凱旋公演

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凱旋公演

「本日のゲストは、ジャズシンガーのアリエルさんでーす! ようこそ、いらっしゃいましたー!」  県内全域に流れるFMラジオ局の情報番組に、20分間のゲスト出演。  収録スタジオの正面には、人気パーソナリティのDJジュンヤさんが明るい笑顔を向けてくる。茶髪をソフトモヒカンにし、綺麗に日焼けした肌。吊り上がった細い眉の下の二重はくっきりとしている。Tシャツの下の体型も筋肉質で、全体的にスポーツマンのような印象だ。本番前の挨拶では、どんなジャンルの音楽も幅広く好きだと言っていたが、よくあるリップサービスだろう。  紹介されて、私は笑顔で会釈した。最低限の緊張だけで、基本は自然体。芸歴30年ともなれば、メディアへの露出も慣れたものだ。 「ありがとうございます。よろしくお願いします」 「いやぁー、ハスキーボイスが堪りませんねぇ! まずは、その美声を1曲聴いてもらいましょう。『naturally(ナチュラリー)』」  左耳に付けたイヤホンから、ピアノの旋律が聴こえてきた。アルバムの1曲目、ワインのCMに使われているから、視聴者にキャッチーなんだろう。  正面の彼に倣って、マイク台のつまみ(カフ)を下げ、こちらからの音量を消す。 『はい、3分30秒まで流します。曲明け、アルバムの紹介になります』  音楽に重なって、番組ディレクターから進行の指示が入る。ガラス窓越しの隣室には、髭面のディレクター氏の他に、A D(アシスタントディレクター)の女の子と、私のサブマネージャーの杉本君の姿が見える。 「俺、アリエルさんのファンなんス。後でサインもらっていいっスか」 「まぁ、ありがとうございます。もちろんですよ」  確か30代後半のパーソナリティは、ニカッと砕けた笑顔を見せた。 「明日のチケット、取れなかったんスよ。残念っス」 「あら。後で杉本に空きがないか訊いてみましょうか」 「えっ、いいんスか? 嬉しいなぁ」  呆れるほど、よくある展開。こういうメディアの人間は、自腹でチケットを買うことなんかないクセに。ビジネススマイルで頷いた時、イヤホンから「曲終わり」の合図が入り、カフを上げる。 「いやぁ、本当に素敵な曲ですねぇ! CMでもお馴染みかと思いますが。アリエルさんは、先月、この曲を含むアルバムを出されたんですよね」 「はい、4年振りになります」  アルバムについて一頻りの宣伝を終えると、彼は進行表に視線を落とした。 「ところで、アリエルさんは、実は、ここ朝川市の生まれなんですってね!」 「ええ。高校まで暮らして居ました」 「高校生の頃には、もう活動されていたとか?」 「ライブハウスとか……ライブバーでも歌ってました」 「えっ、高校生でライブバー? ヤバいなぁ!」 「ふふ。もう時効です」  年齢を誤魔化して通っていた。そこで恋もお酒の味も覚えた……のは、懐かしい想い出。 「その後、単身、アメリカに渡って……」 「ええ、N Y(ニューヨーク)NOLA(ニューオリンズ)で修行しました」  私の経歴の上っ面をなぞっていく。30年を辿るには、時間も関心も浅すぎる。  音楽は、私の血肉だ。そう信じて、この道を選んだ代わりに、私は肉親との絆を捨てた。16の秋、家を出た。当時付き合った男性の家に転がり込んで、ライブバーで働きながらステージをこなした。そこで知り合った音楽業界の男性の口利きで東京に出たものの芽は出ず、なんの当てもなく強引に渡米するまでには、更に10年の下積みがあった。  視聴者の耳触りが良いように、かいつまんで語られるサクセスストーリーには、真実の澱の欠片もない。 「それでは、アルバムの最後の曲『for you』を聴きながら、お別れしましょう。本日のゲストは、アリエルさんでした! ありがとうございました!」 「ありがとうございましたー」  私はカフを下げる。1番が終わると間奏に乗せて、彼は明日の夜ライブがあること、チケットは完 売(ソールドアウト)になっていることを伝えてくれた。 『はい、2分間、CM入ります! アリエルさん、お疲れ様でした!』  ディレクターの合図で、ジュンヤさんがカフを下げる。短く挨拶を交わす中、ADちゃんが入ってきて、私を退室するよう誘導してくれた。ラジオブースを出る時には、彼は傍らのミネラルウォーターをゴクゴクと飲んでいた。
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