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 そのためには、まず従業員が本物にならなければ。谷はそう言って、意欲のある従業員に、サーヴィスの技能検定やワインコーディネーターなどの資格取得を勧めた。彼の考えは、どうせ働くなら手に職をつけたいと考えていた彩里と相性がよかった。平常業務を覚えながら、空き時間にワゴン(ゲリドン)上での肉の切り分け(デクパージュ)炎の演出(フランバージュ)の練習、料理や飲み物の勉強に精を出す彩里の熱意が谷の目に留まり、いつの間にか彼の一番弟子として、知識と技術、ホスピタリティを教え込まれる立場になっていた。  入社二年目には、レストランを代表して国内唯一のサーヴィスコンクール、メートル・ド・セルヴィス杯にエントリーするように言われ、その時は流石に予選突破もならなかったが、店側の協力体制もあって、翌々年、二度目のチャレンジで、予選上位十六名に食い込み、新宿の会場で行われる準決勝(セミファイナル)に駒を進めた。  彩里以外に進出した十五名は、都心の一流どころのホテルやレストランの看板を背負う脂の乗り切ったサーヴィスマンで、全員が男性だった。  彼らは地方都市の、聞いたこともないような店で働く二十五歳の女性を、場違いなものを見る目で見遣ったきり、話しかけてきはしなかった。  彩里は決勝進出者(ファイナリスト)五名の中には残れなかった。準決勝の実技試験の中で、フルーツカッティングは日々の練習通り行えたが、オーダーテイクでフランス語が当たり、それはひどい出来に終わった。それ以外の部分でも、経験値で諸先輩方に及ばない部分はいくつも感じ取れたが、その悔しさは、次回に生かそう、と思うことにした。着実に、前へ向かって進んでいる、という実感が、その時、確かに彩里の中にあった。  帰りの新幹線までの短い時間に、彩里はめぐみと東京駅で待ち合わせ、軽い夕食をともにした。彩里が就職してから、初めての逢瀬だった。  会うどころか、土日休みのめぐみと、客足が増える週末が忙しい彩里とは、オンライン上でもすれ違いが続いていた。彩里は仕事とコンクール対策と家事に追われており、ファンサイトでめぐみが他の常連と交流しているのを見かけても、混ざりに行く気力がなかなか湧かない。 (このまま、めぐみさんも、わたしのことなんて忘れちゃうのかもしれない……)
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