《同日、午後十時。事務所兼リビング。アンドレ》

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《同日、午後十時。事務所兼リビング。アンドレ》

 くつろいだふんいきで酒盛りが進んでいくと、部屋のあるじとその親しい友人たちは本性を現し始めた。バックコーラスまで入れて陽気にくちずさむ歌が、どうにも耳を疑うほどに幼稚なのだ。最初は童謡かとすら思ったが、歌のあいまにはさまれる会話から、往年の日本のアニメソングだとわかった。 「はいはーい。東堂巧、イーブルマン行きまーす!」  無邪気な東洋の美青年を見ていると、アンドレはつい口元がゆるんでしまう。 (おいおい、トウドウくん。いいのかね? 君の大切な患者が隠しごとをしているというのに)  さて、その可憐な患者へ目をむけると、ユーベルは困ったような顔でアンドレの視線を受けた。  そういう表情も魅惑的だ。追いつめられた小動物のようで、じっさいの年より二歳は幼く見える。もともと華奢な少年だ。ふだんから十七には見えない。合格点だ。  笑いかけると、少年は今しも校長室のガラスを割ったことを、教師の口から父親に告げ口されやしないかと案ずる子どもの顔になって近づいてきた。 「おもしろい歌だね。あれ」 「あの人たち、退行現象おこしてるから、そっとしといてあげて。それより、あの……」 「わかっているよ。あのこと、ナイショなんだろ?」 「うん」 「別に悪いことじゃないと思うが。彼だって戸惑うよ?」 「いいんだ。言っても反対されるから」 「君は運がいい。担当医にあたったのが私でよかったね」  サイコセラピストが反対するような手術を、ほかの再生医師なら絶対に受理しなかった。  アンドレが笑うと、可愛い蝶々は急に警戒したように、くつろいでひろげていた羽をピンと立てた。いつでも飛びたつことができるように。怖いカマキリが花に擬態して待ち伏せていることに気づいたみたいに。 「どうして?」 「私の腕がいいからだよ」 「ふうん」  そのまま、あとずさりするように、保護者のもとへにじりよっていく。  その保護者ときたら、ほうけたように歌い狂っている。いい年した大人が何人も輪になって同じ振りつけを踊りながら歌っているさまは、バカバカしいのを通りこして、ちょっと怖い。  輪の中心にいるのがタクミで、輪の密接度に段階があることに、アンドレは気づいた。  タクミと同じ輪のなかにいるのは、彼に洗脳されたか、もともとそんな病気があったかしたオタク連中。五人の女の子と、タクミをふくむ三人の男がそれだ。残りの女三人と男三人が彼らを遠巻きにしている。へきえきしているのかと思いきや、たいていは微笑ましげな表情だ。 「やっぱりアニソンでパラパラ最高だよねぇー。次、誰?」 「はーい。あたしたち、今度、コスプレのレパートリー増やすのよね。いつまでもセーラーファイブだけじゃねぇ」  いい気持ちそうに酔っぱらっているが、、そう言ったのはけっこうゴージャスな金髪美人だ。ミシェル・ボアジュネと紹介された。信じられないが税理士なのだそうだ。 「だから、キュアムーン行きまーす」 「あっ、いいね。五人でできる。前の魔法少女モモの衣装違いは分身の術みたいだったもんね。あれはあれでおもしろかったけど」  ミシェルと楽しそうに話すタクミに、反対側から赤毛美人が迫る。ミランダ・ドノヴァンだ。  このオタク五人女、じつは全員、容姿水準が高い。アイドルグループと言われても納得できる。  セクシー美女のミシェル。  スレンダーでボーイッシュなミランダ。  ややふくよかだが親しみやすい感じのシェリル。  小柄で見るからにかよわいエミリー。  個性派のノーマはインド系だろう。 「ねえ、タクミはキュアムーンのなかで誰が好き?」と、ミランダ。 「あのなかではキュアレモンかなぁ。変身したときのポーズが、ちょっとエッチくさくてさぁ」 「やだ。タクミのエッチィー」 「エッチィー」  えへへと照れ笑いする、だまっていればエキゾチックな美青年に、酔った女たちが次々のしかかった。 「えーい、情熱のキュアチェリーキッス!」 「わッ、口はダメだって——むぅ……」  美青年は赤毛美人に唇を奪われた。 「ちょっとォ。やりすぎよ、ミランダ」 「そうよ。ぬけがけェ」  女たちのふんいきが険悪になって、五人はそろってキッチンへ消えていった。 「ひどいよぉ。僕のサードキス……全部、事故ばっか!」  残されたタクミが子どもみたいに涙をこぼしたので、アンドレは目を疑った。 (ウソだろ? こいつ)  酔っているせいかもしれない。でなければ、二十歳をすぎてキスで泣く男がいるだろうか? しかも相手は文句なしの美人だ。 「よしよし。泣かないの。大丈夫。ちょっと口があたっただけだよ。タクミのキスの価値は下がってないよ」 「ほんとかな?」 「うん。少なくとも、おれには」  保護対象のユーベルになぐさめられている。 (こいつ、本物だ)  アンドレは喜悦のために背筋がゾクゾクしてきた。 (いいだろう。トウドウ。認めてやるよ。君も天使だ)  ほくそ笑んでいると、刑事がサングラスの奥から見ていた。さっきから何度もこっちをうかがっている。 (イヤなやつだ)  アンドレは人知れず舌打ちをついた。  は誰にも勘づかれてはいけない……。
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