序 章

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序 章

「啓ちゃん。まだ、着かない?」  この質問は何度目だろうか。  尋ねられる方もうんざりとした顔をしている。   先ほどから視界に入るのは緑の濃くなった木、大きな岩場の川、耳かきの梵天のようなふわふわの花が咲いたねむの木。  時折民家が見えるがすれ違う車もごくわずか。くねくねの一本道を示して何も言うことはないとカーナビもとうとう黙り込んだ。 「まだしばらくかかりそうだな」 「のどかというより、ど田舎だな」  返る答えも先ほどと同じ。変わらぬ景色に感心するような声しか出ない。  最初のうちは旅行気分で鳶色の目をキラキラさせて秘境感を楽しんでいたのだが、変わらない車窓の景色はいい加減にその見飽きた。 「……景色が変わらなすぎる」  げんなり呟くのは栗色の髪と鳶色の目の人懐っこそうな二十歳そこそこの青年。名前を天野京介(あまのきょうすけ)という。 「仕方がない今から行くのは秘境だからな」  前を向いたまま表情一つ変えずさらりと答えるのは黒髪に射干玉色の目。  年のころは三十代半ばほど、少しばかりひんやりとした雰囲気の男である。こちらは高瀬啓一郎(たかせけいいちろう)。 「秘境って言うか隠れ里なんだろ?」  時折休憩を挟みながらカーナビが指示した道を走り続けている。というよりほかに道はない。山奥の一本道はいくら進めども変わり映えしない。 あまりの変わらなさにいい加減に嫌気がさしてきた。 「あながち間違っていない。平家の落人(おちゅうど)が暮らしていたという里だからな」 「平家の落人……って今回の仕事って平家狩り?」 「今さら狩ってどうするんだ?」  京介の面白がるような声に冷たく睨まれた。 「じじいがそんなことを言ってたような気がしたんだけどな」 「平家落人の里と言っていただけだ」  壇ノ浦の戦いに敗れ落ち延びた残党が暮らしたと言われる郷。  日本三大秘境の一つ宮崎県の椎葉村(しいばそん)。  東洋のマチュピチュと称される本物の秘境である。日本各地に平家の落人伝説があるが、椎葉も平家の姫鶴富(つるとみ)が落ち延びた地として知られている。  二人がそこへ向かっている理由は観光ではない。仕事だ。  彼らの仕事は陰陽師と鬼狩り。表立っては言えない仕事だが身分は公務員扱いである。 「何で俺も一緒なんだよ。愛想がいいとか適当におだてといて、啓ちゃん一人で充分じゃないのか?」  京介は仕事を振って来た相手を思い出して頬杖を突いてぼやく。 「お前を放っておけば問題しか起こさないからだ」 「……要は厄介払いかよ」 「そういうことだ」  げんなりと呟いた京介に当然と鼻を鳴らす。  藍の空に散りばめた満天の星。  空に浮かぶは愛逢月(めであいづき)。  ――ひとめ見たしと、いつむる鶴の()う叶え。  ――鳴るや鈴の思い込め、振るえ遠く願いゆき届く。  風が木立を薙ぎ、沸き立つのは潮騒の音。  ちりんと甲高い鈴の音が闇に溶ける。  時を経て幽遠(ゆうえん)の地で焦がれ希求(ききゅう)する。
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