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子守唄
満席400人の観客から、波のような拍手を受ける。地元凱旋ライブは、大盛況の内に終盤を迎えた。先月出したCD収録曲を中心に構成したプログラムだが、デビュー当時の懐かしい曲やジャズのスタンダードナンバーも織り交ぜている。そして最後の――アンコール曲には強い拘りがあった。
1度袖に戻って、ミネラルウォーターを流し込む。浮かんだ汗をタオルで押さえて、再びステージの中央へ向かう。一際、拍手が大きくうねる。ああ……この時間が終わってしまう。充実感に伴って、なんとも言えない寂寥感が漂うのも、ステージの醍醐味だ。
「今夜は、本当にありがとうございます」
ワアァ……と拍手がさざめく。デクレシェンドを待って、私はマイクに唇を寄せる。
「最後の曲です。この曲は、私の曲であり……私の母の曲でもあります」
400人の観客が、シンと静寂を作る。
「母も……ジャズシンガーでした。私は、彼女のお腹の中でジャズに出会い、彼女が与えてくれた子守唄もジャズでした」
ミサト、という名前で1枚だけレコーディングをしたと聞く。けれども、私が物心ついたときには、音源は家になく、母も――歌うのはスタンダードナンバーばかりだった。彼女が自分のオリジナルを封印した理由が、父との確執のためだと知ったのは、もっと後になってからだったけれど。
「唯一、彼女が私に残してくれたオリジナル曲があります。私の子守唄の1つで……」
父は音楽教師だった。プロピアニストの夢が断たれた後、この街の高校で教鞭を取っていた。母は、教え子だったそうだ。互いの才能に惚れ込み――それはそれは熱愛だったと、母の親友の女性から聞かされたことがある。
歯車が狂いだしたのは、いつのことだったのか。
母は、才能を試したいと、夢を諦められなかった。飛び立つ翼を恐れた父が、彼女を娶り、私という「かすがい」……いや、「楔」を設けても、彼女の風切り羽根を断つことは叶わなかった。
私が6歳になる前に、彼女は家を出た。渡米した、と存命中に母方の祖母から聞いたが、本当のところは分からない。
「旋律しか覚えていない子守唄を、いつか曲として歌いたいと思っていました。でも、歌詞が……母の想いに重なる歌詞を、私はずっと探していました」
それは、偶然だった。昨年、祖母の葬儀が済み、遺品整理をしていた時、仏壇から母子手帳が見つかったのだ。古ぼけたピンク色の母子手帳。親子のハトの絵が寄り添う表紙を捲る。母の名、美里。父の名、泰洋。子の名、有得。
パサリ
母子手帳の間から、黄ばんだ紙が落ちた。折り目もくっきりと畳まれた紙を開くと――。
「歌詞はありました。あの子守唄は……」
続く静寂。私は、大きく深呼吸する。
ねぇ、ママ。
どこかに居るのなら、今の私を見ているでしょ。きっと……ずっと側に居てくれたのよね。
「今夜は、本当にありがとうございました。最後の曲です……『for you』」
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