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 三十二歳の若さで責任ある役職につき、海外を含む毎月の出張をこなしながらも、めぐみは激務を理由に、二次創作同人誌を頒布する同人活動をやめるつもりはないようだった。ただ、昇進が決まってから、作画に時間を取られるまんがから、通勤時間や空き時間を活用して書ける小説に、表現方法を変えはした。  仕事の日の帰宅時間はいつも二十二時を回り、同人誌の入稿締め切りが近づいてくると、眠くなるからと言って夕食も後回しで、パソコンのある書斎にこもって二次創作小説を書く。ベッドに入るのは深夜二時か三時くらいだ。朝六時には起床するので、睡眠時間はいつも足りていないが、萌えがあれば生きられると言って、原稿のない時は彩里と一緒に旬のアニメや舞台のDVDを観たり、勧め合って本を読んだり、ベッドに入ってまで萌え語りをしている。  心身ともにタフなのは言うまでもないが、重そうに腫れたまぶたと低血圧のせいで、ますます取っ付きの悪い鬼係長だと陰口を叩かれている、そんなふうに笑っていたことがあった。そうは言っても、きっと職場でも、ドライな外見にそぐわぬ優しさを発揮しているのだろうと、彩里は信じて疑わないが。  とにかく、比較的時間の自由がきくフリーターの彩里とは違い、めぐみの作業時間は貴重なものだ。書斎で一緒に作業しよう、というめぐみを振り切って、彩里がダイニングテーブルでまんがを描いているのも、ひとえに彼女の邪魔をしたくないと思うからだった。ふたりでいるとつい萌え語りが止まらないし、それで割を食うのは、おしゃべりしながら進められる単純作業がないめぐみの方だ。  ――だから、そう、なにを話すにしても、全部、原稿が終わってからのこと。この家で一番優先順位が高いのは締め切りで、次が気に入りのキャラクターに関すること、誕生日を祝ったり、記念日を寿いだり、作中に出てくる料理をつくったり、思いついた新解釈を満足行くまでしゃべり明かしたり、斬新な設定の二次創作を見つけて狂喜乱舞したり、そういうお祭り騒ぎの周辺に、生活とそれに付随する家事、健康管理や仕事の話がくっついてきているのが現状だ。  婚姻関係にある配偶者、とはいっても、きっと家父長制度下のもとつくられた夫婦像とはかけ離れていて、彩里はめぐみのことを、妻とも、奥さんとも呼んだことはなかった。逆も然りだ。恋人同士、というには、恋着も糖度も足りなすぎるのだろうし、趣味仲間との同居、というには、幾分かウェットで重い空気があるように感じられる。――もしかしたら、それは終生の誓いを交わしたところへ、後から生まれ出でたものかもしれないが。  同性の伴侶。血のつながりに頼らない家族関係。制度という新しい器は目に見えるかたちで現れ出でたが、各家庭に真実なにが揺蕩っているのかは、容易にはわからないに違いない。外からはもちろん、中にいてさえ、だ。 「めぐみさん。冷蔵庫にスープが入ってるので、きりのいいところで、よかったら食べて」 「嘘。ありがとう。彩里ちゃんも原稿あるのに……。じゃあ、いただいてから寝ようかな」 「……え、まさか、もう終わったんですか」 「うん」
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