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②私の名前を言わせて
いつも来る時間から10分程度遅れて、ようやく先生が急ぎ足でやって来た。
スマン、スマン。と両手で謝りながら、まだ若い先生は教壇に立つ。が、廊下をチラチラと見ている。どうやら何かあるようだ。出席簿を教卓に置き、口を開いた。
「えークラスの皆さんに新しいお友達を紹介します。仲良くしてあげて下さい」と言って、廊下にいるらしき転校生に声を掛け、手招きをした。
ドアを開けて、転校生が肩掛けバックをしょったまま俯きがちに入ってくる。ポニーテールの女の子だ。先生に連れられて教卓の前に立つ。ゆっくりとバックを床に下ろした。
クラスの好奇の目線が虫眼鏡のように一気に少女に集まる。とても緊張しているようだ。肩で何度も呼吸しながら、スカートの裾を両手でがっしりと掴み、小刻みに震えていた。騒がしかった教室がスッと静まり返る。
やがて意を決したように喋り始めた。
「あっああっあっ朝霧佳奈です。よっよよっよよよろしくお願いします」
クラスのみんなは面食らった、ただ一人僕を除いて。僕は頬杖を止めて、背筋を伸ばしたまま彼女をじっと見つめる。
例えるなら、彼女は小柄なのでリスだ。目がクリッとした可愛らしい目をしていた。ポニテの尻尾は茶色がかった髪の毛で綺麗にまとめられて、うなじへカールしている。丸い頬の赤らめが、薄い白肌に映えていた。
他人にあまり興味を持たなかった僕だが、なぜだか彼女の持つ何かに強く心が惹かれていた。
彼女のが連発性吃音であることはすぐに分かった。吃音に三種類あることぐらいは、小学生の時から知っている。
一つ目は連発性吃音。ちょうど彼女みたいに初めの音を繰り返してしまう発話障害だ。
二つ目は伸発性吃音。「あーーーりがとう」のように最初の音を引き伸ばしてしまう発話障害である。
そして三つ目は難発性吃音。「……ありがとう」のように言葉がうまく出せずに、間が空いてしまう発話障害のことだ。僕のように、症状が酷い時は全く喋れなくなるケースもある。
クラスのみんなは黙り込んでいる。小学校の同級生の何人かは僕の方をジロジロと見てくる。
だんまりを決め込むことにした。正直に言うと助けてあげたい。しかし喉に、出したい声が泥のようにへばりついて何も喋れないのだ。助けを求めて先生を見つめる。
先生は腕組みをしながら、困った顔でこう言った。
「ふざけてないで、ゆっくり落ち着いて話して」
スリーアウト。野球なら攻守交代である。僕は先生という名の動物に期待した自分に失望しながら、先生をじっと睨んだ。
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