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《9月12日朝。ソフィーの部屋。ソフィー》
朝のニュースがそろそろ終わる時間なのに、いっこうに昨夜の大事件を報道しない。チャーミングな笑顔のアナウンサーが天気予報を告げるのを見て、ソフィーはあきらめた。
今朝のニュースにはまにあわなかったのかもしれない。
あれだけの大事件のフィナーレだ。確実な証拠をかためてからでなければ、警察は公表しないだろう。
それにしても、予定外に早く再生医師を始末しなければならなくなったのは残念だ。ほんとは例の四人を片づけてから、その罪もかぶってもらうつもりだったけど。
しかたあるまい。今回はこれで満足しておくよりはない。しかけた罠がすべて水泡に帰すよりはいい。残りの女たちは、若い女を狙う変質者でも仕立てあげて、また別の事件として始末してしまえばいいのだ。
それに一番めざわりだったミシェルは、昨夜、何者かによって殺されているはずだ。屋上の火事と同時刻か、それよりあとになるはずだから、再生医師の犯行にはならない。ミシェルとその母は強盗にでも殺されたことになるだろう。
その時間のアリバイはしっかり作ってあるから問題ない。
それにしても、ミシェルの事件の報道もなかったのは気になるところだが……。
考えているところに呼び鈴が鳴った。
ドアの外にタクミが立っている。
「めずらしいわね。朝早くから、どうしたの?」
「君に会いたくて」
甘い気持ちになったものの、長くは続かなかった。室内に入ってきたタクミは、あちこち包帯を巻いて、髪も少しこげくさい。
「どうしたの? それ」
「火傷したんだよ。と言っても、ぜんぜん、たいしたことないけどね。二センチ角のクローン皮膚細胞を何ヵ所か移植されたよ。一週間で治るんだって」
どうして火傷なんて負ったの?——とは聞けなかった。
わかっているではないか。昨夜、タクミが火傷しそうなことと言えば、あのことしかない。
タクミは悲しげな目をして、ソフィーを見つめてくる。
「アンドレとダグレスは入院してるけどね。二人とも生きてるよ。僕が助けた。警察は昨夜、二人を屋上へ運んでいったダークインベーダーを探してる。僕の部屋の防犯カメラに、そのときの映像が映ってて」
そうだ。カメラがついていることは知っていた。部屋の前と廊下を映す二ヵ所。だから、全身を隠せるあの扮装で行ったのだ。
「ダークインベーダーの服って、肩パット入れたり底上げ靴にしても、外からじゃわからないもんね。女の人が着ても男に見せることができる。ロボットアームのフレームにすれば、筋力も増強できるし。
ダグレスたちの話だと、僕が以前、君にロボトミー手術してもらったリサリサのフィギュアが二人を襲ったみたいだね。あれなら小さいから、防犯カメラには死角になって映らない。たぶん、僕の指紋とか、生体認証のかわりになるものが人形のどっかに登録してあって、自由に僕の部屋のドアをあけられるんだ。ダグレスがアンドレの部屋に入るとき、いっしょに侵入して、二人を襲撃した。さすがに三十センチたらずのフィギュアじゃ、男二人運べないから、君がやってきて屋上まで運んだ。
君は機械工学の専門家だ。ロボットを遠隔操作できるようにすることなんて、朝飯前だろ? 僕が改造をたのんだときに、そうしたんだ。いずれ、アンドレを殺すときのために。ミランダのときには、たぶん屋上の清掃ロボットが助手だったんじゃないかな。もう二体とも、そのプログラムは消去されてたけどね」
ソフィーは頬がこわばるのを感じた。自然な笑みを浮かべられているのか自信がない。
「何を言ってるの? わたしがどうして、そんなことするの? 第一、わたしがあなたにフィギュアの改造をたのまれたのは一年も前よ。そのとき、あなたは引っ越し前よ。あなたの隣室になるお医者さんなんて、わたし、見たこともなかった。存在さえ知らない人を殺すために、そんな計画を立てたっていうの? そんなのバカバカしいわよ」
反論はできないだろうと思っていたのに、タクミの顔はますます悲しげになる。
「君は知ってたんだよ。一年後、僕が引っ越したときに、となりになるのがアンドレだってこと。引っ越しパーティーの夜に女の子たちがケンカして、ミランダが一人で屋上へあがるってことを。ノーマが忘れ物をして、一人で非常階段の前を通るってことを。ユーベルが迷子の猫をとどけに飼い主のうちをたずねるってこと。誰がいつ、どこで何をするか、前もってわかってさえいれば、それにあわせて、さきまわりすることができる。その場所に仕掛けをほどこしておくこともできる。わかってしまえば単純なトリックだよね。予知能力なんだ」
どうして、そのことに気づかれてしまったのだろう。
それだけはバレない自信があったのに。なにしろ、ソフィー自身は予知なんてできない。
「でも、タクミ。わたしはエスパーじゃない。ESP協会のテストを受けてもいいけど、絶対にそんな力ない」
「君、サラ・リンドバーグって作家の愛読者だったよね。マーシェルシリーズ。じつは僕、昨日の夜、初めて読んだけど、ビックリしたよ。ほんとに細かいとこまで僕らの生活を写しとったみたいなんだからね」
「…………」
そう。そこまで知ってしまったのね。
「あのシリーズのヒーロー。マスミ・トウジョウって、ハーレクインロマンスではものすごく珍しい日本人なんだよね。物語のなかのニックネームがマーシェル。あれ、僕がモデルなんだって、リンドバーグさんが教えてくれた。ついさっき、息をひきとったんだけど……」
あの作者。まだ生きてたの。とっくに死んでると思ってた。
「リンドバーグさんは予知能力者なんだ。未来に起こることが夢で見えるんだって。自分の見た夢を日記に残して、それをもとに小説を書いたんだよ。リンドバーグさんが若いころは、めったに超能力者はいなくて異質な存在だった。未来がわかる能力のおかげで一族は栄え、ヘル・パンデミックの前にスペースコロニーに逃れることもできた。けど、世間ではうとましがられて、ずっと孤独に生きてきた。僕の手をとって、最期に会えて嬉しかったって言ったよ。いつも夢のなかに僕がいたから、あの人の一生は幸福だったって……」
ぽろりと、きれいな涙が、タクミの黒い瞳からこぼれおちる。
ほんとにタクミはキレイ。
少女のころ憧れたマーシェルそのもの。
タクミに初めて出会ったときは驚愕した。あまりにも小説のなかの人にそっくりだったから。物語にしか存在しないはずの理想の人が、とつぜん現実の人間として目の前に現れたのだ。このときの喜びをどう表現していいかわからない。
そのうち、彼のまわりの友人や、そこで起こるささやかな出来事まで、小説の一場面やストーリーに酷似していることに気づいた。登場人物のなかには、あきらかにソフィーらしき女もいる。
作者のことを調べると、予知能力者だとわかった。小説はすべて、これからタクミや自分のまわりで起こることだということが。
「ずっと勘違いしてた。バタフライはユーベルを殺したいんだって。でも、ほんとの目的は違ってた。ユーベルを殺したいのは、彼が強力なエスパーだから。ユーベルの力が君の計画のジャマになると思ったからだ。小説を読めば、あの子がトリプルAだってことは書いてあるもんね。じっさい、ノーマはユーベルに助けられてる。
だから、まず、ジャマなユーベルを殺すための計画を立てた。けど、ほんとに殺したかったのは、女の子たちのほうだった。
ミランダが死んだとき、僕らのなかに彼女を殺せる機会のある人間はいなかった。でも、そんなことは未来がわかれば関係ない。前もって屋上に、ミランダをつきおとす相棒を用意しておくだけ。君なら重力調整装置にも、かんたんに細工できた」
「…………」
「一連の犯行、君は完璧だったと思ってるかもしれないけど、一つだけ誤算が働いたよ。昨日、ミシェルの部屋には、ノーマとシェリルが泊まってたんだ。ユーベルの追悼のためにね。おかげで、ミシェルのクマはプログラムどおりの働きができなかった。ミシェルが寝たら、クマが襲う仕掛けだったんだろうけど、同じ室内に目のさめてる友達がいたんだ。クマがターゲットをしぼれずに右往左往してるうちに助けが来た。ミシェルもほかの女の子も生きてる。君に改造してもらったクマがあばれだしたって証言した」
そう。未来が変わることもあるのね。昨日のミシェルはいつもどおり一人で就寝するはずだった。急いで二つの仕事をしようとしたから、ボロが出てしまった。やはり、あせりは禁物だ。
「……どうして、女の子たちを殺そうとしたの?」
おバカさんねぇ。ほんとにタクミはニブイんだから。あの小説のラストまで読めば、もうじき、あなたが誰かと結婚することがわかる。新婦が誰なのかは書かれていない。親しい女友達としか。
そうなる前に、結婚相手になりそうな女たちをかたっぱしから消しておきたかった。子どもっぽいアニメ趣味からも卒業させたかったし。
でも、そうは言えないので、ささやく。
「それをわたしの口から言わせるのは酷じゃない」
「僕は君のことも、みんなのことも、同じくらい大切な友達だと思ってたのに」
あらあら、また泣いちゃって。友達を助けに炎のなかへとびこむくらい勇敢なのに、ふだんはこうなのよね。そこが可愛いんだけど。
「わたしの好きと、あなたの好きは違ったのよ」
「ごめん。僕、恋愛にトロくて」
ほんとにね。それ以外のことは明敏なのに。
わたしがバタフライだと、あなたに指摘されたのは痛かったわ。
「自首してくれる?」
タクミが言うので、うなずいた。
ほんとのことは言わないでおこう。きっと彼は泣く。タクミはそういう人だ。
たとえ、殺人犯のわたしでも、タクミが帰ったあと、眠るように安らかに死ねる薬で、この世を去ると知れば……。
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