第二章①朝昼夕夜

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 昼岡さんは姿勢良く座ったまま、長いスカートのポケットに手を入れて中を弄っている。茶色の四角形をそこから取り出し、黙って僕達に手渡してきた。佳奈が「カッコいい」と感嘆の声を漏らす。  大人が使いそうな分厚いビジネスメモ帳だ。指で表面を優しくなぞる。本革の手縫い製品なのだろうか、安物にはない品の良い手触りをしていた。僕が持っていても上手く使いこなせそうにない代物だ。  開けてもいいのかと昼岡さんに目で問いかけると、無言で首を縦に振る。綴じられた紐を解いて佳奈と一緒に中を覗く。  書き殴ってはいたものの、宝石を散りばめたように端麗な筆跡がそこにはあった。 「皆様初めまして中三の昼岡美麗と申します。場面緘黙を発症していて、学校では思うように喋れません。そのためこのような形でお話させて頂きます」  全く喋れない人は、意思伝達が文字に限られるんだな。同情の念を浮かべてさらに読み進める。 「クラスに馴染めなかった私は中一から引き込もるようになり、半ば不登校になりました。そんな私に声を掛けたのが夕田先生です。先生は親身に相談に乗って下さって、大変元気づけられました。そしてカウンセリング室なら登校できるようになりました」  となると彼女は僕より夕田さんとの付き合いが長いんだな。僕がもっと足繁くここに通っていたら、昼岡さんに会えてたかもしれない。  ページを捲る。辞書のようにぬめり感があって触り心地がよい。 「つい先月のことでしょうか。私は一時間ほど遅刻して、いつものようにカウンセリング室へ登校しようとしました。すると貴方達がちょうど出ていくところだったのです。どなた達なのか気に掛かりましたが、声は掛けられませんでした」  カタリと音を立てて茶飲み茶碗を乗せたお盆が長机に置かれる。慌てて立ち上がろうとした僕を先生は首を振って制止した。 「まだ読んでんだろ。急がなくていい」そう言って茶碗をみんなに配り始める。せめてお礼はしたいと思い、目を合わせてお辞儀した。「いつも出すお茶より高いヤツだぞ」と表情を崩して僕の所に茶碗を置いた。  配り終わると、先生は昼岡さんの隣に腰を下ろした。大柄な体と細身の体が同じソファに座っているのが妙にアンバランスであった。    昼岡さんはというと、先生と一緒にのんびりとお茶を飲んでいる。よほど仲が良く見えるので、まるで父娘みたいと言っても過言ではない。 「早く続きみせてみせて」と佳奈が袖を掴んで催促してきた。とはいっても、お茶を目の前で美味しそうに飲まれると僕も追随したくなる。  一旦無視してお茶を一啜りすると、今度は思い切り小突いてきた。計らずも緑色の液体を吹き出しそうになった僕を見て、先生は大袈裟に体を震わせて笑った。もう一回突かれては困るので先を読むことにする。
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