第30話 私と恋愛の練習しない?

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 ぷつり。飴玉の包装を切り、檸檬色のそれを口に運ぶ。  夕焼けの赤に染まる非常階段の踊り場で、嗅ぎ慣れた柑橘の香りが互いの鼻を掠めた。  口内に転がるそれを強引に奥歯で噛み砕けば、綾人くんはたちまち目を見開く。 「……ねえ、武藤くん。あのさ、」  また強い風が二人の間を吹き抜けて、互いの髪が揺れる。  十年前の放課後も、私達は非常階段にいた。  誰も知らない世界の真ん中に座り込んで、見つめ合って、短い髪を風に揺らしていた。 『ねえ、六藤さん。あのさ──』  脳裏に蘇るのは、あの日の君の言葉。 『俺と──』 「──私と、恋愛の練習しない?」  緩めた目尻から涙が一粒滑り落ち、同時に私は(かかと)を高く上げる。檸檬の香りが残る唇を重ねた瞬間、綾人くんは今度こそ大きく瞳を見開いて体を強張らせた。  ちく、たく、ちく。決して止まる事などないはずの秒針も、おそらくその一瞬だけは世界の時を止めたのだろう。一秒にも満たないほんの僅かな口付けの時間が、私にはまるで永遠のように長く感じたのだから。  時が止まった世界の中。檸檬色の口付けを終え、私はゆっくりと唇を離す。自身の頬を伝う涙がぱたりと床に落ちた音で、秒針は再び時を刻み始めたのだと知った。  視線を交える彼は、あの日と同じ人物であるはずなのに、今はもう別の人。 (私の知ってる綾人くんは、もういないんだね)  広がる苦味に表情を歪める。──しかし、その直後。  離れようとした私の体は、突如彼に引き寄せられて再び唇を塞がれてしまった。 「……っ!?」  今度は私が息を呑み、体を強張らせて硬直する。何かの間違いかと思ったが、綾人くんは私を離さない。むしろ壁に背中を押し付けて舌を捩じ込み、更に深く唇を貪り始める。  戸惑う私は想定外の事態に困惑し、荒々しい口付けの隙間でくぐもった声を紡いだ。 「……っ、は……っ、あ、綾人、く……」 「嫌だ……」 「……え……?」  嫌だ、と。鮮明に放たれた言葉。閉じた瞼を持ち上げ、私は綾人くんの顔を視界に捉える。  視線が交わった彼は、その瞳に涙を浮かべ──まっすぐと、私を見つめていた。 「──練習なんて、もう嫌だ……結衣……っ」
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