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「……はい」 「描いてもいるんだ?」 「……はい。まだ、らくがきばかりですけど。SNSのアカウント、もうひとつ新しく取って、そちらで。今とは違うハンドルネームで」 「じゃあ、次のイベントは、そっちのジャンルで申し込む?」 「……多分。今、一番アツいので。描いてて、楽しくて……」  楽しすぎてつい熱が篭りがちだったことが、今回の新刊の発行を危うくした一因でもあった。もともとの推しへの愛は、一見なにも変質せず自分の中にあるように思えたが、新しいジャンルへの熱狂は、麻薬のような強さで彩里を支配し始めており、自力ではコントロールできなかった。バイト中も、気が付けば気に入りのキャラクターのことを考えてしまっている。 「……いいことじゃない。なんで、そんな暗い顔するの、彩里ちゃんったら」  めぐみは裏表のなさそうな優しい声でそう言うと、ブランコに掛けた彩里の頭のてっぺんを撫でた。その柔らかな感触に泣きそうになって、彩里は奥歯を強く噛む。 (……なんで、なんて、聞かないで。めぐみさん。本当に、わからないの……?)  恐れていることを、うまく言葉にできない。こんな時こそ、なにも言わずに通じ合える、絆の力を借りたかった。しかし、彩里は感覚的に悟ってしまう。互いの境界が溶けてしまったかのような、あの甘くて蕩けるような時間は、もう自分たちの間には戻ってこないのだと。できてしまった溝を埋めるため、不完全な言葉を、不完全だとわかりながらも数多く費やしていくしか、なくなってしまった。  いっそ、裏切り者だとなじってくれる方がマシだったかもしれない。彩里のことを束縛するなり、嫌うなりしてくれれば、足もとが宙に浮くような、こんな不安は覚えなくて済んだかもしれない――そんなふうにさえ、思う。嫌われる以前の遠さが、肌寒さを呼んだ。 「……悲しい。って言葉が正確かどうか、わからないんですけど。悲しい、ずっと好きでいたかった。ううん、好きなままなんです、推しのことも。ただ、彼だけに、操を通すことができればよかったのに。変わっていってしまう自分が、嫌で……」 「古風だね。彩里ちゃんってば。いいじゃない、全員、好きでいれば。落ちてしまった恋だけは、仕方ないよ。自分じゃどうしようもないのが恋でしょう?」 「めぐみさんの言う通りかもしれません。でも……」
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