《7月16日、朝。T・T事務所兼リビング。タクミ》

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《7月16日、朝。T・T事務所兼リビング。タクミ》

 新居に越してきて二週間が経つ。ここでの生活にもなれてきた。  その間、事務所に入ってきた依頼ときたら、ペット探しが六件と、超能力による盗難被害が一件。どれもかんたんな仕事で、一日でカタがついた。 「——はい。はい。愛猫のリリーちゃん。生後十ヶ月のミニチュアラグドール。メス。三日前から行方不明なんですね? では、まず一度、お宅にうかがわせていただいてですね。リリーちゃんの愛用のオモチャか寝床でも見せていただきたいんですが……えっ? 画像じゃダメなんですよ。リリーちゃんの残した念波を感じないと追えないので。ああ……これからお仕事。ご都合が悪ければ、ご自宅でなくてもかまいません。どこかで落ちあうことができれば。はい。じゃあ、十二時にシャンゼリゼ通りの『ヌイ・ド・ボヌール』で。そのとき、リリーちゃんの愛用品をお持ちください。いつもお使いならキャリーバッグでもよろしいですよ。そのままお貸しいただければ、保護したときに役立ちますから。お支払いは電子小切手か、プリペイドカードでお願いいたします。はい、助手一名と参りますので、一人一日百ムーンドルで……そうですね。一日で見つかると思います。経費はそちら持ちですので。はい、あと払いでかまいません。ご連絡先は……」  タクミはテレビ電話を切った。朝一番に起こされて、受けた依頼はまたもやペット探し。 「うちってなんでペット探しの依頼ばっかりなんだろう。そりゃ、エンパシストやサイコメトラーのほうが動物は探しやすいけどね」  アクビをしながらキッチンに入ると、タクミのお古のアニメキャラのパジャマを着たユーベルが、カリカリに焼いたトーストに、タクミの好きなマーマレードジャムをぬってくれていた。スクランブルエッグもついてる。これと野菜ジュースで朝の栄養バランスはバッチリだ。 「あんたが犬猫ひろってきては、里親探してるからだよ。うちってペットコンサルタントだと思われてるんじゃないの?」 「うう……」  責めるようにいわれて、タクミは反論の余地なく、トーストにかぶりついた。  わかってはいるのだが、すて犬やすて猫を見ると、どうしてもほっとけないのだ。今にも死にそうな猫のエンパシーを感じて、霧雨のなかを何時間も探しまわったこともある。おかげで今では子犬と子猫のしつけはブリーダーなみだ。 「うーん。ホームページには探偵事務所って書いてあるんだけどね」 「まあいいんじゃないの。ペット探しはラクで安全な仕事だから」  ユーベルは人間が苦手なせいか、動物には優しい。子猫といっしょにベッドで丸くなっているところは、たいそう微笑ましい。 「じゃ、午前中は君の勉強、見てあげるよ。だいぶ進んだよね。これならもう半年もしたら、同い年の子に追いつくね」  今は通信教育だが、大学入学資格(バカロレア)をとったあかつきには、大学くらいは行ってもいいのではないだろうか。そのころには、きっとユーベルも社会になじんでいるはずだ。同じ年ごろの少年少女と学校生活を送るのは、ユーベルのために有意義な経験となるはずだ。  のんびりした半日をすごし、昼前に二人は出かけた。  ディアナの地図は、かつてのヨーロッパのパッチワークみたいだ。シャンゼリゼ通りと言っても、地球のパリの配置ではない。  ディアナのシャンゼリゼは国際宇宙航空ステーションの地上ゲートから、まっすぐ東南に走る目抜き通り。付近には銀行や各種のオフィスビルが多い。以前、タクミたちが借りていた事務所もその近くだ。勝手はよく知っている。  リラ荘は閑静な住宅街にあるため、指定のカフェにはタクシーで十分ほどかかる。携帯パソコンからエアタクを呼んだ。待機所からタクシーが来るまで、一階のエントランスホールの長椅子にすわって待った。 「ヌイ・ド・ボヌールって、シェリルがウェイトレスしてるとこじゃないの?」と、ユーベル。 「そうだよ——あ、どうも、こんにちは。ここにお住まいのかたですか?」  ちょうど表口から入ってきた老婦人に、タクミはあいさつをした。が、老婆はその瞬間に凍りついた。買い物カゴをとりおとし、リンゴがタクミの足元までころがってくる。 「すみません。急に声をかけて、驚かせてしまいましたね。僕、この前、三階に越してきた、タクミ・トウドウです」  タクミが急いでリンゴや缶詰をひろいながら言うと、老婆はコクコクうなずき、涙をこぼす。 「大丈夫ですか? 僕、おすまいまで送りますよ。荷物、持ちますね」  老婆の部屋は、表口に一番近い一階の北側にあった。部屋の前でタクミは買い物カゴを返し、老婦人と別れる。  表にタクシーが来ていたので、タクミは戸口で立ちつくしている老婦人に手をふり、外へ出ていった。 「ああ、ビックリした。心臓発作でも起こされるんじゃないかと思ったよ。これからは気をつけよう」  ユーベルは妙な顔をしてふりかえっていたが、タクシーのドアをあけたまま、タクミが待っていると、急いで駆けてきた。  そのあと、カフェには約束どおり十二時前につくことができた。 「いらっしゃーい。タクミ。奥の席あいてるわよ」  めざとくタクミを見つけて、シェリルがよってくる。  ユーベルが二人のあいだに割りこんで、タクミの腕をつかんだ。 「もう依頼人、来てるんじゃないの? ほら、あの窓ぎわ」  おっしゃるとおりだったので、タクミはふくれているシェリルを片手でおがんで、テレビ電話で見た依頼人のもとへ歩みよった。 「お待たせしました。ゲルダ・ブルデンさんですね? タクミ・トウドウです」  依頼人はいかにもやり手のキャリアウーマンで、年齢は三十代。すっきりカットした髪は濃い藍色。瞳は猫みたいな琥珀色だ。猫探しの依頼だが、本人も猫っぽい。 「私が早く来たのよ。仕事の切りがよかったから」  彼女はすでに注文のランチを半分片づけている。タクミたちがむかいの席にすわると、事務的に契約の処理をした。契約書にサイン。リリーちゃんの写真、キャリーバッグの受け渡し。 「じゃあ、一日も早く見つけてね。うちのリリーちゃんはさみしがりやなんだから」  さらっとパスタをたいらげて去っていく。自分の支払いだけ、きっちりすませて。 「探偵におごる筋合いはないわけか。失敗できないタイプの依頼人だなぁ。僕、ああいう人、苦手なんだよね——ユーベル? なんか感じる?」  ユーベルはむかいの席に置かれたキャリーバッグを射的の的のようににらんでいる。 「うん。今は……ハイドパーク。けっこう元気に冒険してるよ。さみしがりやっていうより、かなりオテンバだけど」 「エサはどうしてるんだろう?」 「通りすがりの人から貰ってる。ソーセージとか、サンドイッチとか」 「あ、よくない。人間の食べ物は猫には塩分強すぎる。チョコレートとか、猫に悪い食べ物もあるしね。早く見つけてやらないと肝臓傷めるぞ。ハイドパークか。すぐ行こう」  依頼人の住居は東区と中央区の境くらい。ハイドパークは中央区と南区のあいだだ。五キロほどの距離である。三日でよくそんなところまで移動したものだ。  月面都市の猫は地球サイズの半分から三分の一なのだ。食料事情が今より悪かったころ、経済的なペットとして、遺伝子操作で改良されたミニチュアサイズの犬猫が流行し、今も流通している。リリーのキャリーバッグも虫カゴほど。 「タクミ。昼ご飯は? お腹すいたよ」  ユーベルにせがまれて、タクミは観念した。正直言うと、ハイドパークで屋台のホットドッグでも買ったほうが安くつく。 「わかったよォ。好きなの頼めよ」 「じゃ、ぼく、ランチステーキセットね」 「高いの選ぶなぁ……」  厳しい依頼人の手前、ここは経費で落とせない。二人の一日ぶんの経費に近いくらいのステーキを自腹で払った。と言っても、ユーベルの食費は月々、彼の両親から受けとっているのだが。  昼食をすませてから、ハイドパークへタクシーでむかった。エアタクは反重力で浮かぶカプセル状の乗り物だ。個人では車の所有を認められていないので、道路はたいへん、すいている。公園入口についたのは一時ごろ。 「あっ、タクミ。ちょっとマズイ。移動し始めてるよ」  小さな体で元気いっぱいとびはねるチビ猫の映像を、ユーベルがエンパシーで伝えてきた。そこから猫の脳波をひろって、タクミはエンパシーで呼びかけてみる。猫には人間の言葉はわからなくても、感情をそのまま伝えるエンパシーでなら、意思の疎通がとれる。 『リリー。どこ行くの? ご主人が心配してるよ。いっしょに帰ろう?』  依頼人の顔を送ってみると、リリーは立ちどまってキョロキョロし始めた。飼い主を探しているのだ。 「よし。今だ。急ごう」  脳波を個体別にエンパシーで追うのは、相手が人間でも難しい。体の小さな動物ほど脳波も弱くなるので、手乗り猫一匹を大勢の人間が往来する公園のなかから探しあてるのは至難の業だ。 『リリー。出ておいでよ』  ときおりエンパシーで呼びかけながら、公園のあちこちを右往左往する。 「ああ、ダメだよ。タクミ。だんだん気配が遠くなってく感じ」  どうもリリーは目的があって移動しているようだ。  しょうがなく、タクミは依頼人に連絡をとった。 「お仕事中、すいません。トウドウです。今、ハイドパークにいるんですが、リリーちゃんがこの近辺で行きたがる場所はありませんか?」  カードパソコンの小さなモニターに映るキャリアウーマンは会議中のようだ。が、愛猫のことは心配らしい。 「ハイドパーク? じゃあ、きっと前の家ね。じつは一ヶ月前に今のところに引っ越して、以前の家がそのそばなのよ」 「そこの住所を教えてください」  所在地を聞いて電話を切った。 「南区の入りがけだ。南出口へ行ってみよう」  タクミはユーベルをつれて走りだした。
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