだったら、私は他の男の前で裸になることを咎めただろうか。芸術のためであっても。
ちらちらと私を見るから、
「脱ごうか?」
と言った。
「いいの?」
「いいよ」
田中くんならいいの。それが私の愛情だとあなたは気づかない。
「ポージングは?」
「えっと、体はこちらに向けて、顔は窓外を見るように」
「はい」
窓の向こうはもう夜だった。夜、裸。それなのにエロくないのだ、私たちは。
油絵具の匂いにはまだ慣れない。ベンジンなどの匂いも得意ではない。
不得手なことはたくさん思いつくのに、自分の長所が思いつかない。それも若さのせいなのだろうか。
「中学生のとき、初めて別荘に友達を連れて行ったことがあった。彼も絵が好きでね、気が合うと思ったんだ。でも彼は僕を好きだと言った。あのときが別荘に行った最後だ。もう売られてしまって存在してるのかも知らないけどね」
田中くんにとって記憶は重要なのだろうか。話しながら、そのときの感情を思い返しているようには思えない。淡々と、事実として話す。
トイレ休憩を挟みながら、朝まで田中くんは私を描いた。
生き急いでいるわけではないのだから、ゆっくり描いたらいいのに。
「私、どうして女なんだろ」
眠くて、私の思考もおかしくなる。質問しながら自分でもおかしな質問だと思った。
「男だったら世界征服でもするのか?」
「しないけど」
「女でもできるよ、まひるは」
できないよ。好きな男の子の前で平然と裸になるような女だよ。それで、数時間も制止。私、ちょっと変なのかな。視界に田中くんを取り込みたいとは思わない。最初に窓外を見てしまったから、今も見ているの、朝焼けの紺碧の空を。裸にはなれても、告白はできない。好きだと言ってしまったら終わってしまう。気持ちを伝えたら田中くんはもう私を描かないだろう。
目が合わない。裸婦を描く画家の目になる。男にはなってくれない。
そのときに私は思った。
私はもうあなたみたいな人に近づかないだろう。当然、好きになることもない。
久瀬先生のスマホの電源が切れていたせいで、帰る日にコンクールの結果を知ることになる。田中くんはまた優秀賞。
「去年と同じか。成長しないものだな、人間は」
荷物をまとめながら田中くんは言った。
「やっと一次通った私に嫌味?」
「まひるのあの気持ち悪い絵がよく通ったと思う」
「そうだね。って自分の足でしょ?」
その会話だけは美術部員ぽかった。絵のことであれば笑い合える。やはりそれだけの関係なのだ。
たった一週間の合宿だったのに、芸術家たちは各々の作品を仕上げていた。
私だけが何も残せない。
久瀬先生は宅配業者を呼んで、彫っている途中の私を実家に運ぶようだった。
「もっとくびれ作って。鼻は高く」
私は言った。緩衝材に包まれた私が運ばれてゆく。
「僕たちにとってまひるの体はすごい破壊力にどうして本人が気づかないんだろ?」
田中くんは絵を大事そうに久瀬先生の車に乗せた。まだ下描きで、よくわからない構図だった。
「アキミチさんにお別れの挨拶をしてきます」
私は巨匠の別荘に足を踏み入れた。アキミチさんと山崎さんは腰を曲げたまま芝生を刈っていた。絵に残したい風景に見えた。
「帰ります。お世話になりました」
「あらあら、ちょっと待っててね」
と山崎さんは主の家から私が好きそうなお菓子の詰め合わせを持って食てくれた。
「お歳暮?」
箱にそう書かれていた。
「賞味期限はまだ大丈夫よ。もらって」
山崎さんが無理矢理に紙袋に入れるから破れてしまってまた他の袋を探して、ちょうどよかったのか大きなゴミ袋にまとめられた。
「アキミチさん、ありがとうございました」
彼に会ったおかげで、私は吹っ切れた。絵の道には進まない。
「ありがとう。ええと、名前はなんだっけ?」
「高尾まひるです」
「まひるさん、ありがとう。君のおかげでまた絵が描けました。その体を大切に」
やっぱり褒められるのは体なのだ。顔じゃない。目でもない。髪でもない。
「愛人の申し出ならいつでも」
と言ったら、
「ははっ」
と笑った。下の歯に金の詰め物が見えた。そう、アキミチさんが笑ったのを初めて見た。
久瀬先生の車に乗り込む瞬間、さっきまであった白い雲が消えた。誰かが魔法使いだったりするのだろうか。私は生贄でなければ、誰かの恋人でもない。
家に戻っても、魔法がとけたような気分にもならなかった。私は私の人生を歩いているだけだ。
夕飯がカレーだったから一瞬だけ思い出した。山の別荘を、空気を、田中くんの背中を。
父がカレーにソースを混ぜながらぐちゃぐちゃにして食べた。
「花火したのか?」
兄の質問がわからない。
「しないよ」
「部活の合宿だったら普通するだろ?」
「しないよ、美術部だもん。絵を描いただけ」
生きるほどに嘘をつく人生は嫌だな。荷物を解きながら真っ白なスケッチブックを私は棚にしまった。
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