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誰かの話し声がして、わたしは目を開いた。
20年後、36歳のわたしは、どうやら、眠っていたらしかった。
「あ、先生が起きた!」
これは声で分かる。院生の中西君だ。すぐに、彼がわたしを覗き込む。仔犬系ジャニ顔はわたしのタイプだが、アカハラ、セクハラになるので、もちろん態度には出さない。それで冷静に、
「あ、来てたの」
「すいません、お休みになっていたんで、パソコンだけ置いて帰ろうと思ったんですけど」
「なんか、まだ麻酔が利いているみたいで、眠くなるのよね」
そう、まだ、ふわふわした感じがしていて、どこか現実感がないのだ。
「まだ、仕事のことは忘れて、休養された方がいいですよ、先生」
これは、ポスドク研究員の山田さん。癒し系女子で、時々、お菓子を作って差し入れてくれる。
「でも、気になっているのよね、MITのホプキンス教授がもう数日内には論文出すんじゃないかって話も聞いちゃったし」
「まあ、そうですけど」
山田さんが、先生はしょうがないなあと肩をすくめる。
わたしの追っているタンパク質の合成手法の研究はややニッチではあるがそこそこ人気のテーマで、世界中で5から10くらいの研究室がしのぎをけずる。
「だいたい、先生は働きすぎですよ。いったい、いつから休んでないんですか。骨折しちゃったのは大変でしたが、これは間違いなく、神様が少し休むようにと言っているんですよ」
中西君もいつも、わたしの働きすぎを心配してくれる。
「中西君、きみは、ホプキンス教授の回し者?」
「酷いなあ、先生は」
中西君は不満そうだ。
そう、確かにわたしはやたらと体が丈夫で、病気もケガもなくて、休むことなくひたすら研究を続けてきたのだ。
なぜ、この分野に?
うーん、切っ掛けは何だったか。よく覚えていないのだが、とにかくこのテーマに出会い、そしてそこにこのテーマがあったから、わたしは突き進むことにした。
「ホントにでも」
笑いながら山田さんが、独特のほんわかした喋り方でわたしに尋ねる。
「先生、最後にこんなふうにゆっくりしたのって、いつの事です?」
それでわたしは、頭の中を検索する。
さて、どこまで遡ればよいのか。
准教授になって自分の研究室を持ってからは、実質無休(出勤はしていなくても、ずっと研究のことを考え続けている、何か思いつくと夜中でも飛び起きてパソコンを叩く)。
博士課程も、留学中も、引っ越ししたり、飛行機に乗ったりしているときも、その前、修士課程でも、学部の学生の時も、いつでも、ずっと考え続けていて。あ、これは少し「無」にならなくてはと感じると、憑りつかれたようにピアノを弾きまくった。運動不足やばい、と感じると、全速力で泳ぎ続けた。
あれ?
大学よりももっと前だ。
高校か。
そうだ、高校だ。
高校1年の2月から高2の5月にかけて、パンデミックがあった。
あの時、わたしはずっと家にいた。
家族みんなとひたすら家にいた。
それで、寝てばかりいた。
あの頃、わたしの心の中は、ひどくもやもやしていた。
そのことを覚えている。
ああ、記憶というものは一つを取り出すと、絡んだパスタのように、ずるずると細かな部分まで引き出されてくる。あの頃いつも聞いていた音楽や、壁に貼っていたポスターや、友達とやり取りしたSNS(もちろん、個々のやり取りまでは覚えてはいないが)、今より20歳若い家族や友達の姿。
当時抱えていた「もやもや」は、いつしか晴れた。というか、気にしなくなった。パンデミックが収束して世の中が少しずつ動き出して。ハードな日々には絶対戻れないと思っていたのに、わたしもまた少しずつ動き出して、気が付けば何年も休みなく駆け回り続けて、そして20年が経った。
中西君と山田さんは、それからもう少しの間、病室で雑談をして、それで帰っていった。わたしは、中西君が持ってきてくれたパソコンで少し仕事をしたけれど、やはりまだ麻酔の名残りや、痛み止めも飲んでいて、そのせいだろう、何分もしないうちに眠くなってきた。
寝たり起きたりの繰り返し。
20年前と同じだなあ。
わたしは、そう思いながら、目を閉じて睡魔に委ねる。
次に寝てばっかりになる機会は、また20年後かなあ。
その時、わたしは56歳か……。
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