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《同日午後二時すぎ。ホスピタル。エミリー》
ダグレスからの電話を切ると、恍惚とした気分は、先輩のナタリーの声で、いっぺんにふきとんでしまった。天国から地上に、足をひっぱられてひきもどされたみたいに。
「エミリー、なんだったの? 警察からって」
今日はリンダは非番。明日はエミリーが非番の日だ。ダグレスは忙しいだろうから、デートはできないだろうが、少なくとも翌朝の心配はしなくてすむ。何時まででも、ダグレスが来るのを待っていられる。
休日がこんなに楽しみなことはひさしぶりだ。いつもは年に数回のコスプレ大会のときしか喜びがない。
内職にしている看護学校の通信教育の添削に精を出すくらい。時給にすれば、ほんの五ムーンドルにもならない仕事をコツコツこなして、そのお金で新しいコスチュームを作るときのことを想像することだけが、ささやかな楽しみ。
でも、これからは休みが来るたびにワクワクできる。ドキドキが止まらない。
「なんでもありません。夏の事件のことで聞きたいことがあるみたいです。仕事が終わる時間を聞かれました」
「ああ、このごろ物騒よね。今朝も十七歳の男の子が焼死したって。きっと苦しかったでしょうね。警察には早く犯人、捕まえてもらわないと。それにしても、さっきの刑事さん。ハンサムだったわね。ちょっと翳のある感じが、すごくクール」
あら、ダメよ。あの人はわたしの恋人よ、と思う反面、自慢でもある。
そうなのだ。サングラスを外したダグレスは、とてもハンサムだ。ナタリーは男性経験豊富なので、用心しなければと気をひきしめる。別にナイショにしておく必要はないが、まだ誰にもジャマされず、二人だけのときを楽しみたい時期だ。
そのとき、ナースコールが鳴った。ボードに病室の番号が点灯する。
「また301号室ね。わたし、行ってきます」
エミリーはそれ以上、電話の内容を詮索されないうちに、ナースセンターをとびだした。
301号室は個室だ。
ナースのあいだでは別名、安眠室と呼ばれている。老衰や治る見込みのない患者たちが、最期に眠る安らぎの部屋だからだ。病室内も苦痛をやわらげるための各種の装置をそろえてある。
今現在、入っているのは、百四十歳を越えるという高齢の女性だ。年が年だから、現代の医学でも手のほどこしようがない。
親戚だという親子が交代でつきそっているし、ロボットナースを一機、専属でつけている。しかし、こういうときにはロボットより人間が恋しくなるらしい。ひんぱんにお呼びがかかるのだ。
それはしかたないと、エミリーは思う。死ぬときには、誰だって心細い。
「どうしましたか?」
病室へ行くと、十代の女の子が泣き顔で老婆をベッドに押さえつけていた。
「大伯母さんが家に帰るって、どうしても聞かないんです!」
末期の患者にはよくあることだ。エミリーは女の子と二人で患者をなだめた。
ぼんやりと濁った目で、老婆はうわごとをくりかえす。
「教えてあげ……なくちゃ……次……われるの、あの人……早く、助け…………」
患者の脳は限界寿命に近づいている。大幅に萎縮し、自律神経の運動さえ、ままならない。寝台のまわりを高圧酸素カプセルで覆い、鎮静剤を投与して、つねに半睡状態にしてある。夢の世界に包まれて、安らかに眠れるように。うわごとを言うのは、そのせいだ。
だが、その瞬間、患者は不可思議なことを言いだした。そのさまは、体内にとつぜん神が降りたかのようだ。
「今日は……何日?」
「九月十一日ですよ。マダム」
「何年の?」
「二千百三十二年です」
「そう……そうだったわ。ユーベルが死んだのね。未来はこうなる予定ではなかったのよ。かわいそうなユーベル。かわいそうなミランダ。誰かがわたしの知っていた未来の美しい形を、残酷にねじまげた。おかげで、この年になって、新しい夢ばかり見る。修正された未来を……」
エミリーは息を呑んだ。
なんだってこの老婦人は、ユーベルやミランダの名前を知っているのだろう。たんなるぐうぜんだろうか。ニュースで見たから?
いや、そうじゃない。
たしか、この婦人はリラ荘に住んでいた。以前に見かけたユーベルやミランダのことをおぼえていたのかもしれない。
それにしても、なぜ、昨夜、ユーベルが殺されたことを知っているのだろうか?
この病室では患者を刺激する悪いニュースは見られないようになっている。つきそいの女の子がしゃべってしまったのか?
そう思って、うかがうと、深刻な顔をして黙りこんでいる少女は怪しいような気がした。だが、老婦人はさらにエミリーを愕然とさせる。
「よかったわね。エミリー。あなたは幸せになるわ。ダグレスを大事にしてあげて。あの人も、不幸な人……あの人は、わたしの若いころに……似ている。だけど、これからは、つらいことも、二人で……」
呆然とするエミリーの手を、老婆はやせ細った手で、そっとつかむ。
「まだ全部……見えない。誰なのか……未来、変えた人……わかるまで、死ね……ない。まだ火が、見える……どうして…………」
老婦人はエミリーの手をにぎったまま、ふたたび半睡の夢に沈んだ。
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