《同日午後四時半。リラ荘。マリエール》

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《同日午後四時半。リラ荘。マリエール》

 学校が終わるとすぐに、マリエールはレオナルド宅へむかった。  同じ年ごろの男の子が大勢いる学校では、授業中も休憩時間も、いつも視線がからみついてきて落ちつかない。彼らが自分を見てどんな想像をしているのか、手にとるようにわかってしまう。昼間は制御ピアスをつけているけど、だからと言って、マリエールがエンパシストだと診断される前に見てしまった彼らの妄想が、自分のなかから消えるわけではない。  男はみんな嫌い。みんな汚い。みんな、死んでしまえばいい。  安心できるのは家族といるときと、担当医であるレオナルドのところにいるときだけだ。  今はもう自分のエンパシーもコントロールできるし、気分も安定してきて、通院の必要はなくなった。  でも、ときどき不安になったときは、ぽこんとお腹の出たクマのぬいぐるみみたいな先生のところへ遊びに行く。先生もいつでも遊びに来ていいよと言ってくれている。  レオナルドの家は、奥さんと気持ちの通じあった相思相愛の空気が流れていて、見ているだけで気持ちがいい。二人のような夫婦もいるなら、まだ男もすてたものではないかもと、わずかに思える。  以前のマリエールは活発な女の子だった。子どものころから続けていた少女モデルに本腰を入れようと話していた。  学校ではみんなの中心にいて、男の子の憧れの的で、ミス学園に選ばれたナンバーワンの美少女。どこへ行ってもお姫様。将来の夢はトップモデル——  そんな日常が、あんなにもあっけなく崩れさってしまうなんて。  兄が悪いのだ。  小さいころにさらわれて、ずっと行方不明だった兄。  ママンを泣かせて、いつも愛情をひとりじめしていた兄。  幼いマリエールや兄のエドワールが、そのために、どれほどさびしい思いをしたことか。母の心はいつも、どこか遠くにいる行方知らずの兄のもとにあった。姿は見えないくせに、ずっと兄が母を縛っていた。マリエールたちには入りこめない絆が、二人のあいだにはあるようだった。  それでも十数年がたって、やっと母も二番めの兄をあきらめた。兄のクローン体を作り、その子を可愛がるということで相談がまとまっていた。それで母の気がすむならと思っていたのに、そのやさきに兄は帰ってきた。虫食いだらけのカビた古本みたいに、ぼろぼろになった心と体で。  あの人さえ帰ってこなければ、マリエールの人生は輝きに満ちたままだったのに。  いきなり帰ってきて、変な夢をマリエールに見せて、怖がらせた。毎晩、夢のなかで知らない男に責めさいなまれて、マリエールの十五歳の青春は朽ち果てた。  ——おねがい。もうイタいことしないで。おうちに帰りたいって言わないから。もう、ぶたないで。ムチはこわいよ。  泣き叫んで懇願(こんがん)するけど、いつも願いは聞き入れられない。  うなされて、悪夢からとびおきる日々。  夢のなかの男は怖い。現実の男も怖い。部屋から出られない。病院につれられていって、自分がエンパシストなのだと知った。 「いいかい。マリエール。君はエンパシストだ。お兄さんが夢で見ていることを、君もその力で感じとってしまっているんだよ。これからは制御ピアスをして寝れば、夢は見ないから」  そう言われたけど、もう遅かった。学校に行けなくなり、ひっこみじあんになり、街を歩くだけで男たちの視線が気になった。前のあいた服や丈の短いスカートをはけなくなった。当然、モデルの仕事もできない。  何もかも兄のせいだ。あの人さえ帰ってこなければ——いや、生まれてこなければよかった。  二人がいっしょに暮らすことはムリだとわかって、兄は家から出ていった。だけど、めちゃくちゃにされてしまったマリエールの人生はもとに戻らない。  マリエールのやつ、すっかり暗くなっちゃったな。せっかく美人なのに、何? あのもっさい服——そんな陰口を叩かれるようになるなんて、以前は想像もしてなかった。  かつての学園のプリンセスが、今や男の子と口もきけない、みじめなノイローゼ女。  この世のつらいことをすべてふりきり、楽園に逃げこむ思いで、レオナルドの家にとびこんだ。  そこにまさか、大嫌いな兄がいるなんて、思いもしないで。  レオナルドの部屋で当然のように微笑んでいるユーベルを見たとき、マリエールは自分の頭のなかが真っ白になるのを感じた。
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