《同日、午後十時すぎ。ディアナ東区ダニエル宅。ダグレス》その一

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《同日、午後十時すぎ。ディアナ東区ダニエル宅。ダグレス》その一

 ダグレスたちが東区のダニエル宅についたときには、十時をまわっていた。  お菓子の家みたいなダニエルの家は、中世ヨーロッパ風の可愛らしい町並みの住宅街の端にある。亡くなった両親から受け継いだのだという。親から遺されたものなど何もないダグレスには羨ましいかぎりだ。  母子家庭で育ったダグレス。その母もダグレスが十五歳のときに死んだ。セラピスト協会に保護されて、二年間を病院ですごした。そのあとも数年、通院を続け、セラピーを受けながら、必死に自分の生きる道を探してきた。  このごろ、ようやく自分の居場所を見つけられたように思う。自分の能力をプラスに活かせる仕事にめぐりあえたからだ。最初は税関の検察官としてシティポリスからスカウトされた。だんだんに危険の多い事件にかかわるようになったのは、罪ほろぼしのつもりなのかもしれない。あのとき、心ないひとことで、母を死なせてしまったことへの。 「やあ、どうも、みなさん、いらっしゃい。両親がクローニング反対派だったものでね。子どもは欲しかったがずっと不妊治療せずにいたら、百歳になってもできなかったわけですよ。これではいけないと遅まきに気づいて、二人のDNAからデザインされたのが僕です。だから、僕が二十歳になる前に二人とも逝ってしまいまして。今はさみしい一人暮らしです。カードが友達って言ったらひかれるかもしれないけど、これがぬけだせないんですよ——ま、あがってください」  じょさいなく屋内へ導くダニエルは、どこにでもいるような平凡な青年だ。とりたてて風采がいいわけでもなく、悪いわけでもなく、中肉中背で目立たない。年は三十になっているだろう。  職業はホログラフィックスのカード製作販売会社の営業だという。ただし、本家本元の大手ホログラフィックス社ではなく、その子会社だ。  ダニエルはダグレスとタクミ、ユーベルの三人を、キッチンと対面式のリビングルームへ通した。自分はキッチンへ行き、壁にはめこみのコーヒーメーカーにカップを次々、四つ載せる。カップを載せると挽きたてのコーヒーがいつでも注がれるようだ。一般家庭にしては、なかなか贅沢な造りだ。 「ミラーさんはブラックでよかったですか? タクミとユーベルくんはミルクと砂糖だな」 「うん。僕、口がお子ちゃまなんだ」 「何言ってるんだ。精神年齢もお子さまだろ」 「ああっ、言ったなぁ。君だってそうじゃないか!」  友人同士、仲よくたわむれているように見えるが、ダグレスにはどうも気になることがある。この前のパーティーのときは大勢いたし、もっと怪しげな人物がほかにいたので、あまり注意していなかった。しかし、ダニエルはタクミより、つれのユーベルのほうが気になるらしい。会話中もしばしば、光るヒドラ少年を盗み見る。エンパシーで読んだ感じでは、ダニエルはゲイではないようなのだが。  視線を感じたのか、ダニエルが問いかけてくる。 「ミラーさん。聞いてもいいですか? ミランダの件はどうなったんですか? やっぱり事故ですか?」 「ああ、それは僕も気になっていました」  タクミとダニエルにダブルで聞かれて、しかたなく、ダグレスは聞きとりの前に、こっちの情報をリークする。 「事故と断定されました。やはりあの建物の一部は道路面との重力装置の折りあいが悪く、月重力が働かない部分がありました。運悪く、ちょうどその部分に落ちてしまったわけです」 「ついてなかったんだなぁ」  しんみりと、タクミがつぶやく。が、となりでユーベルの指がピクリと動いた。ヒドラの触手がざわめいている。 「事故……?」  かすかなその声は、ユーベルに注目していたダグレスにしか聞きとれなかっただろう。 (この少年はサイコメトラーだったな)  過去を見る能力で、事故ではない何かを感じとったとでも言うのだろうか? (まさか、他殺だとでも?)  それは絶対にありえない。  リラ荘のすべての住人に会ったが、誰一人ミランダを知らなかった。事故当日の行動に不審な点はなく、虚言もなかった。建物の外からの侵入者もなく、パーティーに来ていた友人たちには全員アリバイがある。他殺だとしたら完全なる不可能犯罪だ。 (全員? ほんとに全員か? そう言えば、あの医者……)  ラリックという再生医師。  彼はダグレスより、ひと足さきに退去している。ダグレスが廊下へ出たときには姿かなかったから、となりの自室へ帰ったのだと思っていたが、あるいはそのあいだに非常階段をかけあがっていたのでは? 時間的に言えば、ミランダの死亡推定時刻にまにあう。  とは言え、ラリック医師がミランダを殺す動機はどこにもない。彼もまたミランダとは初対面だ。 (あの医師、最初に紹介されたとき、私が刑事だと聞いて、わずかに緊張した。あれは犯罪者の反応だ)  怪しいと思っていたのは事実だ。 (まさか、あの医者が……?)  思案にふけるダグレスに、タクミが首をかしげて話しかけてくる。 「ミラーさん。カードの話はいいんですか?」 「ああ……この番号がホログラフィックスカードとして存在しているのか教えてもらいたい。むろん、これは極秘情報なので、決して他言しないと約束してほしい」  タクミとダニエルはすぐにうなずいた。ユーベルはあさっての方向を見ているのでほっておく。タクミたち二人にだけ見えるようにして、ダグレスは連続殺人犯が六件の殺人現場に残した血文字の画像をカードパソコンのモニターに映しだした。  一般人はたいてい、時計やアクセサリーなどのウェアラブル型端末を身につけているが、エスパーはESP電波で故障させる恐れがある。特殊な保護ケースに入れておけるカード型のパソコンを持つことが多い。ダグレスの場合は、これが刑事としての身分証もかねていた。 「これです」と、モニタを彼らの前にさしだすと、ダグレスが興奮した声を出す。 「あっ、ほんとだ。たしかにホログラフィックスの品番ですね。ちょっとメモしてもいいですか? すぐ消しますから」 「どうぞ」  ダグレスが了承すると、ダニエルは電子ペーパーにアルファベットと数字のまざった六つの暗号を記した。それから一人で席を立ち、いくつかの機器を運んでくる。A4サイズのファイルブックやケースなど、それに十センチ角のキューブ状の機械。ホログラフィックス用映写機だ。 「これが僕の全財産です。いや、大げさでなく。このなかに僕の集めたカードのバックアップが全部入ってるんだ」  ダニエルはファイルブックなどを卓上に置いた。  電磁波を遮断する保護ケースをあけて、ぱらぱらとなかのカードを出してみせる。それは一般的なホログラフィックスカードで、大きさはトランプと同じくらい。一枚ずつに個別の絵が入っている。このていどなら、ダグレスだって子どものころに遊んだので知っている。  カードにはキャラクターカード、オプションカード、アクションカード、パワーカードの四種類がある。  キャラクターはゲーム上に設置された自分の砦(場)を守って、じっさいに戦う戦闘員。基本能力値や行動パターンがインプットされている。  オプションカードは特定のキャラクターに付属する武器やアイテム。装備品だ。銃を持たせれば銃撃を、剣を持たせれば剣撃をおこなう。アクションを増やせるわけだ。身につけているだけで効果のあるものもある。  アクションカードでもキャラクターに基本とは違う行動をとらせることができる。だが、使用に特定の条件があり、そのぶん強力な技になっている。戦局を左右する起死回生の一手になることもままある。  パワーカードは戦闘で傷ついた体力を回復させたり、満タンのときには基本数値を底上げすることもできる。またアクションカードのなかには、このカードで場のパワーをあげておかなければ使えないものもある。ゲーム内のエネルギーのようなものである。  これらのカードを五十枚のデッキにバランスよく組んで、シャッフルした山札から手札をひいていき、専用映写機に読みこませていく。  最終的に敵の砦を落とすか、デッキのなかの全キャラクターを戦闘不能にすると勝利になる。  細かなルールはほかにもいろいろあったが、だいたいはこんな感じだったと、ダグレスは記憶している。 「このデッキは僕がバトル用に使ってるものなので、そんなにレアなカードはないですが、けっこう強いですよ。ふだん使わないカードは、こっちのコレクターズシートで保管してます」  ダニエルはさも愛おしそうに、電磁波保護ケースに入ったファイルブックをとりだした。 「ミラーさん。コレクターズシートをご存じですか?」 「いや、私はそこまでは」  細密な映像が美しく、見ているだけで楽しいカードではあるが、やはりゲーム用だ。いっしょに遊ぶ相手がいてこそ本領を発揮する。友人のいなかったダグレスは、そのうち飽きてしまった。種類が豊富すぎて、子どもの遊びにしては金がかかるせいもあった。 「では、これを見てもらいましょうか」  ダニエルは自慢げにファイルブックをひろげてみせるものの、自分が持ったままで、ダグレスにさわらせてはくれない。  ファイルブックは一ページに九枚のカードが入るようになっており、三十枚つづり。その一冊に三百枚ていどのカードが保管可能のようだ。  ダグレスは自主的に制御ピアスをとりつけた。Bランクのエンパシーが暴走すると困る。とたんに光るヒドラはこのうえなくキレイな少年の姿になる。天使もかくやというほどに。  ダニエルが笑う。 「大丈夫ですよ。僕はホログラフィックス社のカードバンクで保険をかけていますから。もしもウッカリデータを消去してしまったり、事故や盗難で失ってしまっても再発行してくれます」 「なるほど。わりにサポートが充実しているんですね。それにしても、ふつうのバトルカードと違いがないように見えますが?」 「いえ、コレクターズシートはメモリ容量がバトル用カードとは段違いなんです。この一枚に一つのシリーズの全種のカードが入る。僕くらい買い集めてると、バトルカードのままで置いとくと膨大な量になるので、こうしてデータを移行してコンパクトに保管しているんです。現在までに全世界で販売されたブースターやデッキセットのシリーズは、おおよそ七千。よほどレアなものでないかぎり、僕はだいたい持っていますよ」 「それだけ集めるとずいぶんな額になったでしょうね。私が子どものころには一つのパックが五枚入りで三ムーンドルでしたが」 「今は五枚入り四ムーンドルですね。限定規格物だと、その十倍ていどの定価も少なくないが」 「四十ムーンドルか。それは遊びにしては高額だな」 「そうなんです。だから、コレクター同士で欲しいカードを交換するネットワークがあるんです。タクミとはそうして知りあった」  カードの話がずいぶん長くなってしまった。だが、ダグレスが知りたい肝心の情報ではない。 「ところで、例の六つの血文字だが、どれかのカードに該当しますか?」 「ああ、それは全部、ブースターパックですね。ジャンルは神話が二枚、ピクチャーが二枚、クリエイターとタクミの好きなジャパニメーションが一枚ずつ。ちょっとパソコンのデータでどんなカードか調べてみましょう」  ダニエルはウォッチ型のウェアラブルをのぞきこむ。 「BMc021-004は大天使ミカエルのキャラクターカードですね。BMc078-036は大天使ウリエル。BPa0179-009はフラ・アンジェリコの大天使ガブリエル。BPa01034-052がフラゴナールの天使。最後がBCr01-010か。カーマ・ゴールデンというCGアーティストの天使」 「全部、天使か。今日の現場にあった番号は?」 「これですね」  ダニエルが壁に映しだしたカードの扉絵は、ヘルメットをかぶり、背中に翼のあるものだ。タクミが笑いだした。 「エンジェマンだ。いちおう天使ですよ。僕、エンジェウーマンは持ってるけど、エンジェマンは持ってないなぁ。ダニー、予備持ってたら交換してよ」 「悪いが一枚しかない」 「うーん。まあいいか。この前、激レアのシルキーまみが出てさ。もう可愛いのなんの」 「もしかしてデッキセットの千ケースに一つ入ってるやつか? それとなら交換——」 「やだよ。冗談。デッキセット五つ買って、やっと出たんだぞ」 「五つなら大ラッキーだ。タクミはカード運いいよな。バトルのときの引きもいいし」  カードマニアとアニメオタクが戯言に熱をあげだしたので、ダグレスはわざとらしく咳払いした。二人は先生に叱られた子どものような顔をする。 「すみません。バトル時のホログラフィーも見ますか? 一枚しかないものもあるので貸すことはできませんが」 「ぜひ、お願いします」  ダグレスが頼むと、ダニエルは手早くコレクターズシートを選び、専用映写機にセットした。一人プレイモードで六柱の天使を出現させる。  その映像のどこかに事件を解決に導くヒントが隠されていないかと、ダグレスは何度もながめた。しかし、天使たちは何も語ってくれなかった。
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