第一章①おはようと言わせて

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 僕こと夜野涼介(やのりょうすけ)は今朝、中学校の校門前にいる先生達の挨拶を素通りしたのを思い出す。体育会系の怖い先生は明らかに僕を睨んでいたはずだ。  僕は挨拶も返せないのか――とうんざりして机に頬杖をつく。席の周りでは、ひっきりなしに「おはよう」が飛び回っている。  始業前のクラスはいつも通りのことだが騒々しい。まるで気が狂った動物達が一斉にパレードをしてるかのようだった。無論参加するつもりはないが。うんざりして窓際の席から外を見る。  校庭の隅には、もう葉が一枚もない裸の木が冬の木枯らしの中、寒そうにひっそりと立っている。三階から見た木はいつもより一回り小さく見えた。そして、孤独な点では僕となんら変わりなかった。  いつもの空想の世界に逃げようとしたが、あまりの喧騒さに中断させられる。他にやることも特にないので、安物のリュクサックに顔をボスンと埋めて担任の先生が来るのを待つ。ただ待つ。  僕が吃音、いや詳しく言うと難発性吃音(なんぱつせいきつおん)だと診断されたのは小四の頃だ。   僕の場合は初めの音、特にア行とタ行から始まる言葉がすぐに喋れなくなる言語障害だ。  両親が離婚してから吃音になったので、どうも環境要因らしい――と吃音外来の先生は診断した。  弱気な母は診察後、泣きながら僕に謝ってきた。離婚は元々父親のDVが原因だったので、全く責める気にはならなかった。それよりも、迷惑をかけてしまった母親への申し訳なさでいっぱいだった。  上手く喋れなくなったのは小三の後半だったはずだ。でも何が起きてるのかは全く分からなかった。加えて小四の時からは、死にたくなるほど悲惨だった。嫌な記憶を思い出したので、さらに顔を深く埋める。  思うように言葉を発することが出来ない僕はクラスの皆にいじめられた。  しょうがいしゃ。ドモ君。キチガイ。全て僕のあだ名であった。童心を持つ小学生から見た僕は、さも変人だったであろう。机への大量の落書き。集団無視。教科書を捨てられるのは日常茶飯事。    胸糞悪い思い出を払拭するかのように、体を起こしてペン回しを始める。廊下の足音に耳を澄ます。先生はまだ来ない。  ……結局、母の心配を振り切って地元の公立中学校に進学した。それは、転校は負けた気がするし、なにより環境を変えたら吃音が悪化するかもしれないからだ。  だから顔見知りの奴らが沢山いるが、なぜか全然いじめて来なくなった。馬鹿のくせに内申点でも気にしているのだろうか。  ペンを回転させすぎてロケットのように飛ばしてしまう。大きく転がり、よりによって僕が一番嫌いな奴の机の下に落ちる。僕は大きなため息をついた。とても面倒臭いことになってしまった。
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