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「イソップ童話に 賢いキツネが出てくるお話があるの。」
孫は寝たきりの老人に話しかける。
「ある日、年をとったライオンの王は、狩りが出来なくなった。だからこんな御触れを出した。『もし洞窟の中まで見舞いに来てくれた者には、褒美を授けよう。』って。」
「・・・褒美に釣られた動物たちは・・・みんな食べられてしまった・・・」
シュコン シュコン 規則正しい無機質な音と共に酸素を吸い込んだ老人は、跡切れ跡切れに答える。
「そう。でもしばらくして、見舞いに来たキツネは洞窟に入ろうとしなかった。なぜか分かる?」
「あぁ・・・洞窟に入った動物の足跡がたくさん残っているが、洞窟から出た足跡は一つもない。つまり・・・無事に帰れた者はいないことを、見抜いたんじゃなかったかな・・・」
「そうじゃないの おじいちゃん。」
孫はポニーテールを羽衣のように揺らした。
「キツネは 王様を尊敬していたから入らなかったの。」
「・・・どういう・・・ことだ・・・?」
「動物たちは、皆 足跡に気がついていた。気がついていたけど、わざと食べられにいったの。」
「・・・一体・・・何のために?」
パイプ椅子から立ち上がった孫は、午後の光で温められた窓辺で外を眺めた。
「名誉のために。」
「名誉・・・?」
「『こうして、正義感の強い動物は、体の弱った王様を助けるために自らその生命を捧げたのでした。』そうやって後世に名を残したかった。」
再び祖父に向き直った孫の目は、様々なことを知った大人の瞳に成長していた。
「皆 自分の名誉のために、ライオンを利用しようとした。だけどキツネはそんなことしたくないし、するべきでないと分かっていた。その地位が確立されていない頃から キツネは彼のことをよく知っていたし 君臨者として 友人として彼を愛していたから。」
孫は、掃除が行き届いた白い床に目を移した。
「今月に入って 色々な人がお見舞いにくるでしょ?」
「・・・なぜ知っている・・・」
「なんとなく分かる。こんなに床が綺麗じゃなかったから、頻繁に人が出入りして、その度に洗浄されてるのかなって。まるで・・・出入りした痕跡を消すみたいに。」
「・・・お前は・・・昔から・・・頭がよく切れる・・・」
残された力を集め、笑みを作る祖父の手を、孫は強くも弱くもない力でそっと握る。
「おじいちゃん。 本当は こんな話すべきじゃないって分かってる。」
「・・・・・。」
祖父は声を出さず、でも優しい視線で孫を見つめる。
「・・・おじいちゃん・・・あの人達に お金は渡しちゃだめ。いけないことが起こりそうな気がするの・・・信じられないかもしれないけど・・・」
俯く孫の頭を、皺だらけの感覚が触れる。
「・・・そのつもりだよ・・・彩夏・・・。」
その手は 昔のようにとてもごつごつとしていて、優しいものだった。
「私にとって・・・お前は・・・狐以上に・・・賢い・・・」
「おじいちゃん・・・」
色々な感情が混ざり、涙を流さまいと目をつぶる孫を、その手は愛おしく撫で続けた。
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