僕の思考は美味しいらしい

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久しぶりに髪の毛を切った。少し薄茶に染め上がった頭頂部の毛が、恥ずかしそうに立ち上がっている。 「……ああ、さっぱりした」 器用な担当は表情で満足を読み取ってくれたようだ。ありがとうございます、と笑う。無言で財布を出し、すこしゆったりと支払う。 出際に、床掃除をしていた美容師がちりとりから髪の毛をぶちまけてしまっていた。よく通る声で、すみません! と叫び改めて回収している。 エプロンから覗くピカピカの鋏から見るに、新人なのだろう。 カランと軽やかなドアベルの音が響く中、徹はうつむき加減にほほ笑んだ。 「あれはドジっ子だね」「苦労してそうやね。あの謝り慣れ具合は、モノホンや」 「……今日は饒舌なんだね、クロ」「んーそか?」 クロは話さない徹の思考をすべて口に出す。 いつから隣にいるのかわからない、謎の生物。ケサランパサランのような見た目の、真っ黒でふわっとしたサッカーボール大の生物。足も手も顔もないのに徹の思考をすべて口(?)に出し、ついでに関西弁交じりで勝手に返事をしてくる。 ちょっと鬱陶しい時期もあったが、徹はそれをクロと呼んで可愛がっていた。 「クロが皆に見えたらすらすら僕の考えが伝わるのにな。…でも、クロって皆には見えないんでしょう」「うん、トールだけの大サービスやね」 にぎわう冬の街並みを遠慮がちに歩く。クロは足元から肩にふさりと飛び乗ってきた。 「今年ももうすぐ終わりだね」「せやなあ。あ、洗濯バサミ買っときよ」 「了解」 何の気なしに眺めるショウ・ウインドウは暖かな衣類と和やかな空気で満たされている。温度に反比例してなんとなく気分がウキウキしてくる季節だ。 「クロのおかげでいつも楽しいし、何かプレゼントあげたいな」「ええ、ホンマか!うれしいなあ、」 こっそりサプライズしようとしてもこの始末。 「……もう、こういうのは黙っててほしいんだけど」「せやけどフェアやないやろ?ウチは正直なのが好きなんや」 全部読み上げてくる。全く。 「まあね、僕もそうだよ」 * めったに話さない徹を友人は急かすことはない。 コミュニケーションアプリに通知がつく。 『いい映画見つけたぜ、今度行こう』 『うん、ありがとう』 『21日でいいか。あったかくして来いよ』 『了解、紘もね』 * 思春期は辛かった。 あの子がカワイイとか、好きだとか、自意識が全部耳元でささやかれる状態は、徹にとって――おそらく誰にとっても――我慢ならなかった。一度大喧嘩をした。 「ああもう我慢できない、クロ、少し黙っててよ」「…せやけどフェアやないやろ、頂くモンを…、」「全部言わないでよ。自分の考えは自分だけで持ってたいんだけど」「けど、ウチはせめて正直に、トールの役に立ちたいんよ」「…黙ってるのが役立つの!」「……」 徹の思考まで一息にクロは言って、静かにスッと床に降りた。そこからは1週間、クロは黙ってついてきていた。徹も意地になっていて、半ば無視するように過ごしていた。 静寂になれてきたころ、就寝前にふと見たクロが、野球ボール大にまで小さくなっていた。 (……クロ、なんだかしぼんでない?) そっと撫でながら思う。(喋っていいよ) 「喋っていいよ」「お…おおきに…すまんなあ…」 「小さくなってるよ、クロ、大丈夫?」 「……あんな、ウチは思考を食べる生き物なんよ。だから、トールみたいに思っても口に出さない人にくっついて、読み取った思考をいっぱい食べさせてもらってん。頂いた分はせめてお礼しよう思てたんや。でも、皆、やっぱり気持ち悪いんやろうなぁ、ヤダって断られてな…トールくらいやったんよ、10年以上も一緒に居させてくれたんは」小さくなった黒い球体は、反省するようにもっと身をかがめた。 「…そうだったんだ」趣味でしゃべっているんだと思っていた。やたら饒舌に人生訓やアドバイスめいたことを言うわけにも合点がいった。 それ以来、徹がクロに文句を言ったことはない。 一方のクロは、友人と出かける時はついてこなくなった。 プライベートは筒抜けだが、なんとなく、うまくやっていく距離感をつかんだ気がした。 * 「じゃあね、おやすみクロ」「おやすみよー」 徹の就寝は早い。 明日は映画の約束だ。期待に胸膨らませながら徹は布団に潜り込む。 クロは自分用に作られた小さなスペースでふわふわと動き回る。 「トール、こっちの方こそいつもいっぱい貰ってん」
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