《同日零時すぎ。事務所前廊下。ダグレス》

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《同日零時すぎ。事務所前廊下。ダグレス》

「——美少年好きのカードマニア? それとも、どちらかは捜査を撹乱するためかな?」  首をかしげるタクミに、ダグレスは忠告した。 「とにかく注意してください。何かあったら、すぐに警察に連絡を。このカードは証拠品として預からせてもらいます」 「どうぞ。指紋とか出ませんかね。あ、でも、それだと僕の指紋もついちゃった」  こんなときなのに、タクミの仕草がおかしくて、つい口元がほころんだ。まったく彼はこういうところ、天才的だ。 「後日、トウドウさんの指紋をとりに警官が来ます。バラも鑑識にまわしてかまいませんか?」 「はい」  タクミは武術の達人だというから、今のところ刑事の見張りをつけるほどではないだろう。厳重な注意をうながして、ダグレスはタクミと別れた。 「お待たせしました」  エミリーをつれてアパルトマンをあとにする。  タクシーの到着を待つあいだ、二人はひとことも口をきかない。  いつも友達の背中に隠れて目立たない、おとなしい娘。  容姿は悪くないのに、自信なさげにうつむいている。  ダグレスと同じだ。サングラスなしでは人と目をあわせられないダグレスと。  エミリーは西洋人としては小柄なので、その骨はほっそりと、たよりげ。  彼女を見ると母を思いだす。母も看護師だったからだろうか。どこか、ふんいきが似ている。  彼女が自分と同じ側の人間だということは、すぐにわかった。闇の住人。地下の暗闇のなかで、地上の光を見あげながら生きているのだということは。  だから、なつかしいような気がするのだろう。  頭上には青い地球とミルキーウェイ。  空はあんなに明るいのに、二人がいるのは闇の底だ。  寝静まった街路に立っていると、ますます深海の底を這いまわっているような気分になる。  やがて、タクシーが海中を泳ぐようにやってきた。 「送るのがタクミでなくて悪かったね」  エミリーはぼんやりしていた。話しかけると我に返り、ほんのり痛々しいような笑みを浮かべる。 「いいえ。わたしこそ、わざわざ送ってもらって……」  ダグレスは自分に害意がないことを示すために、前の座席にすわった。エミリーは後部座席へ。  タクシーは銀色のエイのように、夜の底をすべる。 「どこまで送れば?」 「ホスピタルへ。わたし、寮暮らしなの」 「ああ。私もです。では、地下住人同士ですね。仕事で疲れて暗闇のなかへ帰ると、ホッとすることがありますよ」 「わたしも……すごくイヤなことがあって、誰にも会いたくないって思うときには」  二人はなんとなく笑みをかわした。  ただ、それだけのこと。  タクシーはものの数分で、市の中心のステーションに近い、ホスピタルの前に到着した。時間を短く感じた。 「送ってくれて、ありがとう」 「いいえ。おやすみ」 「おやすみなさい」  シティポリスはステーションのとなりだ。独身寮もその近く。ここからなら歩いて数分。  タクシーを降りる彼女をひきとめたいような気がした。が、よっていかないかとは言えなかった。彼女はタクミに惹かれている。エンパシーを使わなくたって、それくらいわかる。 「おやすみなさい」  もう一度言って、ダグレスはタクシーを走らせた。  華奢な少女のような骨組みが、闇のなかに溶暗した。
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