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《9月11日午前〜午後二時。ディアナ中央区。ダグレス》
ユーベルの殺害された現場で、ダグレスにできることはなかった。証拠になるものはすべて燃えつきている。場所が郊外だったこともあって、目撃者もいない。透視能力もエンパシー能力も出番がない。
そこでの捜査は仲間に任せ、ダグレスは単独捜査を開始した。
気になるのは、今回もバタフライが、ユーベルの周囲にカードの番号を残していなかったことだ。
もっとも、あの状態では記していたとしても、小屋といっしょに燃えている。ルミノール反応でそれらしい跡でも見つかるだろうか。
いや、何より、なぜ今回にかぎって、バタフライはあんな方法でユーベルを殺したのか。
いつもの血文字を残さない状況をわざわざ自分で作り、死体の損傷をひどくしなければならない理由でもあったのだろうか?
ユーベルは華奢な少年だった。PKを使えるとは言え、あの小屋へつれこむことができたのなら、ナイフでひと突きすることなど、わけなかったはずである。
そうしなかったのは、死体を損壊させたかったからだとしか思えない。よほど強く、ユーベルを憎んでいたのか。
バタフライがカードコレクターであり、自分のカードを奪った少年への復讐で殺人を犯していたのなら、ブルーノ、イリヤ二少年の殺害で、本懐をとげたはず。
ユーベルをつけ狙ったのには、それとは違う理由があったのかもしれない。
そもそもカードコレクターという説は正しいのか——
それらを調べるために、ダグレスはホログラフィックス社のディアナ支社へむかった。
ホログラフィックス社は二十一世紀、まだ人類が地球で暮らしていたころ、当時のゲーム業界で屈指の業績をあげていた数社が提携して、それまでにない新しいハードを開発したことから端を発した。
立体ホログラフィー。
VR、ARなどとは、まったく次元の異なる、実像にきわめて近い三次元映像の再現だ。画像の美しさは当時の常識を軽く超えてきた。
何よりも、ソフト開発として参入する会社の多様さが話題となった。
ソフト同士の互換性が優れていたのだ。アクションゲームやボードゲームを、まったく別の作品のキャラクターで楽しむことができた。好きなゲーム世界に好きなキャラクターを持っていけたわけだ。
だが、そこへ襲ってきたのが、ヘル・パンデミックだ。地球は病魔に侵され、人間の住めない星となった。人類の七割は死滅。
月に逃げだした一部の人々が、過酷な入植時代を得て、二十二世紀突入まぎわに復活されたのが、現在のホログラフィックスだ。娯楽に飢えていた月の住民はこのゲームにとびつき、往年の地球でのブームをはるかにしのいだ。
なにしろ、ハードがそれ一種しかないのだ。またたくまに各都市に普及した。地球でのソフトはまだプロトタイプだったため、映像も今ほど美麗ではなかったし、記憶容量に限界があった。
しかし、今ではキャラクターカード一枚あれば、巨大なネットワークでつながった、あらゆるゲーム世界を堪能できる。それはもはや現実と同等の重みのある異次元の創造だ。もちろん、ネットワークに入るための使用料はかかるが。
これらの特許を持つホログラフィックス社は、押しも押されぬ世界一の大企業に成長し、各都市に支社を持つ盛況ぶりだ。
カードを製作販売しているのは、おもに子会社だが、ホログラフィックス本社で、全カードに対して保険事業を行なっているので、正規で販売されたカードなら、ここでデータを知ることができる。
ダグレスは殺害されたブルーノとイリヤのデッキを調べるため、ホログラフィックス社を訪れた。ブルーノのデッキには一枚だけ、Nで始まるカードがあった。いわゆるスーパーレアというやつらしい。個人収集家のダニエルではわからない可能性があった。
ダグレスはこのNのカードに期待していた。バタフライの狙いはこれだったのではないかと思う。
ホログラフィックスディアナ支社は、中央区シャンゼリゼ通りにあった。オフィス街の一等地に堂々たる自社ビルをかまえている。
ダグレスは社内に入ると、一階受付でシティポリスの身分証を見せた。濃いめの完璧なメイクをした受付嬢は、美しいスマイルで応じてくれる。
アルファベットと数字の羅列にすぎなかったデッキが、ものの数十秒で華麗な扉絵を持つカードに変身して、コンピューターから打ちだされてきた。もちろん本物ではなく、見本のロゴ入りである。
「見本はコピーコントロールされておりますので、データの移行はできません。また、一人プレイで立体ホログラフィーを見ることはできますが、対戦をすることもできません」
「充分です。ありがとうございます」
さっそく、受けとった二組みのデッキから、例のNのカードをひろいだそうとした。が、
「申しわけありませんが、内一枚は保険対象外で、プリントアウトできませんでした。インディーズカードなので、ごらんになりたければ、収集家か、作成者本人に見せてもらうしかないでしょう」と、受付嬢が述べた。
品番を言われるまでもなく、例のNであることは予測できた。
「非売品は保険対象外なのか? だが、コレクターがもっとも保証を欲しがるのは、そういったカードだろう?」
「非売品も多くは保険対象となっております。公式戦、各種イベントで配られた記念カード、雑誌の懸賞品、営利団体からのPR用配布カードなどですね。ですが、さきほどのカードは個人が製作した限定品です。作成者の許諾がなければ、保険対象として当社のコンピューターにデータを登録できません。このカードのバックアップが現状、存在していないということは、作成者の承諾を得ていないことになりますね」
「アーティストが自分のためだけに作ったカードということですか? そんなことできるのか。特許の関係など、どうなっているんだ?」
「オリジナルカード作成プランというものがございます。当社契約の七十八社で、お客さまお持ちこみの映像をホログラフィックスカードにするサービスを提供しております。指定の数種類のエフェクトや音楽、バトル時の技を選ぶだけですので、難しいプログラミングなどは必要ありません。五十枚から作成できます」
「そんなサービスまであるとは知らなかった」
「作成手数料が高額になるほど、選択できる音楽やアクションが増えます。ご自身の写真を、こちらでCG加工してカードにすることなども可能です。通常、インディーズカードには個別の番号はありません。非売品を表すNと、インディーズのi、そのあとの三桁の数字はインディーズカード作成会社の社番となっております」
七十八社もインディーズカード作成会社が存在しているのだ。その一社ずつに問いあわせる労力を思って、ダグレスは思わず嘆息した。
だが、受付嬢は完璧な笑顔をくずさず、なおも続ける。
「ですが、このカードに関しましては、ハイフン以降、個別番号がつけられております。インディーズカードのなかでも、のちにプレミアがつき、市場に流通するときの便宜をはかった特待カードですね。最後の数字が16なので、五十枚作ったうちの十六枚めです」
「素人がホームビデオから作ったカードに、プレミアがつくなんてことがあるのか?」
受付嬢の笑顔はまだ完璧だ。ずいぶん長話しているのに応対の質が落ちない。さすがは一流企業だと感心した。いつも人の目線のあいまをぬって、盗み見するクセのあるダグレスを、気味悪がる人は多いのだが、それらしい態度をおくびにも出さない。
「使われているのが有名人のプライベート映像ですとか、のちに著名になったアーティストのインディーズ時代の作品には、プレミアがつくことがございます。無名のアーティストがソフト会社に自作の映像を売りこむための試作品として、インディーズカードを作ることは少なくありませんから」
「なるほど」
「このカードもそう言ったものの一つのようですね。Ni024ですから、アテナシティーの製作会社の発行です。このSOMプロダクションにかけあえば、カードの詳細を教えてもらえることでしょう」
アテナシティーはムーンサファリのとなりにある学生の町だ。大学や専門学校が集まり、一つの都市になっている。大学付属の研究所も多い。バイオテクノロジーの都市ムーンサファリとは対照的に、機械工学が盛んだ。
受付嬢に礼を言って、SOMプロダクションに電話をかけた。運悪く担当者が留守だというので、あとでかけなおすことにする。
切ったとたん、テレビ電話がかかってきた。ゲームセンター付近でブルーノたちの捜査を続行していた、アルヌール・ジャルジット刑事からだ。
「ブルーノ、イリヤを知る少年をつかまえた。重大な証言を得たから、すぐ来てほしい」
重要証言の真偽をはかるのは、超能力捜査官の最優先事項だ。ダグレスは中央区から南区までタクシーで移動した。警察の身分証を使えば、料金はかからない。
行きさきを告げたあと、目的地にたどりつくまで、社内で数分の時間があった。時刻は十四時すぎ。
彼女が仕事中だということはわかっていたが、どうしても声を聞きたい。
恋をするということは、こんなにも人を愚かにするのか。我ながら自分の行動にあきれはてた。迷惑になることを承知で、ダグレスはホスピタルに電話をかけた。彼女の担当科のナースセンターへつないでもらい、エミリー・ブラウンを呼びだしてもらう。
「すまない。どうしても、君の声を聞きたくて」
「いいの。わたしも、あなたのことばかり考えてたの」
ほかのナースの耳があるのか、エミリーは小声だ。だが、モニターに映るおもては薔薇色に染まっていた。
「今朝は急に出かけなければならなくなって、悪かった。もっと君といたかった」
「しかたないわ。あんなことがあって……ユーベルのこと、ニュースになってた。タクミに会った? 彼、責任感が強いから、自分を責めてるんじゃないかな」
エミリーの口からタクミの名を聞くのは妬ける。すると、エミリーは笑った。ダグレスの表情に出ていたらしい。
「違うのよ。ずっと憧れてたけど、タクミは……そうね。迷えるわたしを導いてくれる天使さまだったの。あなたに会って、それがわかったわ。今はあなただけよ」
「その気持ちならわかる。私もそうだった。今夜、君のところへ行っていい?」
「ええ」
「だが、遅くなるかもしれない。場合によっては真夜中まで」
「待ってるわ。でも……お願い。あんまり危険なことはしないでね」
「大丈夫。ムチャはしない。愛してるよ。エミリー」
「わたしもよ。愛してるわ。ダグレス」
ホログラフィーだということはわかっているが、彼女の唇に唇でふれる。
ダグレスは幸せな気分になって、電話を切った。
ゲームセンターに近いファーストフード店で、アルヌールと合流したとき、彼が妙な目つきをしていたのは、そのせいだったのかもしれない。にやけた顔をしていただろうか。
「ダグレス。こっちだ。このガキがなんか食わせろって、うるさくてね」
「刑事さん。態度でかすぎるんじゃないの? ホットドッグですまそうとしてるくせに」
「態度がデカいのはおまえだ。おまえだって、どうせ賭けゲームしてるんだろ? ブタ箱に入れられたいのか?」
「なんだかなぁ。話す気なくすよなぁ」
不良少年のくせに、子リスみたいにキラキラした瞳の少年。それが証言者のニコ・ドルネイだった。この少年の証言が、事件を劇的に進展させる。
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