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「吉田さん。そういえば荷物は何も要らないの?」
「ほら。シャッターの鍵だけ持ってきたの」
そう言うと、吉田さんはポケットから小さな鍵を取り出した。彼女がシャッターを上げる様子をスマホで照らしながら、僕は暗闇に少しずつ現れる階段が化物の口の様に思えて気味が悪かった。
「順路としては、一度最上階まで上がって各部屋を覗きながら降りてこようと思うの。私は少し後ろから撮影するから水樹くんが先に行ってね」
「先頭かぁ」
「格好良いところ見せてくれるんでしょ?」
「もちろん」
僕は無理やり笑って見せた。
「いいね。水城くん、心の準備はいい?」
「……おっけい」
「じゃ、スタート!」
そう言うと、吉田さんは録画の開始ボタンを押した。
僕はスマートフォンで足元を照らしながら、歩き始めた。階段を上りながら僕は散歩の時もアルバイトの時もずっと吉田さんの少し後ろを歩いている事が多かったんだなと気付いた。後ろにいると分かっていても、視界の中に彼女がいないのは妙に落ち着かない。そしてライトで照らせる範囲には限界があって、視界の端や見えない場所で何かが蠢いてるような気がしてならなかった。
「今、遠くの方で何かガサガサって変な音しなかった?」
「えー、私には聞こえなかったけど」
「吉田さん! やっぱり暗闇の中で何か動いたって!」
「ホントに?」
吉田さんは笑いながら言った。
「でも、スマホには何も映ってないよ?気のせいじゃない?」
「マジで? 絶対、何かいたと思うんだけどなぁ」
「いるとしたら、やっぱり……幽霊かな?」
「やめてくれよー。吉田さん、余裕ぶってるけど今撮ってる動画にだって何か良くないものが映り込んじゃうかもしれないんだよ?」
「かもね。まぁ、もし撮れたら一緒にお祓いにいこうよ」
まるで遊びに行くかのようなトーン。
「吉田さんって幽霊怖くないの?」
「んー。幽霊ってさ、小説とか映画とか色んな創作物で出てくるでしょ。もし本当にいるなら、どの解釈が正しいのか見比べてみたいと思わない?」
「……たぶん吉田さんの前には現れないんじゃないかな」
「なんでよー」
「何となくだけど」
そんな事を話していると、僕は最後の階段を上り終えた。辺りをライトで照らしながら廊下を進むと401号室と書かれた扉が目に入る。スマートフォンを握る手が少し緊張でべた付いた。
「じゃあ、この部屋から行くね」
「どうぞ」
僕は前方に全神経を集中させて、ドアを開けようとドアノブを握った。次の瞬間、後頭部でパァンという破裂音。
「あんまり驚かなかったね。……あれ、もしかして水城くん固まってるの?」
後ろからスマートフォンを構えた吉田さんが笑いを噛み殺しながら至近距離で僕の顔を撮りにやってきた。
「……何、今の?」
「ふふっ、ただのクラッカーだよ。百均でね、買っておいたの」
「……音は駄目だよ、吉田さん」
「えー、クラッカー駄目? まだ一杯あるんだけどなー」見ると、いつの間にか吉田さんの手には未使用のクラッカーが幾つか入ったビニール袋が握られている。
「駄目。これは没収」
「えー」
僕はビニール袋を吉田さんから奪い取りながら、一体何処にこんな物を隠し持っていたのか不思議でしょうがなかった。そしてこの時、僕は何故吉田さんがクラッカーをすんなり渡してくれたかをもう少し考えておくべきだった。
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