《同日、午後十一時半。ホスピタル地下剖検室。アンドレ》

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《同日、午後十一時半。ホスピタル地下剖検室。アンドレ》

 月の医学が進歩したせいで、人間の寿命は大幅に伸びた。市民の大半はゲノム編集されて生まれてきた“美しき人たち”だから、病気にもかかりにくい。  おかげで医師は、今や、さほど忙しい職業ではない。むしろ、ヒマだ。そのため、外科医が監察医をかねている場合がよくある。  地下の剖検室のガラスドアからうかがい、アンドレは室内を確認した。さきほどシティポリスからまわされてきた死体を解剖しているのは、知人のクリスだ。 「やあ、クリス。さっきニュースで見たよ。また殺人事件だって? 貧乏くじをひいたな」 「ああ。あと五分早く病院を出てたら、今ごろは自宅でビール飲んでたのに。あんたは帰るのか?」 「まさか。とっくに仕事は終わってる。これのせいで私も呼びだされたんだ」  言いながら、アンドレは無惨に切りきざまれた少年をのぞきこんだ。生きているときは生意気に見えたかもしれないが、ガラスのような瞳を見ひらいた死顔は愛くるしい。 「毎度ながら殺人鬼は趣味がいいな。美少年だ。この死体、解剖が終わったら冷凍保存にまわしてくれ。さっき両親から再生依頼があった。ゲノム登録はされているらしいが、念のため」 「了解。了解。死体と再生はワンセット。おれも早く帰って女房とセットになりてぇ」  クリスのジョークにかるく笑って、アンドレは剖検室を出た。血なまぐさい臭気と薬剤の匂いが遠くなる。  なかなか可愛い少年だった。とくにあのしなやかな体つきはいい。  たとえ今は臓物をはみださせたイモムシのような姿をさらしていても、魔法をかけてやれば、ちゃんと美しい蝶になる。  あざやかな羽を持つ小さな天使。  もとどおりにできるのは、私だけ……。
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