《同日午後三時半。リラ荘五階レオナルドの部屋。ソフィー》

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《同日午後三時半。リラ荘五階レオナルドの部屋。ソフィー》

 調整に手こずった大型模型機関車が、ようやく修復され、自在に動くようになった。  依頼人のレオナルドは、歓声をあげて子どものように室内をかけまわった。世間で信頼されているサイコセラピストといっても、実態はこうだ。  とは言え、これで依頼が片づいて、かなり多額の修理費が入ってくるのだから、ソフィーも嬉しい。女が一人で世間を渡っていくには、何かと苦労がつきものなのだ。せめて経済面だけでも安定していないと、いざというとき頼れるものがない。  わたしは母のようにはならない。しょっちゅう職を変わっては女のあいだをふらふらしていた、浮気性でだらしない父につくして、いつも泣いていた母。みじめな結婚生活。それでも父から離れられない母。男に依存することでしか生きていけないあの人とは、わたしは違う。結婚相手には絶対、妥協しないわ。ルックスや性格、経済力もレベル以上で、そして、これだけは外せない条件だが、一生、浮気をしない人——  そんな人いない、あなたの理想は高すぎると母や姉妹は言うけれど、そんなことはない。そういう人を見つけることが困難なことは認める。だが、一生に一人の妻だけを愛し続ける男だって、まれにはいる。皆無ではない。  だから、あせってクズをつかまないよう、最高の相手にめぐりあうまで、しっかりお金を稼いで、自分の力で生きていく。  そんなことを二十世紀の女が言えば笑い者だったかもしれないが、今は事情が違うのだ。テロメア修復薬やクローン皮膚移植、クローン体への脳移植など、若返り方法はいくらでもある。完全に自分好みの顔に整形してくれるDNA整形だってある。時間の経過とともに女の価値が下がったのは、もう過去の話だ。五十年でも六十年でも、その人と出会えるときを待てばいい。 (世の中にはマーシェルみたいな人だっているんだから)  十二歳のころに好きだったロマンス小説のヒーローを思いだして、ソフィーはくすぐったいような気分になる。あのヒーローにはモデルがいると作者は書いていた。彼みたいな人が現実にいるのなら、待っているだけの価値はある。 「——模型が修理できたんだ。今から遊びにおいで。君の友達のソフィーも来てるから、みんなでお茶を飲みながら走らせよう。なに、ローは君が好きだから喜ぶよ。おいで、おいで。自慢したいんだ」  レオナルドが電話でタクミを呼んでいる。  あら、タクミが来るんだったら、もっとちゃんとメイクしとくんだったのに——と思ったけれど、来てくれるのは嬉しい。午前中いっぱい鉄道のうんちくを聞かされた埋めあわせに、神様がご褒美をくれたのだ。 「イヤだわ。レオったら、また勝手に呼んだのね。お客さま呼ぶときは前もって言ってと頼んでるじゃない。あと二人? どうしましょう。ケーキがひとまわり小さいわよ」  対面式のキッチンでぼやいてるのは、レオナルドの妻、ローランだ。  彼女は恵まれた結婚をした女の一人だ。レオナルドは今でこそお腹のでっぱったおじさんになってしまっているが、若いころの写真を見れば、まずまずだし、高収入のサイコセラピストだ。何より奥さん思いの誠実で良い夫だ。  ここへ来るのは仕事ではあるものの、この夫婦を見ていると励まされる気がする。毎回、修理に来るときの楽しみになっていた。 「ローラン。クレープを焼いたらどう? あれならフルーツやジャムで銘々、食べられるでしょ? わたし、手伝うから」 「素敵ね。さすが、ソフィー。助かるわ」  すっかり仲よくなったローランと、二人でクレープの準備をする。  そのうちタクミたちが来て、嬉しい午後のティータイムをすごしていたのに……。  玄関でチャイムが鳴った。  それが不吉なことの始まりであるとは予想もしていなかった。
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