《同日、午後八時すぎ。事務所兼リビング。ダグレス》

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《同日、午後八時すぎ。事務所兼リビング。ダグレス》

 最後の一人、シェリル・モーガンが来たあと、晩餐は以前同様なごやかに進んだ。以前のメンバーから一人欠けていることを忘れてしまったように、誰もがくつろいでいた。そのあと、女たちはナイショの作戦タイムだと言って、四人でキッチンにこもる。 「なんでだよ。キュアムーンなんだろ? わかってんだから、秘密にしなくても」  目をひく美男子のジャンが言うのだが、女たちは笑ってとりあわない。  隠そうとはしているものの、ジャンは少し苛立っているように見える。  ほんとは先日のユーベルの態度が気になって、ここの隣人をさぐりに来たのだが、来ないというのではしかたない。そのつもりで今日、ダグレスはピアスを外してきた。しかし用意はムダになってしまった。エチケットとしてエンパシーをブロックしておく。 「ミラーさん。やつらは衣装作りに専念しますので、カードの話をしましょうか」  さっそく、ダニエルがよってくる。  それもよかろう。バタフライキラーに関連して、聞きたいことがあったのも事実だ。  リビングのすみに二人で移動すると、アニメオタクたちは持ちよった袋をあけて、なかみをテーブルの上にひろげた。青、白、黄色のものすごい原色の布地が現れる。 「今年は絶対、ガムダンだ。今までアモロ役がいなくて、イマイチさまにならなかったけど、今度は四人だもんね」と、タクミが両手をにぎりしめている。  我関せずとすましていたユーベルが目をそばだてた。 「四人って、誰のこと?」 「もちろん、君だよ。ユーベル。ほら、みんなで衣装作ってあげるからさ。クツとベルトとモデルガンはショップで買って、君、巻毛だから、当日だけ茶色に染めれば、できあがり」 「えらく美少年のアモロだなぁ。『なぐったね。親父にもぶたれたことないのに』なんて言われたら、ドキドキするぜ?」 「髪がストレートだったら、サイラさんでもよかったよね。色なんかちょうどいい」 「いくら美少年でも女装はキツイだろ」  タクミたち三人に頭をなでまわされて、ユーベルはあきらめたらしかった。 「ああ……こうやって、ぼくもオタクの道にひきこまれていくんだ」 「みんなでやれば怖くないよ。絶対、楽しいから。ほら、寸法測るよ。お店でオーダーメイドすると高いからさぁ。突貫工事だよね。二十日までに仕上げないと」  三人組みはなれた手つきで少年のサイズを測ると、そのデータをコンピューターに入力した。デザインを選び、自動バサミに布を裁断させる。  ダグレスが物珍しくながめていると、彼らは大ぶりのホチキスみたいなものをとりだした。裁断した布地を端からカチカチ挟んでいく。 「そのホチキスみたいなものは?」 「これ、ハンドミシンです。便利でしょ? なかにグラスファイバー繊維が入ってて、レーザーで焼きつけてくれるんですよ。特殊な専用液につけないかぎり縫いめがほどけることもないし、失敗したらその溶液で溶かしてやりなおしがきくんで、かんたんなんですよ。最近のやつは毒性もなくなったし」 「毒性?」 「ずっと前には今と溶液の成分が違ってたらしいんですけどね。今は安全ですから」 「ふうん」  すると、じれたようにダニエルが割りこんできた。 「そんなことより、カードの話をしませんか? ミラーさん」 「ああ。すみません」  待たせたせいで、ダニエルはいきなり自分のコレクションの自慢を始めてしまった。カードの話という言いかたがまずかったようだ。じっさいに聞きたいのは、カードそのもののことではなく、それを集めているコレクターなのだ。 「——だからね。ブルックナーのスゴイとこは芸術性の高さなんです。ここんとこカードの世界から遠ざかってるけど、アムールの映像は天下一品。ならぶものなし。僕なんか彼のカードはバックアップ用とデッキ用に二セットそろえてるんですよ。まあ、激レアをのぞけばですけどね。品薄で今ではめったにオークションにも出品されないカードもありますから。早く新作を出してくれたらいいのに。金持ちのパトロンが作品を独占してしまって……」  こちらの問いに機嫌よく答えてもらうために、ダグレスは辛抱強くダニエルの言葉を聞いていた。しかし、そこまで来て、おや、と思う。タクミも同様らしい。ハンドミシンの手を止めてふりかえる。 「もしかして、ブルックナーって、マーティンのこと?」  ダニエルはかみつくように、タクミのほうをかえりみる。 「もしかしなくてもマーティンだよ。マーティン・ブルックナー。いつも言ってるだろ?」 「ごめん。君の神様がブルックナーだってことは知ってたけど、マーティンだとは思わなかった。この前、いっしょに飲んだよ」  ダグレスはめまいに似た感覚をおぼえる。  ほんとにタクミはどんなおびえきったノラ犬でも、狂犬病にかかった猛犬でも、手なずけてしまうことができるようだ。  マーティン・ブルックナーは、ダグレスがタクミと知りあったときの事件の容疑者の一人だ。事件は解決し、ブルックナーの嫌疑は晴れたが、タクミは彼と敵対していた。いつのまに酒をくみかわす仲になったのか。  しかし、タクミは平然と笑っている。 「コンスタンチェさんやユーベルと四人でだけどね。あ、ユーベルはジュースだよ。メアドも交換したよ」  ダニエルは獲物にとびかかる前の豹みたいに、タクミににじりよった。 「タクミくん。お願いがあるんだけど」  にやぁっとタクミは放尿中の幼児みたいに笑う。 「エンジェマンで手を打つよ?」 「エンジェマンでもなんでも持ってけ! たのむから紹介してくれ!」 「いいよ。今度、セッティングしとく」 「やったッ! アムールにサインしてもらうぞ」 「エンジェマン、ゲットだぜ!」  はしゃいでいる二人を見て、ダグレスはため息をついた。  以前、タクミはダグレスに言ったことがある。自分はこれまでエンパシストであることを誇りに思えるように生きてきた。これからもそうでありたいと。  タクミなら、そんな生きかたもできるだろう。 (私には、できない)  じつの母をこの能力で殺してしまったダグレスに、どうしてその力を誇りに思うことができるだろう。 (ママ……)  きれいな黒髪のママ。  死神を隠したママ。  知らなかったんだ。  人や物を透かして見るこの力が、どれほどママを苦しめていたのか。  ダグレスの記憶のなかに父の姿はない。物心ついたときには母と自分の二人きりだった。自分に父はいないのだと思っていた。  なぜなら、母と自分は死神だから。世界中で二人きりの仲間だから。  ダグレスがそんなふうに思いこんだのは環境のせいだ。シングルマザーの母は市の生活保護を受けていて、住居は市の管理する地下旧シェルターにあった。周囲のすべてを人工物にかこまれた密閉空間。  母は病院のナースで、朝から仕事に出ていく。死神がナースというのも変な話だが、ダグレスは母が死にそうな人間を物色しているのだと思っていた。  幼いダグレスの子守りをしてくれるのは、中古のハウスキーパーロボットのミリーだった。マジックハンドアームを四つ持った万能マシンで、じつに有能なハウスキーパーだった。あたえられた仕事はどんなにイヤなことでも感情なくこなす。  ボディーの底面が掃除機になっていて、体を回転させて掃除する彼女の上に乗り、目がまわるまで座っているのが、ダグレスの好きな遊びだった。四本の腕で器用に食事を作り、部屋を片づけ、ダグレスに絵本まで読んでくれる。ときどきフリーズしてしまうこと以外は、完璧そのもの。  ダグレスの知っている人間は母と自分だけ。あとはみんな機械だった。機械のなかを透かしてみても、細々とした部品や配線が見えるだけ。死神は隠れていない。テレビのなかの人間たちも、透かしたときに見えるのは機械だった。  だから、人間とはそういうもので、体のなかにガイコツを隠している自分と母だけが特別な存在——死神なのだと思っていた。  母がなぜ人間のふりをしているのかはわからなかったが、きっと人間たちに死神だと知られてはいけないのだと考えた。  このことは二人だけの秘密。  大好きな死神のママ。  きれいな黒髪の、きれいな骨組みのママ。  学校にあがるようになって、初めて大勢の人間のなかへなげこまれたときには驚いた。世界中に二人きりだと思っていた死神が、ほかにもたくさんいたのだ。大きくなったから、死神の教育を受けるために、死神の学校へ入れられたのだと思った。  学校のなかで、当然、ダグレスは浮いていた。クラスメイトたちは死神のくせに、教室の壁を透かしてみたり、人の考えを読んだりすることができない。  ダグレスは気味悪がられ、嫌われた。孤立していた学生時代。でも、別に気にもとめなかった。ダグレスには彼を世界で一番愛してくれる母がいたから。  十五になっても母の写真を持ち歩く少年をからかった同級生がいた。誕生日に母が買ってくれた時計の裏にロケットがついていて、母の写真を入れてあった。休み時間のたびにながめてニヤニヤ笑うダグレスを、気持ち悪いと思った彼のほうが、まともな神経の持ちぬしだったのだろう。  ただ、彼は自分を死神だと思っているダグレスを、クラスメイトたちの前で嘲笑するという愚を犯した。なぐりあいになったすえに、彼は二階の窓から落ち、両足を骨折した。  死神としての初仕事だと、ダグレスは意気揚々としたものだ。ところが、なぜか学校に母が呼びつけられるさわぎになった。 「なぜ、こんなことになったのですか? ミラーくん」 「あいつが僕をからかって、時計をとりあげようとしたからです。窓から落ちたのは、はずみです」  ダグレスは二週間の停学処分。  母は泣いていた。  家に帰って二人になると、ダグレスは訴えた。 「でも、ママ。二階から落ちたくらいで骨が折れるなんて、死神のくせにだらしないよ、あいつ」  母はフリーズしたミリーみたいに、瞬間、動かなくなった。 「……まあ、ダグレス。何を言ってるの? 死神って、なんのこと?」  口元に張りついたような、ひきつった笑みを浮かべながら、けんめいに平静を保とうとしている。  母の混乱した気持ちが入りこんで、ダグレスの感情にも影響した。 「何って……だって、僕たち、死神だよね? わかってるくせに。母さんだって、こうやって見たら、自分の骨が見えるだろ? 僕には見えるよ。母さんのなかの死神が」  そのときの母の目つきをどう言ったらいいのだろう?  大切にしていたビスクドールが粉々にくだけてしまったのを見るような目?  それとも、自分の子どもだと信じて育て続けていたヒナが、じつは夫婦の巣を乗っとったエイリアンだと気づいたオオヨシキリのような?  ——この税金泥棒め。金返せ!  ——知ってるか? こいつの亭主。金庫の暗証番号、透視して、市役所のプリペイドカード盗んだんだってよ。百万ムーンドルも。盗んだ金で豪邸に住んでんじゃねえっての。  ——透視能力者だって。どうせ、女の裸、見てんだろ。やりたい放題だな!  冷酷な言葉の石つぶてが、母の脳裏に浮かびあがる。  母は何かに取り憑かれたように、ふらふらとかけだし、エレベーターにとびのった。そして、生活保護センターの屋上から身をなげた。まっすぐでキレイだった華奢な骨は、バラバラになって崩れた。  かつて、ダグレスの父は公金横領の疑いをかけられた。それは冤罪だったのだが、マスコミに追われ、世間の人々に迫害されたあげく、心を病んで自殺したのだと、のちに知った。死神だ、死神が見える、こっちに来るなとわめきながら、母の目の前でベランダをとびだして……。  すべては、この力のせい。  人のなかにむきだしの骨格を透かしみるエックスレイの瞳。  この力が父母の人生を狂わせた。父は自分の力に自滅し、ダグレスは同じ力で愛する母を死に追いやった。世界中でただ一人、心から愛していた人を、ダグレスは浅はかな自らの言葉で失った。  おろかな子どもの妄想。  機械に育てられた、社会不適合者のエスパー。  死神になりそこなった死神。  その日、ダグレスの世界はくだけちった。 「いいかい? ダグレス。君はエスパーのなかでもめずらしい透視能力者だ。その力は悪いものじゃないんだよ。ただ、君が自分の能力に対して無知だったことだけが不幸だった」  セラピストにそう教えられたが、今でもときどき思うことがある。  あのとき、ウッカリ、母と二人だけの秘密を自分がしゃべってしまったから、死神の世界からはじきだされてしまったのではないかと。  言えば悪いことが起こると、幼心に気づいていたのに、なぜ口走ってしまったのだろう?  だから、罰を受けたのだ。 「残念でしたァ。おまえさんはゲームオーバー。死神失格だよ」  ぺろりと顔の皮をめくって去っていく母の夢を見る。 「待ってよ。マー! 行かないで! ぼくも死神だよ。置いてかないでッ」  夢のなかでは子どものままのダグレスが、泣いて追いすがる。声のかぎり叫んでも、母の姿は無情に遠ざかる。  暗闇に一人とり残される。  あるいは四方八方からガイコツが現れて、ダグレスを生活保護センターの屋上からつきおとす。体じゅうの骨が粉々にくだけたダグレスを、ガイコツたちが嘲笑う。 「おまえはもうだ。死神にはなれないんだよ」  汗びっしょりになって、とびおきる。  いつもの見なれた悪夢。  呪縛はまだ解けない。  そのとき、とつぜん、声がした。 「ダグレス。そっちは暗すぎるよ。こっちにおいでよ」  腕をつかまれると、急に暗闇が払拭されて、光がひろがった。  青空に力強く枝を伸ばし、優しい木漏れ日をくれる大樹。  その下に大勢の人がいて、あたたかくダグレスを迎えてくれる。 『もう一人じゃないよ』  気がつくと、ダグレスはタクミに手をひかれて、ソファーの前に立っていた。いつのまにか、すみの椅子から移動している。  サングラスの下から凝視すると、タクミは笑った。毛ほどの濁りもない、無垢そのものの笑顔だ。 『私にセラピーを?』 『すいません。あんまり深く、つらい思い出に沈んでるから、見てられなくて』  ダグレスはタクミの手をふりはらい、ソファーに腰をおろした。  バカにするなよ、勝手に人の心の奥までズカズカ入りこんでくるなと怒鳴りつけて、部屋をとびだしていってもいい。  だが、ダグレスは動けない。気持ちがいいのだ。タクミのそばにいると、むしょうにホッとする。 (そばにいるだけで、傷ついた者をいやすサイコセラピスト……か)  脳髄に光のシャワーをあびたような感覚に、ダグレスはしばし酔った。
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