主にお願いされたのでこれから発情いたします

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 ゴン! と音がした。 「だ、旦那様!」  昨日まで寝込んでいたはずのフログラード伯爵家の主人が、僕の前で頭を下げて……というか土下座していた。慌てて近くに誰もいないことを確認する。  良かった。 「リヨン。すまない。信念を曲げて、お前に頼みたいことがある」 「旦那様、そんな格好をされては落ち着いてお話が聞けません。お願いですから……」  頼み込んでソファに座ってもらった。 「そこにかけてくれ」  身体ごと沈みそうなくらいふわふわの椅子に僅かにお尻をつけるという苦行で足をぷるぷるさせつつ、僕はお話を聞くことになった。多分普通に座って良いのだと思うけれど、使用人にこの椅子は豪華すぎる。いっそ床に座ってお話を聞きたいくらいだ。 「息子の事だ……」  僕の仕えるフログラード伯爵家には、主人のマキシム様、妻のマーガレット様、跡継ぎのジェイク様、お嫁に行かれたリリア様とミッチェル様がいらっしゃる。妹の二人がお嫁に行っていることからわかるように、ジェイク様は二十八歳という男としては最高に仕上がった男盛りである。が、奥様は未だもらっていない。  王の剣と呼ばれるフログラード伯爵家は武に寄った貴族で、ジェイク様は陛下にお仕えする騎士でもあるのだ。 「ジェイク様のことですか?」 「リヨンも知っている通り、ジェイクもいい年だ。真面目すぎるきらいはあるが、男として十分な魅力もあるし、性質も悪くない。将来も有望だ。親の欲目ではなくいい物件だと思う」  僕はコクコクと頷いた。僕は五つの時に両親を病で亡くし、フログラード伯爵家に仕えるお祖父様に引き取られた。当時五歳だった僕は、両親が亡くなるまでの不安と、引き取られてからの生活の違いに震え、よく泣いていた。僕を慰めてくれたのは、八歳年上のジェイク様だった。ジェイク様は、弟が欲しかったのだと言って僕と遊んでくれた。  優しいジェイク様は、僕の憧れであり、誇りだ。フログラード伯爵家に仕える者達は皆、ジェイク様に喜んで仕えていると思う。お祖父様に鍛えられて、僕はフログラード伯爵家の事務を仕事にしている。一生彼に仕えるつもりだ。 「よかった。リヨンもジェイクのことはそう思っているということで間違いないな?」 「ジェイク様に一生お仕えいたします」 「そうか、良かった。先に聞いておくが、お前に許嫁や結婚しようと約束した相手がいたりはしないだろうな?」  もしかしてマキシム様は僕が二十歳になったから、結婚相手を探してくれようとしているのだろうか。良かったというからには、この屋敷で一緒に仕える相手なのだろう。 「いません。僕は男とはいえ、オメガですから産んで育てることになります。屋敷の仕事が出来なくなるので番うつもりはないのです」  断ってはマキシム様への不敬になるかもしれないと思いつつ告げた。男だから女性と結婚して産んでもらうこともできるけど、どうしてもそういう気にならなかった。  昔はオメガといえば大変だったらしい。二次性徴を迎える頃になると、フェロモンというアルファを誘う匂いを出してしまうので、アルファのいない家の中に閉じ込められたり、アルファの相手をする性的な宿で引き取られるか死ぬまで搾取されていたという。今は、薬が発達して一度も匂いを出すこと(発情という)することなく一生を終えるオメガも多い。僕も発情したことはないし、これからもする予定などなかった。 「オメガであるお前にしか頼めないのだ」  苦渋の顔でマキシム様は僕に頭を下げる。 「旦那様! 頭を上げてください」  マキシム様は、雨の日に捨てられていた子犬のような目で僕を見上げた。  そ、そんな顔をされたら断れないじゃないか~という心の叫びを飲み込んで、僕は項垂れるように頷いた。 「これから言うことは、ジェイクにもマーガレットにも内緒だ。いいね?」  優しく諭すような顔だけど、実は目の奥に後悔のようなものが見える。そういえば、信念にもとる願いだと言っていた。マキシム様は、オメガを搾取しようとする者達を許さない人だった。オメガが暮らしやすい国になっているのは、こうして弱いもの達を護ろうとしてくれる施政者がいるからだと僕は知っている。  もしかして信念というのはそういうことだろうか。  あながちそれは間違っていなかった。マキシム様は、ジェイク様の子供を産んで欲しいと言った。 「それは当主としてお嫁さんを探してくれば良いだけのお話では?」 「ジェイクがその探してきたお嫁さん候補をことごとく退けなければ、私もこんな無茶を自分の家族とも思っているお前に頼んだりしないよ」  マキシム様は、そう言ってため息を吐いた。 「ええっ、そんな畏れおおい」 「小さな時から知っているお前に無茶を言わなければならないほど、ジェイクは誰も嫁にしようとしないんだ。この前風邪をひいて、死ぬかと思った時に……、孫を見たくなってね」  ジェイク様の妹君には子供がいるはずなのに、そんなことを言う。 「ミッチェル様はお二人男の子がいらっしゃるので」  いざという時は、そちらから養子をもらえるはずだ。 「ジェイクの子を見たいのだ!」  潤む目でマキシム様は僕の手をとった。 「発情して、ジェイクをその気にさせて子を産んでくれ。もちろん、ジェイクのことが生理的に無理だとか、嫌いだというのなら私も諦めよう」  そう言われたら、僕は頷くしかない。 「一週間時間をください」 「いいだろう。心の準備をして、ジェイクをメロメロにしてやりなさい。いるものは何でも用意しよう」  マキシム様は、もう一度僕に頭を下げた。  逃げられない――と、腹をくくった。
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