《同日、午後八時。事務所兼リビング。ダグレス》

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《同日、午後八時。事務所兼リビング。ダグレス》

 その日、引っ越し祝いのパーティーをするとタクミが言うから、ダグレスは仕事帰りに訪ねた。  すでにお祭りさわぎになっていた。  普請のしっかりした建物らしく、防音は完璧だ。ドアがあけられるまで、それらしい音はまったく洩れていなかった。  それだけに、扉がひらかれたときの、るつぼのようは熱気とにぎわいに、ダグレスは顔をそむけたくなった。  仕事が終わるといつもESPを遮断する制御ピアスをつけ、濃い色のサングラスをかける。だが、それでも、どうしても人の顔から目をそらすクセはなおせない。長年しみついた習性だ。  自分がどこか他人と違うことは、子どものころからわかっていた。  物心ついたときには、すでに母の美しい顔のむこうに、透けてみえる頭蓋骨を不審に思っていた。  それは見えるときと見えないときがある。  積み木をして遊ぶかたわら、なにげなくふりかえると、そこに洗濯物を浴室にほす母がいる。  夜までにかわくかしら。早く乾燥機を修理してもらわなくちゃ。家賃が安いのはいいけど、こう設備が古くちゃかなわないわね。政府の建物だから修理代がタダなのは助かるけど——  忙しく手を動かしながら、母はダグレスに話しかけている。  その背中をじっと見つめていると、つややかな黒髪のむこうに白い骨が見えてくる。ずらりとならんだ歯の植わったあごをカクカク上下させて、母の声でしゃべっている。 「聞いてるの? ダグレス。ママ、今日遅くなるから、いい子にして待っててよ」 「うん。聞いてる」  ママは自分のなかに死神を隠してる。  人間のふりしてるけど、ほんとは死神なんでしょ?  いつかキレイな黒い髪のカーテンをさッととりはらって、こう言うんだ。 「残念でしたァ。おまえさんのママは死神でした。だから、おまえも死神なんだよ。これからは人間の頭のスープを食べなくちゃいけない。人間の頭を大鎌で()ねる訓練をするからね」 「イヤだよ。ママ。ぼく、人間の頭のスープなんて食べたくないよ」 「ダメダメ。死神の子は死神。ほーら、おまえの手を見てごらん」  言われなくてもわかってる。  自分の両手を見つめていると、母と同じ死神の手が、人間の手のなかに隠れているのが見える。足や胸やお腹のへんにも死神がいる。  でも、鏡に映った自分は、どんなに目をこらしても死神を見ることができない。母のなかに隠れている死神もだ。  死神は鏡に映らない。吸血鬼だって鏡に映らないんだから、当然と言えば当然。  鏡のなかのママとぼくは、あんなにキレイ。  それからは、なるべく鏡越しに母を見るようにした。 「あっ、ミラーさん。いらっしゃい。よく来てくれましたね。入ってください」  ふいに酒気帯びの明るい声がして、ダグレスは幼い日の幻想からさめた。  もういい。忘れてしまうのだ。今では自分の力がなんなのかわかっている。ただの透視能力だ。X線にきわめて酷似した透過性の視覚を持つエスパー——それだけのことだ。 「いや、なかへは……引っ越し祝いを持ってきただけだから」  ワインを渡して帰ってしまいたかったが、お酒の入っている相手は容赦してくれない。 「何言ってるんですか。せっかく来たんだから入ってください——おーい、みんな、超能力捜査官のダグレス・ミラーさんだよ。前に事務所であつかった事件で知りあったんだ」  強引にひきいれられてしまう。ダグレスは抗うことができなかった。いや、むしろ初めから、それを望んでいたのかもしれない。  タクミ・トウドウ。  彼に最初に出会ったのは半年前。そのとき、すでに変わった男だなという印象はあった。何が変わっていると言って、エンパシストのくせに心に淀みがない。  ダグレスもそうだが、ふつう超能力者というのは——とくに他人の心に感応する精神感応力者は、その性質上、ひじょうに過敏な神経の持ちぬしか、あるいは感応することに麻痺してしまってニブくなっているかのどちらかだ。成長過程で心に傷を負っている者が多い。  ダグレスは透視能力のほかにエンパシー能力もある。  だからこそわかるのだが、タクミにはそうした歪みがまったく感じられない。自然体で育ってきた伸びやかな心。優雅に羽をひろげる鳥のようなその形。  彼といるのは心地よい。  冬の日のひだまりのように。  砂漠のなかのオアシスのように。 「あんた、いつのまに刑事と友達になってたの?」 「うん。事件のあと、ちょくちょく会って」 「あんたって、ほんと、誰とでも仲よくなれるよね」 「そんなことないよ。苦手な人もいるよ」  保護監察中のユーベル・ラ=デュランヴィリエと小声で話している。  ユーベルとも以前の事件で会っているが、陰気で人見知りの激しい少年だ。  この少年を見ているとイライラする。いじめてみたいような、やつあたりしたいような、ムズムズした感覚を抑えるのに、いつも苦労する。  このとびきり綺麗な少年には、猟犬に追いまわされることになれた臆病な子狐の匂いがしみついている。ある種の人間には無視することのできない匂いだ。快く鼻腔をくすぐる獲物の匂い。  おかげでダグレスは、現在、捜査中の事件を思いだした。十四、五歳の少年だけを狙う連続殺人事件だ。すでに三人の被害者が出ている。いずれも容姿のすぐれた少年ばかり。  犯行現場には意味不明な血文字が残され、どう見ても変質者の仕業だが、性的被害は受けていない。所持金も持ち去られていないので、殺すことじたいに愉楽を得ている快楽殺人だろう。  これまでのところ、あまり品行のよくない少年が犠牲になっている。  警察はこの事件を公表していないものの、ぼちぼちウワサが市民の口にのぼり始めていた。  ダグレスはこの事件に超能力捜査官としてたずさわっていたが、他の刑事たちが寝るまも惜しんで捜査にあたっている最中に、こんなパーティーへ寄り道できる時間に帰宅することがゆるされていた。  超能力を使うのは、たいへんエネルギーが必要なのだ。つねに体調を万全に保っていなければならない。  とくにダグレスの透視能力はAランクだが、エンパシー能力はBランクにすぎない。Bランクとは感情が乱れたとき、ESP制御に不具合が生じるレベルである。現場で役に立たないようでは意味がないから、自己管理には入念に気くばっている。  超能力捜査官はどの都市でも大事にされるので、このような特別あつかいが通るのだ。 「——で、ユーマはDNAデザイナーの国家資格をとるために留学中で、ジャンはモデルなんですよ。すごいハンサムでしょ? それで、こっちのハンサムはおとなりに住んでるラリックさん。再生医師なんだそうです。エリートですよね」  考えごとをするダグレスの耳に、次々と友人を紹介するタクミの声が入ってくる。一人ずつ紹介されたって、色の濃いサングラスをかけているのだから、ほとんど見分けなんてついていないのだが。  それにしても、タクミの声は耳に優しい。  小川のせせらぎのように。  満月の夜の潮騒のように。  彼のそばにいるだけで、すべての辛苦が洗い流されていく。  めったにないことだが、ダグレスはリラックスしきっていた。  だが、そのとき、視線を感じて、サングラスのすきまから上目づかいに目をあげる。左右の瞳の色の違う医師が、一瞬ぶつかった視線をさりげなくそらした。
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