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「やぁやぁどうもいらっしゃい」
カウンセラー室に入ってきた僕と佳奈に気付いた夕田さんは丸い手を突き出して手招きした。返事の代わりに小さく会釈する。
先生はいつものカジュアルな服装をしてソファに座っていた。ぼさぼさの髪の毛に加えてよれよれの緑の白衣を着ている先生は他の教員と一味、いや二味違う。だから教職員の中で一際浮いているのである。
先生の向かい側に女の子がひっそりと座っている。俯いていて顔がよく分からなかったが、長い黒髪が滝みたく滑らかに肩先へ掛かっていた。中三専用の黄色い胸元リボンを着けていたので、とりあえず年上の人と判断する。
「昼岡美麗サンだ。君達に会いたいと俺に言ってきたからこうして場を設けたわけだ」
昼岡と呼ばれた女の子はゆっくりと顔を上げた。僕と目が合う。暗く淀んだ目の奥に星の如く澄んだ小さな光を宿していた。長いトンネルを抜けた眩い日差しをふと思い出す。
「こっこここんにちは」と佳奈が元気良く挨拶した。初対面同士だからか僕と話す時より随分と緊張しているみたいだ。しばし昼岡さんの返答を待つ。
しかし彼女は返事をせずに僕達を穴が開くほどじっと見つめている。その鋭い視線は何かを強く強く訴えかけているようであった。
「昼岡サンは学校にいる間は一切喋れないんだ。場面緘黙症と言えば分かるかな。ちょうど夜野クンの吃音をこじらせたようなものだよ」と先生がな滑らかに説明する。なるほどと深く頷く。さっきの昼岡さんの態度に合点がいった。
場面緘黙。例えば学校のような「特定の状況」で一か月以上声が出せない症状のことを言う。どれくらいの期間喋っていないのか見当もつかないが、少なくとも普通の吃音より何十倍も苦労しているだろう。まだ話せるだけ吃音の方がマシかもしれない。
どう接していいか全然分からない。黙り込んでしまった僕達を見て、昼岡さんは先生の方を向いて目配せをした。先生は同意するようにちょっとした相槌を打つ。
「まぁ立ち話もなんだから座ってなさい。俺はお茶でも淹れてくるわ」
事前から示し合ってたかのように立ち上がって、先生の姿は流し台に消えた。どうやら夕田さんレベルになると生徒間とテレパシーが使えるようだ。他の超能力も使えるかもしれない。
昼岡さんは細い腕を伸ばして向かい側のソファを差す。なんでもないごく普通の行為であったが、ひどく上品に見えた。あたふたしていた佳奈はすでにソファに腰掛けようとしている。僕は先生の心遣いに感心しながら足を進めた。
僕と佳奈は長方形のガラス窓を背にして場面緘黙症と真向かう。日々喧騒であふれているクラス内とは全く違う、落ち着いた静寂の時間が悠然と流れていた。
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