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《6月29日午前零時すぎ。事務所兼リビング。タクミ》
ようやく、ミシェルが落ちついたので、タクミはリビングへ帰った。すると、セラピストのコリンが言いだす。コリンとクロエはユーベルのケアプランの仲間でもある。
「そろそろ帰るよ。明日も仕事だからね。クロエは送ってく」
それが契機で、ラリック医師も立ちあがった。
「私も仕事にさしつかえるから帰る。今日は楽しかった。また呼んでくれたまえ」
「おかまいできなくて、すみません。自分ばっかりさわいじゃって」
「いやいや、楽しかったよ」
遺伝子操作技術の結晶みたいに美しい医師は、印象深いキレイな微笑を残して出ていった。続いて、ダグレスも。
「私も帰る」
「あっ、ミラーさんもまた来てくださいね」
先刻のラリック医師も、ダグレスも、しっかりした足どりだ。だが、ダグレスが玄関から出る前に、ノーマが心配顔で言いだしたので、ダグレスはそこで足を止めた。
「あたしたちも帰りたいけど、ミランダ、どこ?」
「ミランダなら、さっき夜景見てくるって出ていったぜ。屋上に行くとか言ってさ」
答えたのは、エドゥアルド・フェリシモ。
スペイン系イタリア人で、タクミがゴエモンのときはルパン。麦わらをかぶった海賊のときには、長鼻の仲間。放射能除去装置を求めて旅立つ宇宙戦艦の若き艦長のときには、行方不明の兄に変身するコスプレ仲間だ。本職は反重力整備士。
同じく、ガンマンとシェフと総統に化けるジャンが、へべれけの一歩手前で正気を保っている。
「あいつ、だいぶ酔ってたし、そのへんでノビてんじゃないの?」
「僕、探してくるよ」
タクミはミランダを探しに廊下へ出た。立てたコの字型の廊下に人影はない。タクミのあとにダグレスもついてきた。
「いっしょに探しましょうか?」
「いや、いいです。屋上に行ったって言うから、すぐ見つかりますよ。もし、エントランスホールにでもいたら教えてください。アンテナ立てときますから」
エンパシスト同士の感能力をひらいておくという意味だ。ダグレスもエンパシストなので、すぐに了解してエレベーターのほうへ去っていく。
リラ荘の四、五階は床面積の広いお高いフロアなので、エレベーターのセキュリティが厳重だ。各戸の入室許可登録がされた人間以外は昇降口のドアをあけることができない。非常口も別になっている。つまり、ミランダがいるとしたら三階以下か、屋上だ。
屋上はエレベーターでは行けないので、タクミは非常階段を使うしか方法がなかった。
非常階段はエレベーターのとなりにある。ダグレスのあとについて歩いていると、数歩のうちにユーベルがやってきて、タクミの背中にひっついた。
「ダメだよ。君が部屋にいないと、みんなが閉じこめられるよ。僕らがいないとドアがあけられないんだから。コリンたち帰るって言ってたろ?」
「さきに帰らせちゃえばいいよ」
言いかたはそっけないが、さびしいのだということはわかった。
(この子ってほんと甘えん坊だよな)
しょうがなく、ひきかえして玄関のドアをあける。コリン、クロエ、ソフィー、ミシェル、ユーマが廊下に出てきた。ジャンとエドゥアルドは二人でまだ飲んでいる。
「ミシェルが帰るって言うから、おれが送るよ。ソフィーも近いしさ」と、ユーマが告げる。
ミシェルはミランダと顔をあわせたくないのだろうと、タクミは考えた。
「うん。じゃ、頼む」
「澤田や柚木がたまには道場来いって言ってたぞ」
「ああ……ここんとこ、さぼってた。引っ越しもすんだし、ぼちぼち行くよ。腕がなまるからなぁ」
ひとかたまりになってエレベーターの前まで行ったところで、五人とは別れた。
「ミシェル。元気出しなよ。ミランダも悪かったと思ったから逃げたんだと思うしさ。本気で言ったんじゃないよ」
「……うん」
エレベーターのドアが閉まり、五人がおりていく。
さがっていくエレベーターとは逆に、タクミはユーベルと非常階段をあがっていった。
エントランスホールをふくむ共有の場所は、節電のため夜十時になると照明が落とされる。建築基準法で定められた光度二だ。これはギリギリ足元が見わけられるていどの明るさなので、広いホールのすみずみまで見渡すことはできない。
月の電気事情はソーラー発電の進歩や落雷蓄電法の開発などで、それほど悪くはないものの、人間の欲求に対して二百パーセント応えてくれるわけでもない。一般住居にへのこうした措置はどこの都市でも珍しくなかった。
この時間だと、屋上からの夜景も目をみはるほどではないはずだ。ミランダが屋上にいたとしても、そろそろおりてきてもよさそうなものだ。
一階ごとにジグザグに進む階段をのぼっていくと、鉄の扉があった。非常出口は緊急脱出にそなえて、手動で開閉する旧式なドアだ。その手前に平時はかけられている閂が置かれていた。昼間、避難経路を確認しに来たときにはかかっていた。
「閂が外されてる。やっぱり、ミランダ、ここにいるんだ」
屋上への出入口はこの一つしかない。ミランダが階下へむかっていたなら、途中のどこかで、必ず、タクミたちとすれ違っていた。
ずっしりと重い鉄の扉をあけて屋上へ出ると、ビックリするくらい広い。青い地球光がふりそそいでいた。ぼんやりと靄のような明かりが、暗い街並みにポツポツ見えるのも、ノスタルジックで美しい。
「夜景、まだキレイだ。ほら、ユーベル」
手招きしたのに、ユーベルは出入口のところでかたまっている。
「ユーベル?」
「……ここ、変だ。なんかあったよ」
ユーベルは未成年なので、お酒は飲ませていない。酔ってたわごとを言いだしたわけではないはずだ。
「それ、サイコメトリー?」
たずねたが、ユーベルは幽霊を見たように、階下へ走って逃げだした。
「ああ、ちょっと、ユーベル——」
タクミは急いで屋上を見渡した。人影はない。ミランダはタクミたちが非常階段をあがり始める前におりてしまったのかもしれない。
タクミは出入口まで戻り、ドアを閉めようとした。閂をかけておかないと不用心だ、泥棒が来たらどうするんだと考えていたときだ。テレパシー特有の声が聞こえた。
『トウドウ。来てくれ。君の友人が見つかった』
ダグレスだ。
『すぐ行きます。どこですか?』
アパルトマンの前の通りの映像がエンパシーで送られてくる。
Bランクのダグレスの送ってくる映像は、やや不鮮明だ。夜の景色をフラッシュなしで撮った古い時代の写真みたいだ。
それにたぶん、ダグレス自身も冷静さを欠いていた。ダグレスの心の奥深くにある別の情景が、その景色にダブって見えた。レントゲン写真みたいは人間の姿。おかしな形で地面によこたわっている。
『ダグレス。大丈夫? 今すぐ行くから』
テレパシーを送ると交信がとだえた。
タクミは非常階段をかけおり、三階からエレベーターに乗った。エレベーターのなかでも足ぶみして、あせる気持ちを抑える。
できるかぎりの速さで表通りに出たときには、薄暗い街灯のもとに数人の男女が集まっていた。コリンやミシェルたち五人だ。リラ荘を出たところでダグレスと出会ったようだ。
「ミランダ、見つかったって?」
「うん。今、警察呼んだよ」
酔いのさめた顔つきで、コリンが答える。
「警察?」
コリンの指さすほうへ視線をやると、街灯から離れた暗がりに、ダグレスが立っていた。タクミを見て手招きする。
近づいていくと、ダグレスの足元にはミランダが倒れていた。だが、それはもうタクミの知っているミランダではない。友達のこんな姿を見るのは、とてもショッキングだ。
「……落ちたんですね? 屋上から」
タクミの問いかけに、ダグレスがひっそりと応じる。
「ええ。ついさっきですね。体がまだ、あたたかい」
高いところから落ちた衝撃で、ミランダの首や手足は生きている人間にはありえない角度でまがっていた。当然、即死だったろう。
(そういえば、ダグレスは透視能力者だったっけ。さっき見えたレントゲンは、ミランダだったのか)
他人と目をあわせることを嫌うダグレスが、死体のことは直視している。
「彼女は屋上へ行くと言っていましたね。屋上のようすはどうでした?」
なんで、そんなことを聞かれるのか、タクミは初めわからなかった。
「ええと……こんな感じ」
口で言うより早いので、タクミはさきほど見た風景をエンパシーで伝えた。テレパシーは言葉になるほど強い思念だけを伝えるが、エンパシーは映像をふくむ伝達能力だ。
ダグレスがつぶやく。
「唯一の屋上への連絡路は無人。屋上にも人影はなしか。建物から出るためのエントランスホール付近には、事故が起こったと思われる時間帯、あなたの友人が数名いた。つまり、自殺か事故ということですね」
ダグレスは他殺を疑っていたのだ。
「ミランダは殺されるような子じゃなかった。酔うと、ちょっと口がすぎるけど、酔いがさめれば謝ってたし。今日はいつもより酔ってたから、事故かなぁ」
あるいはミシェルに対してひどいことを言ってしまったので、自己嫌悪のあまり衝動的に自殺してしまったか。悲しいことだけれど、その可能性はなきにしもあらずだ。
考えていると、またダグレスがたずねてくる。
「この建物には転落防止用の重力調整プログラムが導入されていないんですか?」
すっかり刑事の口調だ。
「いや、そこまでは僕も知らない。今日、越してきたばかりだから。管理人さんに聞いたほうが早いよ」
三階建て以上の建物には、人が落下したとき、センサーで感知し、重力をやわらげるシステムを用いていることが多い。その場合、道路の重力装置は市の管轄なので、道路と建物の接するところで、ごくまれに緊急システムが正常に作動しないことがある。
ようやく、パトカーがやってきた。ロボットポリスを一体ひきつれた警官が二名。ダグレスが二人に身分証を見せ、三人で処理していく。
ミランダの遺体は病院に搬送され、司法解剖にまわされた。
タクミたちは事情聴取だ。てきとうな場所として、タクミの部屋が選ばれる。
「やっぱり、自殺なんじゃない? あの子、今日、ひどかったしね」
「そうね。自分でも気にしてたみたい。言いすぎちゃったって顔してたもの」
「うん。でも、ミランダ、負けん気強いから、ひけなかったのね」
女の子たちがぼそぼそと話している。ミシェルはまた泣きだしてしまった。
「それじゃ口論になったあと、ミランダさんは一人で屋上へ行ったんですね。それは何時ごろでしたか?」
「十一時半くらい?」
「四十分すぎだと思う。キッチンを出たとき、リビングの時計見たから」
先住者が置いていったアンティークな鳩時計だ。
警官の質問に全員が記憶をよせあつめて答える。が、たいしたことはわからなかった。十一時四十分ごろに出ていったのが、生前に目撃されたミランダの最後の姿だということだけ。
「司法解剖の結果が出たら、また質問にうかがうことがあるかもしれません。みなさんの住所と連絡先を教えてください」
警官にそう言われ、解放された。現場の状況から言って、事件性が低いからだ。
みんなが帰っていくなかで、
「ねえ、タクミ」
耳打ちしてきたのは、クロエだ。サイコセラピスト仲間のマドンナで、理知的な黒人女性である。
「あなたの友達の刑事、ちょっと変よ。セラピーが必要なんじゃないかしら。わたしたちが通りに出たとき、彼、ミランダの遺体の前で、ぼうっとつっ立ってたけど」
そう言われれば、ダグレスがエレベーターでおりてから、タクミにテレパシー通信があるまで、ずいぶん時間がかかったように思う。テレパシーのときの感情もすごく乱れていた。投身自殺の死体を見れば誰だって驚愕するが、ダグレスは刑事だ。一般人より凄惨な死体を見なれているはずだ。クロエの言うとおり、少し動揺しすぎにも思える。
「酔って気がゆるんでたから、よけいビックリしたのかな」
言いながら、タクミは自分でも腑に落ちなかった。
エレベーターにむかっていくダグレスの足どりに、酔いは微塵も感じられなかったのだが……。
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