剣ヶ峰不二子

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 山岳信仰の霊山を登る修験者。ロープウェイを使うなぞ以ての外、普通の登山者の為に設けてある木段も石段も各合目に築いてある休憩所も利用せず、正に修行の為に山道なき山道を山麓から只管昇る。となると、直接土を踏む機会が多いから普通の登山者の何十倍も足跡を残すことが出来る。修業した証拠となる足跡を・・・そうして祠を横目にしたり鐘を鳴らしたり鳥居をくぐったり神社を参拝したり草花や木々と触れ合ったり砂利や岩を踏みしめたり嵐気を嗅いだり小川の潺や小鳥の囀りを耳にしたりして歩を進めていても何か釈然としないものを心の奥底で意識する自分がいる。こうしていることが本望でないような不本意なようなそういう気が無意識にするからであった。自分にとって何か遠いもの価値のあるものを冥々の裡に遠ざけているからであった。それは神か?否、そんな筈はない。寧ろ神に近づこうとしているのだが、修験者には到底手に入らないもの別世界のもののようで冥々の裡に諦めているからであった。  それでも並大抵でなく険しい急峻な道のりを経て艱難辛苦を乗り越えて剣ヶ峰に立った日には、眩いばかりの白さで光り輝く朝日に照らされた見晴るかす大雲海に向き合って、はあ、絶景かな!なんと綺麗なんだろう!別天地だ!悟りの境地に立った気分だ!と感慨一入になった。  大雲海から首を出して対峙する岩峰。そして自分の立つ岩峰の向こうに有ろうことか朝日と大雲海をバックにこの世の者とは思われない美女が現れた。それは川端康成の言葉を借りれば、「人間の女だけがあらゆる動物の内で長い歴史を経る内に何故、美しい形になったのか、女を美しくして来たことは、人間の歴史の輝かしい栄光ではないだろうか」と言えそうな正に美しく進化した女で後光を放つように立っている。今風の言葉で言えば、めちゃくちゃイケてる女。もっと言えば、このエロさ、半端なくね、このお色気、やばくね。そうなのだ。タイトなライダースーツに身を包むその姿は正にボンキュッボン!而も胸を少しはだけ、豊かな乳房の谷間を見せつけている。宛ら峰不二子が実物大の女になってブラウン管から抜き出たようだ。 「はあ、堪らん。なんとまあ色っぽくて美しいことか!」  これぞ衷心で咽から手が出る程、真に求めていたものなのだからそう感じ入るのも無理はなく朝日も大雲海も三下にしてしまう程、美しいと惚れ込んだ修験者は、修行を積んだ成果がこれか!俺の頭の中は煩悩が渦巻き弥漫してしまったではないか!何が悟りの境地だ!何が修行の証となる足跡だ!足跡もへったくれもないではないか!しかし、今までの修業を無駄にしたくない・・・俺は精進潔斎までしてるんだ。だのに・・・  解脱への道を選ぶか、煩悩への道を選ぶか、修験者は文字通り剣ヶ峰に立たされた。その結果は呆気ないものだった。立ちどころに目先の美女に歩み寄ったのである。 「あなたは朝日よりも大雲海よりも遥かに美しい!是非ともあなたの名前が知りたい」 「私、剣ヶ峰不二子っていうの」 「えっ」 「ふふ、私、峰不二子みたいでしょ。だから駄洒落よ。それはそうと出来損ないの修験者さん、何処のどなたさんがこんな所にこんな格好した美女がいると思って?」 「えっ」 「私、実は魔女なの」 「えっ」と修験者が三度(みたび)声を出すと、魔女はけたたましく嘲笑いながら現出させた魔法のオートバイにまたがってブルンブルンとエンジンをかけるや、勢い崖を駆け下りて大雲海の上をすいすいと突っ走って行ってしまった。まるでエキゾーストノートを響かせロングヘアを靡かせながらバイクの名車を駆る峰不二子のようなカッコ良さで、将又、修験者にとって遠いもの、価値のあるもの、到底手に入らないもの、別世界のものが永久に離れて行くように・・・  残された修験者は、放心状態から唖然とし、呆然としたのち今後どう生きて行けば良いか分からなくなって途方に暮れてしまうのであった。
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