《8月2日夜。ホスピタル内独身寮。エミリー》

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《8月2日夜。ホスピタル内独身寮。エミリー》

 エミリーが疲労しきって独身寮に帰ったのは十時前だった。今日は日勤だったから、本来なら七時半には帰れていたのに、手のかかる患者のワガママにふりまわされてしまった。  おかげで今日もまた、タクミのアパートに行けなかった。ワンルームのころは遠慮したものの、広いリビングのあるリラ荘に移ってからは、いつでも遊びに来ていいよと言われていた。  ミシェルとシェリルはもう何度も、夕食を作ってあげるという口実で遊びに行ったらしい。引っ越しパーティーのとき来ていたソフィーもだ。  ソフィーはディアナ大学工学部の准教授で、本物のインテリだ。本来ならエミリーたちが心安くなる人物ではないが、タクミのまわりにはほんとに職業や年齢に関係なく大勢が集まる。  ソフィーは専門をいかした内職として、フィギュアやぬいぐるみのロボトミー手術をしてくれる。彼女に改造してもらえば、愛するクマが自分で歩きまわり、可愛らしい声でおしゃべりするようになるのだ。  まずタクミが愛蔵のフィギュアを改造してもらうことで知りあいになり、いつもの彼の魔法で仲間にひきずりこんだ。  小さいころにパパに買ってもらったのだというテディ・ベアをパパの声で語りかけてくるロボットに変身させてもらったミシェルは、感激のあまり泣きだしたほどだ。  たしかに、あのベアはよくできていた。考えるときに小首をかしげて、こめかみのところをポリポリする仕草だとか、ゆったりした話しかた、微妙におじさんっぽいところや、たまにころんで照れ笑いするクセとか。ロボットだとわかっていても生きているみたいに微笑ましい。 「ソーラーシステムで半永久的に動くんですって。あなたたちもやってもらいなさいよ」と、ミシェルは言っていた。  エミリーは笑ってごまかすしかなかった。エミリーには両親に買ってもらった人形なんてない。  そもそも、エミリーには両親なんていない。遺伝子の提供者が二人いるだけだ。  ミシェルが羨ましいなんて言ったら、彼女に怒られるだろうか。両親の不和にずっと苦しめられてきたミシェル。でも、両親となるべき人に受け入れられなかった自分にくらべたら、ずいぶんマシではないだろうか。  わからない。  エミリーにはそれを比較する材料が、記憶のなかにまるでないのだから。  エミリー・ブラウン。  この名をあたえてくれたのは、再生医師だ。  エミリーはクローン再生体として生まれ、人工子宮のなかで成長した。およそ半年、培養液につかっていたが、ある日とつぜん外の世界へつれだされ、八歳の体と赤ん坊の脳のまま、わけもわからず孤児院へ送られた。  七年間、孤児院で育ったけれど、一度も両親の名前さえ教えてもらえなかった。自分はすて子なのだと思っていた。残酷な真実を知ったのは、卒院のときだ。  なにこれ。クローン再生体って?  看護師の資格をとって、渡された真新しい身分証に、そう記されていた。  しぶる院長にたのみこんで教えてもらった。聞かなければよかった。  エミリーは事故で半身不随になった少女の新しいボディーとして再生されたクローンだったのだ。ところが、もとどおりになる見込みはないと言われていたにもかかわらず、奇跡的にオリジナルは健康体になった。  その瞬間に、エミリーは不要になった。両親はクローンの生育中止を申し出た。新しいボディーを必要とする他の子どももいなかったため、エミリーは培養液から出され、孤児院にほうりこまれた。  両親の愛なんて、ひとかけらもそそがれていない。この世に存在する意味もない。もともと人格すら欲されていなかった。手術に要されていれば、この脳髄は切り刻まれていた。  生きているというだけの肉を持った人形。  オリジナルになれなかったジャンク。  ずっと自分の居場所を探していた。  それをあたえてくれたのは、タクミとミシェル。  だから、二人の恋がうまくいってほしい。 (ほんと? ほんとにそう? なら、どうして、こんなに苦しいの?)  ぼんやりしていると、室内にすえつけのパソコンがテレビ電話の呼びだし音を発した。  エミリーは携帯用のパソコンを持ってないので、プライベートな連絡をとるためには、寮のこのパソコンしか手段がない。看護師の資格をとるため受けた奨学金も、まだ返済しおえてないし、高価な電子機器を買うゆとりはないのだ。  ホスピタルの寮は旧シェルター地区の地下ワンルーム。人工の光と金属の壁にかこまれた閉鎖的な空間。設備だけは整っているのが救いだ。  そのかわり家賃はタダみたいなもので、共営費のなかに光熱費や水道代もふくまれている。味気ないバランス栄養食のビスケットとミルク一杯とはいえ、朝食もついている。朝に予約しておけば、それよりはまともな夕食も格安で用意してくれる。  看護師になりさえすれば、食と住の心配はなくなる。だから、この職を選んだ。  同じホスピタル内の仕事でも、花形職のサイコセラピストのタクミや、あのオッドアイの再生医師とは待遇も給与も雲泥の差だ。  それでも、毎月のサラリーをコツコツ貯めたお金でコスチュームをお手製して、みんなと遊ぶのは楽しい。他人にはバカバカしく思えるかもしれないが、エミリーにとっては大事なことだ。  だから、ミランダの事故は悲しい。友達が死んでしまったことじたいもだが、この調子だと夏の一大イベントを今年は見送ることになるだろう。それが悲しい。  ひどい友達かもしれないが、年に一度のあのお祭りがあるからこそ、ほかの三百六十余日を暗い穴ぐらのなかで耐えていけるのだ。あの日だけ、地下を這いまわる醜いモグラも、自由に空を羽ばたく鳥の仲間入りができる。  憂鬱な思いで電話に出ると、シェリルからだった。モニターにシェリルの立体ホログラフィーが浮かびあがる。  シェリルはエミリーの知るかぎり、仲間内で一番ふつうの女の子だ。兄弟が多いので家を出て暮らしているものの、家族とも仲がいい。ディアナ郊外の農業都市デメテルの農家の娘だ。本人は田舎くさく思われるのを嫌って隠しているが、エンパシストのノーマがいるから、秘密を作るのは難しい。 「ハイ、エミリー。留守電、聞いてくれた?」  ホログラフィーのシェリルは、フェイスひきしめ効果の美顔マスクをつけていた。ちょっとふくよかなことを気にしているのだ。 「ごめんなさい。まだ聞いてないの。帰ってきたばっかりで」 「ナースも大変ね。あたしも今日はラストオーダーで大量注文した客がいてさぁ。おかげで残業よ。ラストオーダーでステーキ三皿も頼むって、どんな胃袋よ?」  たあいない会話のあと、シェリルは本題に入った。 「女王様から電話があったのよ。みんなに伝えといてって言うからさ」  ミシェルのことだと言うのは、すぐにわかる。女王なんて呼べるのは、ミシェルだけだ。 「そんな言いかた悪いわよ。決算前だから、ミシェルも忙しいんでしょ」 「かつてのお嬢様も今はオフィスレディだもんね。それで用っていうのは、今年のサマーフェスタなんだけど」  エミリーはますます暗い気分になった。やっぱり、今年はやめることにしたんだとガッカリする。 「そうね。しかたない。ミランダに申しわけないもんね」  ところが、 「あたしもそう思ったんだけど、ミシェルはやろうって言うの。ミランダの追悼式だって。ものは言いようかなって思うけど、たしかに、いつまでも、しょげてられないしね。去年、優勝できなくて、ミランダ悔しがってたでしょ? 優勝できたら喜ぶと思うの」  いろいろ言いわけしてるが、けっきょく、シェリルもやりたいのだ。 「そうよね。新しい衣装も作りかけてたもんね」 「じゃ、決まりね。明日、ミーティングだから、タクミの部屋に七時半に集合」  思わず、エミリーは笑った。 「タクミの部屋なのね」 「口実。口実。チャンスはいかさなくちゃ」  エミリーは壁かけのカレンダーを見て微笑する。 (よかった。明日は日勤だ。定時に終われば、タクシーをとばしてまにあう)  タクシー代もほんとは惜しいけど、タクミの笑顔にくらべたら安いものだ。  エミリーは電話を切り、ペンタブレットを手にとった。カレンダーの八月二十日に大きなハートを描く。  八月二十日、二十一日はサマーフェスタ。  年に一度、自由の翼をあたえられる日。
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