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窮鼠は黒猫の姿を見るか
「にゃあ」
セミが鳴いている。容赦なく照りつける夏の日差しが、ジリジリと皮膚のタンパク質を焦がしている。制服の半袖シャツの中で、しろい肌着が体にまとわりついて気持ち悪い。
陽炎がゆれる。ブロック塀の向こう、誰かの庭の木がざわりとゆれる。大きな木をゆらした風は生暖かくて、僕の体を不快感で包むだけだった。
「にゃあ」
もう一度、彼女がないた。
並んだブロック塀の上、ちょうど木の陰になる場所に、茶トラの大人猫がうずくまって顔だけをあげている。茶トラはひくっと耳を動かして、そしてうにゃ、と低い声でないた。
「にゃあ」
彼女の黒くてながい髪がさらりと風になびく。きんいろに光るまあるい瞳が茶トラを見つめて、その形のいい薄いくちびるがひらっと動いた。
白い肌が日差しを跳ね返す。僕は小学生のころスキー教室に行った雪山を思い出した。彼女の肌の照り返しは眩しく、ゴーグルをしていない僕の目を焼いた。
彼女がふっと振り返って僕を見る。目が合って、あっと思う間もなく僕は彼女の瞳に捕まった。
強制的に視線を固定されて僕は体ごと固まる。あんなにうるさかった蝉時雨が遠くなっていくような気がした。彼女は僕をじいっと見つめている。そのきんいろに光る瞳で、感情の浮かばない顔でじいっと僕を見つめている。
僕は彼女と睨み合う形のまま固まっていたが、しばらくするとなんだかたまらなくなって、ふい、と視線を外した。その瞬間、彼女はくるりと背を向けて道を歩き出す。
まるで魔法が解けたようにセミの声が耳に戻ってきて、陽炎の向こうで彼女のセーラー服の襟がはためいた。
塀の上にいた茶トラの猫は、いつの間にかいなくなってしまっていた。
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