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誤解と誤算
「よし、あんたはクラスで一番の、成功した、とびきりゴージャスでホットな売れっ子作家よ。キメてきな(Nail it)!」
最後のフレーズに苦笑しながらも、ポールの緊張は少し和らいだ。スマートフォンの画面に映る親友に向かって語りかける。
「ありがとうダイアン。君がいないのが本当に寂しいよ」
「あたしもよハニー。でも、あたしはほら、あんたと違ってそこに行く理由なんてこれっぽっちもないし、純潔は仕事に捧げてるから。そろそろ行かなくちゃ。あとで報告するのよ。細かいところまですべてね。じゃ、頑張って(Good luck)!」
ポールはため息をつく。ああ、やっぱり一人で行くのは間違いかも。せめてダイアンが隣にいれば、たとえ誰にも気づかれなかったとしても、彼女とひっついていればよかったのに。そう、高校時代と同じように。
田舎の高校の、しかも十数年ぶりの同窓会などという、ダイアン曰く「遠い親戚の葬式並みに行きたくないイベント」なんかに顔を出そうと思ったそもそものきっかけを思い出そうとする。
床に落とした小さなメモ。見つかったらまずい。奴らの恰好のネタだ。何よりあのメモは取り戻さなきゃ。ばれないように拾おうと、机の下にかがむ。そっと手を伸ばすと、メモは薄汚れたスニーカーの下にあった。絶望。ゆっくりと顔を机の上に戻すと、スニーカーの主は、あいつだった。皆の前で読まれてしまう!ポールはきつく目をつぶり、これから自分に降りかかるであろう悪夢に備える。しかし目を開けると、彼は誰にも気づかれないように紙切れを拾い上げ、さっと目を通したあと、ジーンズのポケットにそれを押し込んだ。
ポールの胸に、様々な思いが去来する。今それらを詳しく思い出したくなかったが、中でも怒りの感情を増幅させることにした。よし、やってやる。
一階のリビングに降りると、母親のリサが庭いじりをしているのが見えた。子どもの頃から、自分を理解し、応援してくれた存在。彼女に会うために故郷に帰ることはあったが、他にはどこにも寄らず、誰にも会わず、まっすぐ街に戻った。何も思い出さないように。
「行ってくるよ、母さん」
リサが手袋をはずしながらやってくる。ポールの髪を整え、優しく肩を抱く。
「素敵よ、ポール」
「ありがとう。」
「あなたも楽しんできて」
ポールが苦しんだ歳月を見てきたリサは、少し心配そうな顔を見せる。ポールは彼女を安心させるように頬にキスをした。
「そう願うよ(I hope so.)」
母に借りた古いステーションワゴンに乗り込み、今日の闘いの場へと向かう。道沿いの並木やすれ違う家の奥に見える木々が、秋を表すすべての色をまとい、落葉が複雑な織模様のように混ざり合って地面を覆い尽くしていた。
ポールはここのすべてが嫌いだったが、この四季折々の美しさだけは別だった。特に、こんな風に紅葉が陽の光に映える秋は。今日は更に、秋雨の名残で輝きが増していた。
ポールは都会の暮らしを愛していたが、時々この美しさや匂いが恋しくなり、折に触れてセントラル・パークを散歩したり、ジョギングしたりしていた。
しかし校舎が近づくにつれて、自然を楽しむ余裕はなくなってくる。車を停め、会場の体育館へと向かう。屋外に舗装された、屋根つきの通路。脇に見える運動場。柱の上にある、文字盤に高校のエンブレムが描かれた円形の時計。小学校でもないのに、心なしか何もかもが思っていたより小さく見える。
「これ、君が考えたのかい?」
彼に声をかけられた、校舎の影を見やる。彼はあの日拾い上げたメモを持っていた。
「…ああ、そうだけど」
ポールは、作品を書くのにいいアイデアが浮かぶと、トイレットペーパーやレシートの裏など、とにかく何でもそのへんにあるものに書き留めていた。それをスクラップしていたのだが、あのときは運悪くそれを落としてしまったのだった。
「返してほしい?」
そらきた。どんな交換条件だろう。レポートの代筆?彼女へのラブレター?
ポールは彼を睨みながら、頷く。
「じゃあ、話が出来たら俺に読ませて。」
彼はすれ違いざま、ポールにメモを渡して去って行った。
体育館から漏れる音楽がかすかに聴こえてくる。引き返すなら今だ、という心の声と闘いながら、ポールは入り口に即席で張られた、悪趣味にギラギラと光る紫色のカーテンをくぐった。
中は照明を落としてあり、天井にはミラーボールが回転している。懐かしい、当時の音楽が大音量でかかっている。既に元同級生たちでごった返しており、それぞれに旧交を温めている。ポールは手持ち無沙汰で、意味もなくきょろきょろと周りを見回す。誰が誰だか分からないが、皆ぱっとしない、普通の人々だ。ポールはダイアンに言われた言葉を念じるが、気分は良くならなかった。
ドリンクブースを見つけ、ほっとする。得体の知れないカクテルがテーブルに並んでいたが、お構いなしに一気に流し込む。そしてもう一度フロアに目をやると、突然、奥の方にいる彼の姿が飛び込んできた。そこだけ光が当たっているかのようだった。あのプロムの夜と同じだった。ポールはあの夜も、こうして遠くから、彼の姿を見つめていた。
「ポール?ポールよね」
振り向くと、長身の女性が微笑んでいた。長い髪は後ろで束ねられており、完璧なカーブを描く額と意志の強そうな太い眉が、美しさを際立たせていた。太めの黒いセルメガネをかけ、飾りのないシンプルな出で立ちだったが、周りとは明らかに違うオーラを放っていた。
「キャサリンよ。覚えてるかしら。」
ああ。覚えているとも。あのプロムの夜に、奴と一緒に踊っていたのは君なんだから。金髪白人の美男美女。絵に描いたような花形カップル。
「ああ、もちろんだよ。感じが少し変わったけど、相変わらず綺麗だね」
「お世辞でも嬉しいわ。ありがとう。あなたも素敵よ。ところでポール、成功おめでとう。私あなたの作品のファンなのよ」
「本当かい?」
本気でびっくりする。それが顔に出ていたのか、キャサリンが笑いながら言う。
「本なんか読むタイプじゃないと思ってたでしょ?そんなことないわ、ほら」
肩にかけていたバッグから、少しくたびれたハードカバーを出す。ポールの記念すべき処女作だ。
「ワオ。嬉しいな。ありがとう」
「もしよかったら、これにサインをいただけないかしら?」
「喜んで」
自分の名前をを書きながら、この皮肉な状況に心の中で苦笑する。君たちへの思いを燃料にして、この本を書いたっていうのに。
そのあと、他愛のない話を二、三交わすと、すぐに話題が尽きた。音楽がかかっていて助かった。二人ともその場を誤魔化すように、フロアを眺める。音楽は、アップテンポのダンス・チューンから、スローな曲に変わっていた。ポールはつい彼がいた場所を見てしまったが、そこにはもういなかった。
キャサリンはドリンクを飲み干すと、フロアに目をやったまま言った。
「私本当は、あなたのことが羨ましかった」
「え?」
「周りがどうあろうと、何を言われようと、あなたは自分を持っていて、それを貫いていたでしょう。私は…親や周りの期待どおりに演じていただけだった。それしかできなかった。ここのすべてが嫌いだったわ。早く抜け出したいってそればかり思ってた」
キャサリンの意外な告白に戸惑う。
…でも、君には奴がいたじゃないか。
心の中でつぶやいたつもりが、声に出していたようだ。
キャサリンがふっと笑う。
「ウィリアムとは、そんなんじゃなかったのよ。何というか…私たちは二人とも親とうまくいってなくて…お互いが、避難所みたいだった。八方塞がりで、どこにも行くところがない感じ。お互いにそれを分かっていたから、ロマンティックな関係とは程遠かったわ。
一緒にいるときは、とりあえず安全。自分を取り繕う必要もなし。ある種の契約関係ね。まあ、共通点といえば、本好きってことぐらいだったから、会ってもほとんど会話せずに、それぞれの好きな本を読み耽ってた。二人読書会ってとこね。」
僕以外にも、「読書会」の仲間がいたんだ。ポールは当時と違う嫉妬を覚えた。
「ほんというと、私は彼よりも、あなたみたいなタイプが好きだったのよ」
そう言ってポールにウインクをする。何だって。あの頃、二人が僕とすれ違う時に、彼女が僕を見るあの眼差し。見せつけているのだと思ってた。僕を見下して笑っているのだと。
「それに…彼は私以外の誰かを見ていたし」
心臓が跳ねる。酒が必要だ。
キャサリンがポールを見つめて微笑む。
「私ね、将来小さな書店を開くのが夢なの。本に囲まれる生活が理想だから。お金を貯めなきゃいけないからいつになるかわからないけど、やっと今、心から幸せって思えてるわ。遠かったけどね。それって、あなたのおかげでもあるかも。あなたの本を読んで、背中を押されたのよ。だから、ありがとう」
「…ああ、いや。僕のせいじゃないよ、一歩を踏み出した君がすごいよ。きっと叶う。その、本に囲まれた生活」
はにかみながら、キャサリンに微笑みかける。
ああ、こんなはずじゃなかった。予定が狂うじゃないか。
目を泳がせると、遠くにいたウィリアムと目が合った。また、胸の鼓動が早くなる。
やっぱりだめだ。まずい、行かなくちゃ。
「じゃあ、キャサリン、またね。開店したら、必ず行くよ」
「ええ、楽しみにしてる。会えてよかった」
「僕も」
ポールは急いでもう一杯カクテルをあおると、出口へと急いだ。ウィリアムの声が背後でかすかに聞こえる。入口のカーテンを抜けると、目に西日の眩しさが刺さる。
と、背後から腕をつかまれる。
「ポール。待って」
振り向くと、そこには息を切ったウィリアムがいた。
「…ああ、久しぶり」
「ああ。本当に」
ウィリアムが微笑む。
「まさか君に会えるなんて。ダメ元で来てみてよかった」
返事をしたかったが、何をどう言えば分からず、結局黙っていた。気まずい沈黙。やがてウィリアムが口を開く。
「君の本、いつも楽しみにしてるんだ。あの、これに…サインしてくれないか」
ジャケットのポケットから出したのは、ポールの作品のペーパーバックだった。真新しい。
それを見た瞬間、ポールの中で何かが弾けた。
「嘘だ。」
「え?」
「こんなピカピカの本、読んでるなんて嘘がバレバレだよ。今日書店で買ってきたの?それともあれかい?サインしたのをオークションにでもかけるつもり?」
「そんな、まさか…」
もう止まらない。
「そもそも、僕が作家になってることだって、いつ知ったの?僕がどこで何していようが、どうでもいいくせに!ああ、サインだね、いいよ、するとも!」
そう言って本を奪い取ると、乱暴にサインしてウィリアムの胸につき返す。
「これで満足かい!?」
この時初めてウィリアムの顔を正面から見つめた。こんな時だったが、思わず見とれる。ウィリアムは、あの時と変わらず美しかった。今は短くなった髪は、後ろになでつけられている。深い緑色の瞳が、哀しげにポールを見つめている。明らかに、傷ついている。
ポールはウィリアムに背を向けて、速足で去る。
「ポール。待ってくれ。」
その声を振り切るように、ずんずん進む。
あの場所で、ずっと待ちぼうけだったのを思い出す。学校でも、目を合わせてくれなくなった。それまでは、時々誰にも分からないように目配せしたり、そっとメモを渡し合ったりしたのに。
だから今日は、思い切り奴のプライドを傷つけてやるつもりだった。僕はここを出て、成功してる。自分の力で。ある意味君のお陰だよ。君が僕にした仕打ちのおかげで、ここまでこれたんだ。君がいなかったら僕は……
車に乗り込む。ハンドルに顔を埋める。
「くそ……!」
やっぱり、来るんじゃなかった。こんなはずじゃなかった。
辺り一面が茜色に染まり、車の中まで熱がこもっている。あの日も、こんな光の中にいた。そうだ。あそこへ行こう。そして、すべてを置いてくるんだ。
ポールは意を決して、車を走らせた。
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