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 物語の中は、現実よりも理不尽の少ない、作者という神様によって統制された世界ではあるけれど、彩里は読書を通してめいっぱいにその中で翻弄され、感情を揺さぶられ、キャラクターの人生を生きた。……流石にひとには言えない、嘲笑われることがわかっているから言わないが、彩里にとって、現実よりもリアルな人生は、本の中にこそあったのだ。夢中で読むうちに寝食を忘れて没頭したことも、一度や二度ではなく、そこで、ひとの肉声を聞き、食べたことのないものの味を知り、行ったことのない街へ行った。恥をかかされる場面や、肝が冷える場面では、読んでいる彩里の体温が、あがったり下がったりした。暗鬱な結末に心を引き裂かれたかと思えば、別の本にその傷を縫い合わされることもあった。  一番よかったのは、物語の中でたくさんの親と子の関係を目の当たりにしたことで、クラスメイトたちの家より多少やるせないすれ違いを抱えた自分の家族関係だって、完全に捨てたものではないのだと、ほんの少し安心できたことだった。それは下を見て安堵するというすれた自分のなぐさめ方であったかもしれないけれど、ゼロか百かではなく、その間にたくさんの目盛りがあることを知ることができたし、表面上幸せそうなひとたちだってなにかを隠し持っていることはあるのだと、想像力を働かせてひとを見ることができるようになった。広い世界には、単一の価値観をお題目のように唱える複製のような大人ばかりでなく、今まで彩里が想像したこともないような価値観を持って暮らしているひとびとが存在すると知り、先々に対し、希望すら抱けるようになっていた。
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