《同日午後八時半。アムステルダムシティー。タクミ》

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《同日午後八時半。アムステルダムシティー。タクミ》

 マーティンが現在、居住中のアムステルダムシティーは、ディアナから三つ東の都市。  昼なら地下鉄で六分という近距離だが、地下鉄の運行は午後八時まで。月の電力事情を考えると、やむを得ない。  リラ荘を出るとき、すでに八時をすぎていたので、タクミはタクシーで目的地まで移動した。  アムスは建設当初、オーストリア系住民の町だった。だが、そのうち、ディアナでは肩身のせまい同性愛者が多く移り住み、さらには自由な風潮のせいか芸術家も集まった。今ではゲイと芸術の町だ。  月ではゲノム編集で生まれてくる子どもが多く、したがって両親が同性同士であってもなんら問題はない。収入の性差も少ないので、地球のころにくらべて、同性愛者はかなり多いのだそうだ。  タクミはこの町が苦手だ。なんだかよくわからないが、ここではほかの都市にくらべて、イヤにモテるからだ。ウカウカしていると身の危険を感じる。  マーティンはゲイではないと思うのだが、なんだって、この町に住む気になったのだろうか。街路に変なオブジェやタイルで造った壁画なんかが多いからだろうか。 「バーカ。まわりが変わり者だらけだから、変わったことしてても文句言われないからだよ。ディアナでこの時間にこんなことしててみろ。すぐさま騒音罪だからな」  マーティンのアトリエは、廃工場みたいなふんいきの五階建てアパルトマンの四階にあった。二十畳ほどのだだっ広い一室に、生活と制作のスペースが混在している。ほぼ制作サイドだ。トイレとシャワールームは一階で共同。キッチンはないので、マーティンはソーラー電力のコンロを部屋に置いていた。それで作られるのは、おもにコーヒーとフリーズドライ食品用の熱湯。創造の宇宙は雑然としている。  この宇宙創造前のカオスのなかで、造物主はたったいま、レーザーのこぎりでマネキンを解体していた。CGクリエイターというとコンピューターに向かっている物静かな人のようだが、マーティンは違う。  たしかに、工事現場なみの彼のアトリエが存在することを、ディアナの住人はゆるさないだろう。 「急に訪ねてきて何かと思ったら、そんなことか。これが終わったら飲みに行こうと思ってたんだ。待ってるのがイヤなら手伝えよ」  轟音のなかから、マーティンの声がうっすら聞こえてきた。あ、まずいぞ。また力仕事させられる——と察したタクミは、早々に用件を切りだした。 「今日は急ぎの用で来たんだ。ユーベルが昨日、バタフライに殺されたよ」  青い火花を散らすレーザーソードみたいなノコギリで、無抵抗なプラスチックの女を切り刻んでいた映像作家は、一瞬、自分自身がマネキンみたいにかたまった。ノコギリが女の胴体を切断し、上半身が音を立てて床に落ちる。予定と違っていたのか、マーティンは舌打ちをついて、レーザーの電源を止めた。 「坊やが殺された?」と、両目の保護ゴーグルを頭にあげながら言う。 「うん。ニュース見なかった?」 「今日は一日こもってて……そうか。あの坊やがな」  知りあいの十七歳の少年が連続殺人犯に殺されれば、誰しも衝撃を受ける。だが、マーティンのそれには、また別の感慨がふくまれている気がした。 「あの手の顔は早死にするのかね」  つぶやくので、聞いてみる。 「アムールのカードのこと? インディーズ時代の」  マーティンはノコギリとゴーグルをなげだして、椅子がわりの鉄材に腰かける。 「見たのか?」 「うん。七万ムーンドルもするんだってね。増刷したらいいのに」 「あいつはダメだ。いい出来じゃないんだ」  そんなことはなかった。  ダグレスを待っているあいだにホログラフィーも見たが、自費製作とは思えないクオリティの高さだった。  十二、三歳くらいの少年のアムールが矢を放つと、それは蝶に変わり、やがてはアムール自身も全身がくだけちる。破片が無数の蝶となって消えていく。空気に溶けるように儚く美しいけれど、どこか悲しい映像だった。  いつも思うのだが、この一見ガサツな赤毛の大男のどこから、こんな繊細な世界がつむぎだされるのだろう。 「ユーベルに似てたね。あのアムール」  マーティンはひざの上にのせた大きな手を組んで見つめる。その手のなかに大切なものを包んで隠しているかのように。キレイな真珠色の羽のオーロラ蝶とか。 「似てるなとは、最初に会ったときから思ってたんだ。マヌエラに」 「マヌエラって?」 「ガキのころの友達だ。もうこの話、よそうぜ」  マーティンは捕まえていた蝶を逃がしてやるような仕草で、組んでいた両手をひろげてみせた。いつの時代の代物かとあやぶまれる旧式のヤカンで湯をわかし始める。カップ麺の匂いが室内にただよいだすと、タクミは急に空腹を感じた。そういえば、今朝から、ろくに食事をとっていない。 「今度さしいれ持ってくるから、カップ麺ごちそうして」 「しゃあねぇな。言っとくけど、これ、制作中の非常食なんだぜ。買い置き少ないんだからな」  豪邸で囲ってくれていたパトロンがお亡くなりになって、マーティンの生活水準はいっきに下落している。夕食もわびしい。もっともマーティンの場合、単に衣食住に無頓着なだけだろう。  二人でカップ麺をすすりながら、話を続ける。 「それがさ。ユーベルを殺したやつが、僕のとこにそのアムールを送ってよこしたんだよ。なんか秘密が隠されてるはずなんだよね。立ち入った話で悪いけど、マヌエラのこと教えてくれないかな?」  ズルズルズル。  マーティンはシーフード味が好みらしい。タクミはやっぱりカップ麺は醤油味派だ。 「……じゃあ話す。マヌエラはおれがガキのころ、近所に住んでた友達だ。二つ……いや、三つ年下だったかな。天使みたいなやつだった」  天使——  符号がチラつく。 「その人、今、どこに?」 「死んだよ。見ためは坊やに、性格はおまえに似てたかな。弱ってるやつをほっとけないみたいなとこがあって……」  ズルズル。 「近所にもう一人、仲のいいやつがいてな。アルビノだったせいで虚弱体質だったんだ。しょっちゅう寝込んでたよな。それをまた、マヌエラがほっとけないタチで、学校終わると、やつの家にとんでくんだ。あいつらは同い年だったしな。正直、おれもやつらのあいだには入れないくらい仲よかったなぁ、あの二人。それで、病弱なアルビノが蝶を好きだった。自分が虚弱なぶん、自由に飛べる蝶がうらやましかったんだろ。二人が十三のとき、そいつが肺炎で死にかけたことがあった。マヌエラはそいつを力づけるために……植物園から蝶を持ちだした。生きた蝶だぜ。知ってるか? 生きた蝶を持ちだすと、理由に関係なく、どんな人間でも死刑なんだ。子どもでもな。だから、マヌエラも……」  処刑されたというのか。  マーティンのアムールが悲しげなのは、そのせいだったのだ。 「マヌはなぁ。最後につれていかれるときも、笑ってたよな。引っ越すことになって遠くへ行くんだってふうで、ちょっと涙目になってたが。バイバイって言いながら、笑ってた」  マーティンは最後まで汁をすすって、からのカップを床になげだした。これだから創造の宇宙が、ますますカオスになっていくのだ。 「おれも、マヌエラのことはショックだった。あのころの暗い気持ちが表れてて、あのカードは好きじゃないんだ。だけど、あいつは、おれなんかよりずっと痛手受けてたからなぁ。あのあと遺伝子治療するとか言って、長期入院したまま、それっきりだが、どうしてるんだろうな。ちゃんと生きてるんだろうか。アンドレ」 「アンドレって言った?」 (アンドレ。アンドレ。最近、どっかで聞いたような……ベルばらじゃないぞ)  タクミが頭をかかえていると、マーティンが捕捉した。 「ああ。アンドレ。アルビノって言っても、遺伝子操作であれこれ手をくわえられててな。親が見栄っぱりで、見ため重視のデザインされたらしいんだ。左右の目の色が違うんだぜ。猫みたいにキレイなやつだった」  ラリック医師だ。 「ありがとう! すごく参考になった」  ラーメンを食べきったとき、電話がかかってきた。見ると、事務所からの転送だ。 「はい。こちら、T・T探偵事務所」  リリーの飼い主がモニターに映る。 (しまった。すっかり忘れてた。リリーを探すんだっけ)  怒られると思ったのに、彼女は気持ち悪いくらい上機嫌で、にこやかに笑っている。 「リリーを見つけてくれて、ありがとう。いつまで経っても清算に来てくれないから、こっちから電話したわ。料金も払いたいし、これからいっしょに食事をどう? お礼におごるけど」 「は? 清算? リリーちゃん、帰ってきたんですか?」 「あなたのとこの助手さんが、昨日のうちにつれてきてくれたじゃない」  ユーベルが昨日、彼女のところへ行った。リリーをつれて。 「それ、何時ごろの話ですか?」 「わたしが帰宅したのは七時すぎだったと思う。あの子が玄関前で待ってたのよ」 「そのあと、ユーベルはどうしました?」  琥珀色の猫っぽい目の依頼人は、だんだん不審げに目を細めてくる。 「どうって、帰っていったけど。もちろん。ねえ、それがどうかしたの?」  七時すぎと言えば、タクミたちが必死になって、ユーベルを探していた最中だ。ユーベルは行方をくらましているあいだに、ぐうぜん、リリーを見つけて、飼い主のところへ行ったのだろう。そういえば、リラ荘の近くでリリーの気配がすると言っていた。  ユーベルの死亡推定時刻は真夜中。  つまり、この人の目撃証言が、生きているユーベルを見た最後ということになりそうだ。 (変だ。ユーベルがリラ荘を出たときからずっと、犯人はユーベルをつけてたんだろうか? 刑事さんたちでさえ見すごしてしまったのに? でも、そうでないと説明がつかない。ユーベルがこの人のところへ行く予定はなかった。なりゆきだった。犯人には、ユーベルの居場所がわからなかったはずなんだ。ずっと尾行してたんでないかぎり……)  しかし、変な人物につけられていたなら、あの敏感なユーベルが、一人でリリーをつれていくようなまねをするだろうか?  胸のなかに説明のつかないモヤモヤがある。  なんだか、とても大事なことのような気がするのに、その正体がつかめない。
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