第10話 トトメス王子、真昼の大地にして蘇りし古代王と対面するの由

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第10話 トトメス王子、真昼の大地にして蘇りし古代王と対面するの由

 像をあらかた掘り出すまで、丸二日もかかった。  驚いたことに、その像は人間の姿ではなかった。首から上は確かに人なのに、首から下は座った獅子のような姿なのだ。それに全体をよく見れば、人の顔である部分も、どこか獣のような顎の突き出した輪郭を持っている。それが頭巾と髭をつけて、東の地平線を見つけるように鎮座しているのだ。  巨大な像は今、背中と前脚を砂の上に出し、まるで日向ぼっこをする巨大な獅子のように、満足げに目を細めて陽光を浴びていた。  「いかがでしょう、トトメス様。」 ベセクが訊ねている前で、石の巨像は大きく伸びをする…ような雰囲気の顔で、いかにも気持ちが良さそうにしている。  『うーーん。実に良いぞ。身体に力が満ちてゆきおるわい…』  「これで良いみたいだ。満足しているらしい」  「なら、もう、妙な声は聞こえなくなるんですかねぇ?」 ベセクが雇って来た近隣の村の住人たちは、不安げに巨大な顔を見あげている。  すぐ近くにいるというのに、彼らは誰一人、像の喋るのが聞こえていないし、表情を動かすのも見えていないのだ。トトメスは、何だかおかしくなってきた。  「にしても、ずいぶん砂に埋もれていたもんだな。こんな大きなものが頭の先まで埋もれていたなんて」  「この辺りは風が強いらしいですからね。それにこの像の辺りは、周りが凹んでいるから砂が溜まりやすいんですよ。どうします? 一度、イウヌへ報告に戻りますか?」  「そうだな。そうし――」 言いかけたその時、ふいに、辺りを間早い輝きが包み込んだ。  『う…む、お、おおお…』  「?!」 振り返ると、獅子の像が白い間早い輝きに包まれながら、頭を僅かに逸らして口を大きく開けている。  隣に立っていたベセクが、ふいによろめいて、砂の上に膝をついた。周囲にいた村人たちも同じだ。意識を失って、ふらふらと倒れていく。  「な…えっ? ベセク! おい、像…じゃなかった、ホル・エム・アケト! 一体、何をした?!」  『扉が開いたのだ。我が主がお戻りになられるぞ』  「は? 今? ――わっ」 輝く砂の上を一直線に、光の道が聖なる墓所へと延びていく。その光が三角の岩山のてっぺんの、尖った部分めがけて一気に駆け上ってゆく。眩しい太陽の輝きが表面の白い石に反射して、辺りは一瞬、目も開けていられないほどの眩い輝きに包まれた。トトメスは思わず手を翳し、光から逃れるように像のあごの下の影に駆け込んだ。  輝きはそれほど長続きしなかった。  光が薄れてゆくとともに、真っ白になっていた空に青い色が戻ってきる。けれど、像はまだうっすらと輝きを帯びたままだ。  どこかから、シャン、シャンと楽器を打ち鳴らすような涼しげな音が響いてくる。  それとともに、微かな花の香りが漂い、頭上から、花びらのようなものが舞い落ちて来る。  顔を上げると、参道の上を幻の楽団と召使いたちの群れを引き連れて、こちらに歩いてくる人物の姿が見えた。両手に曲がった王杓と短い鞭を持ち、頭上に赤と白の高い王冠を乗せ、腰には青い石を連ねた飾りの垂れさがる帯を巻いている。  口を半開きにしたままで、トトメスは、やってくるその男を見つめていた。  取り巻きの半透明な人影は、王の頭上から花びらを投げかけ、口々に王を讃える言葉を唱えている。まさに、王者の行幸そのものだ。白昼夢にしてはあまりにはっきりしている。トトメスはそろりと自分の頬をつねって、夢ではないことを確かめた。  行列はしずしずと進み、像の横まで来て止まった。  王は顔を上げ、像を見て太い声で言った。  「ふむ、流石に風化はしたな、我がしもべ、夜明けの地平のホルス(ホル・エム・アケト)よ! だが形は保たれておる。しかして空は千年を越えても変わらず青く、我が黒き大地には、命のいしずえなる恵みの大河が流れ続けておる! 実に良き哉。」  『いかにも、そのようでございます我が王。しかしながら…その、お姿は…? お身体は、どうされたのです』  「身体、身体か。それがな、朽ち果ててしまったものか、棺の中は空であったわ。処置はさせたが、流石に人間の肉体を千年持たせるのは無茶であったか」  『なんと。それでは、いかようにご使命を果たされまするのか』  「はっはっは! いかようにしたものかな! 参った参った」  「……。」 トトメスは唖然としたままで、目の前の、小柄だが頑丈そうな体格の、壮年の男を見あげていた。肌は陽に灼けて色黒で、髪は綺麗にそり落としているが、あごには黒々とした立派な髭を蓄えている。身に着けているものは古風だが、確かに王の身に着けるものばかり。太陽の陽射しの下に、肉体の無い王の姿は半透明に透けて見える。  これが、あの巨大な岩山を築かせ、その中で眠っていた千年前の王、なのか。   「――うむ?」 ふと、王の視線が像のあごの下に小さくなって座りこんでいる少年に留まった。  「ほう、余の神気に当てられて意識を保っているものがおるぞ。何者だ」  「え、俺?」  「そうだ」  「あ、…えっと…」 慌てて居住まいを正し、きちんと座りなおすと、トトメスは名乗った。  「申し遅れました。私はトトメス。上下の国の王、太陽の息子(サァ・ラー)、アメン神に愛されし者、アアケペルウラー王の息子です」 過去の、とはいえ、相手はこの国の王だ。正式な名乗りをするのが筋だろう。  「ほう…"太陽の息子"?」 王は、面白そうな顔になった。  「神々の加護を受けし王家の一員なれば、意識を保っておれるも納得出来るな。出迎え、ご苦労であるぞ」  「あっ、…はい、じゃなかった、恐れ入ります」 トトメスは頭を下げた。  『長年のうちに砂に埋もれていたところ、この者が我を掘り起こしてくれたのです』 と、像。  「それは褒美を与えねばならんな。王子よ、何を望む? この国の王位か。美しき王妃か。それとも両手に余るほどの財か?」  「へ?」  「望みは何だ。この神王、カーエフラーのしもべのために働いたからには、褒美は思いのままだ。何でも申してみよ」 突然のことに、トトメスはしばし、声も無かった。  だが、意味が理解出来て来ると、彼は戸惑ったような、僅かな不機嫌なような顔になっていた。  「何か欲しくて、やったわけじゃありません。ただ、ここらの人たちが困っていたから手伝っただけですよ。これでもう、地面の下から騒ぐこともないですよね? 皆を起こしてください。俺は、イウヌへ戻らなきゃならないんです」  『無礼な。小さき者よ、王に対する口のきき方を――』  「良い」 片手を上げ、王は慇懃に言った。  「礼を失したるは余も同じよ。確かに王の子ともなれば、いま余が申したようなものは自力で何とでもなる話である。この場は礼を申すだけにしておこう。改めて感謝するぞ、アアケペルウラー王の息子、トトメスよ。」 胸の奥が、微かに疼く。  まともに役目も果たせない出来損ないの自分を、王の息子――王子と呼ばせるのは、騙しているような後ろめたさがある。本当なら、偉大な王に対面して対等に口を利く資格など、自分には無いかもしれないのに。  ぱちん、指を鳴らすようなと音がした。  はっとして顔を上げると、いつの間にか、さっきまでそこにいた行列が居なくなっていた。カーエフラー王の幻影も、地面に落ちていた花びらや、辺りに漂っていたかぐわしい匂いも一緒に消えている。像はただの岩のようなに無言に佇んで、辺りは、しん、と静まり返っている。  「う、うーん」 後ろで、倒れていたベセクが額に手をやりながら起き上がるところだった。  「大丈夫か?」  「はい。…頭がくらくらする。暑いのに動き回ったせいで眩暈でも起こしたんですかね?」  「水を飲んで落ち着くといいよ。多分、…これで、…俺たちの仕事は終わったはずだから」 トトメスは、満足げな顔で地平線を眺めているホル・エム・アケトの巨大な顔を見あげながら言った。  今日ここで見たことは、きっと、ただの白昼夢ではないのだ。  でもきっと、誰に言っても信じて貰えないだろう。千年の時を越えて古代の王が蘇り、その王と対面して言葉を交わした、など、夢物語にしても、あまりにも荒唐無稽だから。  数日ぶりに戻って来たイウヌの大神殿は、ちょうど、夏至のお祭りの準備の真っ最中だった。太陽柱の周囲に飾り付けがされ、沢山の花が供えられている。礼拝所の前では、参拝者にパンやビールを配るための台が並べられている。神官たちは大忙しで、取り仕切っているつもりのアメンエムオペトがあれこれ大声で指図するのを面倒くさそうな顔で聞き流している。  埋もれていた像を掘り出し終わったことを報告したかったが、このぶんでは、それどころでは無さそうだ。出発前に会話した神官たちを見つけるのもままならない。  仕方なく、トトメスは先に家へ戻ることにした。  神殿の敷地内の奥にある仮の我が家は、改装が終わって新品のようになっていた。綺麗に漆喰を塗り終えた外壁は真っ白で、西の対岸の聖なる墓所のように輝いている。  「お帰りなさい、トトメス様。」 玄関の掃除をしていたマイアが、ほっとしたような笑顔を向ける。  「丁度、今朝、お手紙が届いたところですよ。机の上の箱の中にお入れしておきましたから」  「手紙?」  「都からだそうです。きっとご家族か、お知り合いからでは」 さっそく部屋に戻って、机の端に筆記具と一緒に置いてある文箱を開けてみると、確かに、蜜蝋で封をした巻物状の手紙が入っていた。封に圧されている印章は王家の印だ。それに、小さく名前の最初の一文字が刻まれている。  (イアレトか…そういえば、手紙を書くって言ってたな) 小刀を取り出して封を切っていると、ごそごそと物音がして、足元に生暖かい息が触れる。見下ろすとアメミットが、いつものように短いカバの尾を振りながら足元にすり寄ってきていた。  「何だよ。留守にしたのがそんなに寂しかったのか? あとで晩飯少し分けてやるから、ちょっと待ってろ」 トトメスはランプに灯りを点し、椅子に腰を下ろして手紙を広げた。妹のイアレトの文字は相変わらず綺麗で、神官や書記たちにも負けず劣らずの達筆だ。  手紙の内容は、トトメスが都を出てからのことだった。  母のティアアが毎日、溜息ばかりついていること。イアレトが寂しく思っていること。婚約者のネフェルトイリは女神ムウトの神殿に籠ったまま、誰とも会いたがらないこと。  巻物を読み進める目を止めて、トトメスは、顔を上げた。  (ネフェルトイリは、まだ気にしてるのか? …やっぱり、俺から婚約を解消すると言ったほうが良かったのかな。だけど、はっきり言いすぎるとまた泣かせるし…。うーん、どう言えば良かったんだろう) 再び視線を戻し、読み進めはじめた彼の視線が、再び止まった。  続きに、思いもよらないことが書いてあったからだ。  「夕餉の支度が整いましたよ、トトメス様。」 扉を叩く音も、ベセクの声も聞こえていない。  「トトメス様? 入りますよ」 反応が無いのでそっと扉を押し開いて中を覗いたベセクは、灯りを前に手紙を開いたまま、呆然とした様子で座っているトトメスの姿を見つけた。  「…兄上の子供が、亡くなった」  「え?」 小さく首を振って、トトメスは溜息とともに立ちあがった。  「へその緒が巻き付いていて――死産だったらしい。兄上は気を落として閉じこもってしまって、難産で、義姉上も体調を崩したままなんだそうだ。」  「それは…お悔やみ申し上げます。カエムワセト様にもお辛いことですね」  「うん…。」 足元で、冥界の獣が唸る。  出発前、庭のあずま屋で幸せそうに大きなお腹をさすりながら、生まれて来る我が子を楽しみにしていた兄夫婦の姿が記憶の中に蘇って来る。あの時はまだ誰も、こんな不運な結果になることは予想していなかったのだ。  王家の中で不運を被るのは、いつだってトトメスだけだった。  それなのに、そのトトメスが居なくなったとたん、別の王家の一員が不運に見舞われるとは。これではまるで、今まではトトメスが身代わりを引き受けていたように見えるではないか。  「お主はただ、他の者の不運を代わりに引き受けておるだけなんじゃよ。己の強運と守護を盾にしてな」 ケペルカラーの言葉が蘇り、はっとして、トトメスは思わず足を止めた。  (まさか、そんなはずがない) もしそうだとしたら、本当は、不運に見舞われるのは他の誰かだったことになる。  川に落ちたり、何もないところで転んだり。鳥の糞に当たったり、階段から落ちたり…。  …いや、少なくとも幾つかは、確かに自分が代わりに引き受けたようなものだ。自分の顔に落ちなければ、鳥の糞は母の育てていた花を汚していたし、街に住む老人は、坂を転がり落ちていた。  でも、だとしたら、トトメスの周囲には、あまりに不運が溢れていることになってしまう。そんなことがあるものだろうか。  考えていても答えは出ない。姿の見えない冥界の獣が、腹が減ったと言わんばかりにせっつくように彼の足元を突いている気配がある。頭を振って、彼は再び歩き出した。  夕食は、マイアが作ってくれた美味しいパンと煮込んだ肉料理だった。  羊の脚の一本をそれとなく椅子の下の暗がりに投げてやりながら、トトメスは、手紙の返事をどう書こうかと考え込んでいた。  心配している母と妹への現状報告。ネフェルトイリへの、波風を立てずに彼女を自由にするための挨拶。それと、兄にお悔やみの手紙を書くかどうか、だ。  兄嫁が、自分こをあまり好いていなかったことは知っている。けれど、兄には都にいた頃に世話になっていたのだ。失敗の尻ぬぐいも散々やってもらった。何も無し、というわけにはいかないだろう。  考えこんでいた時、誰かが入り口の扉を叩いた。  「失礼します。トトメス殿下はおいででしょうか」  「誰だろう。こんな時間に」 ベセクが応対のために扉を開けに行く。戸口に立っていたのは、まだ幼さの残る少年神官、メリラーだ。ぺこりと頭を下げる。  「お食事中でしたか、申し訳ありません。ケペルカラー様からの伝言がありまして、話したいことがあるので来て欲しいとのことでした。後ほどご案内するよう仰せつかっております」  「大神官さまから? 何だろう」  「内容までは存じておりません。私は、戸口で待たせていただきますので、どうぞごゆっくり。」 そう言われても、トトメスは人を待たせたままゆっくり出来る性格ではない。美味しい料理を大急ぎで平らげてしまうと、パンの切れ端で指を拭いながら立ち上がる  「それじゃ、行こうか」  「何だか、急かしてしまったようで申し訳ありません…」  「いや。丁度良かったんだ、大神官さまには話したいこともあったしね」 一年でいちばん夜の短い季節とはいえ、さすがに日はとっぷりと暮れかかり、西の空に最後に残った微かな(あけ)も、夜の色に溶けて行こうとしているところだ。  きらびやかにお祭りの準備のされた広場を避けて、メリラーは、細い神官たち専用の裏道を辿ってゆく。薄暗くてよく見えないが、何度も階段を上っているところからして、一度も通ったことのない崖の上のほうへ続いている道のようだ。  「どこへ向かってるんだ?」  「礼拝の間というところです。この太陽神殿で、最も空に近い場所にございます」 なるほど。それで、ずっと昇っているのだ。  こんな道を毎日上り下りするのはきっと大変だろうな、と思いながら、トトメスは、すり減った階段から転がり落ちないよう、慎重に足を進めていった。  やがて行く手に、入り口に火を灯した小さな四角い屋根を持つ小神殿が現れた。  壁は無く、一辺に三本ずつ、全部で十二本の柱が天井を支えている。それぞれの柱には一年、十二カ月を表す記号が記され、天井には天の女神の姿が描かれている。神官たちは距離を置いて遠くから見守っており、ケペルカラーは床に敷いた敷物の上に一人、西の空を見つめるようにして座っていた。  「あちらへ、どうぞ」 メリラーに促され、トトメスは一人で建物に向かって歩いて行った。小神殿は崖沿いに、大神殿の敷地の全てを見渡せるような場所に作られており、そこからは、広場に立つ太陽柱の周りで灯りが揺れ動くさまもはっきりと見て取れた。  「失礼します」 トトメスが敷物の端に腰を下ろすと、ケペルカラーはくしゃりと笑顔を作り、皺だらけの手で彼を招いた。  「どうだ、ここからの眺めは。良い物だろう」  「ええ、そうですね。川の上流も下流も良く見えるし、西の対岸まで見渡せる」  「地上の川だけではないぞ。ほれ、あそこに空に星の川があるじゃろう。天の大河だ。地上の川と天の川。人の住む世界と神々の世界。ここは、二つの世界の交わる場所よ。」  「凄いですね」 トトメスは、素直にそう言った。都にも展望台はあるけれど、上流のほうは川幅が狭く、川の両側も高い崖に挟まれているので、この場所ほど遠くまでは見えないのだ。  「――だがな。その、天と地の、川の流れ…秩序が、少しずつ、乱れつつある」 ふいに声の調子を落とし、ケペルカラーは、じっとトトメスを見やった。「昼間、西の高台で"夜明けの守護者"を掘り出されましたな?」  「えっ」 驚いた。戻って来てから、まだ、誰にも報告していないのに。  「どうして、それを…あ、そうか。ここからなら、対岸まで見えるんでしたね」  「それもある、が、さすがに判るとも。太陽の光を象って作られたあの聖なる墓所が、言い伝えのとおり、守護者の放つ光を受けて開くのを感じたわい。何をご覧になった? 古えの王は、本当に蘇られたのか」  「はい、…多分。カーエフラーと名乗る古風な王様の行列を見ました。」  「ほう。それは、真ん中の丘を築かせた王の名じゃ。」  「じゃあやっぱり、あれは本物なんですね。成すべきことが終われば帰る、みたいなことを言ってましたが」  「……。」 ケペルカラーは、なにやら考え込むような顔をして、あごに手をやった。沈黙が流れる。  その間があまりに長かったので、トトメスは心配になって来た。  「あの、俺、何かマズいことをしたでしょうか」  「…いや。お前さんは良いことをした。本来は、わしらがすべきことを代わりにやってくれたのだ、感謝しておるよ。ただな、そうすると…そうなると、太陽神さまからの啓示の意味が…問題なのだ」  「問題?」  「わしはここで、太陽神からの神託を受けた。だがそれは、あまりに難解な内容で、素直に意味をとればしても信じられんものだったのじゃ。それでずっと悩んでおったのだが、もしかしたら、素直にお言葉の通りに受け取るべきものだったのかもしれん」 そう言って、ケペルカラーは一つ溜息をつき、重々しい口調で呟いた。  「世界はじきに、およそ千年に一度の混沌の時を迎える。その混乱を収めることが出来るのは、"太陽の息子"、生ける鷹神(ホルス)の化身のみである、と。――聖なる墓所が開かれたのなら、今がまさに、言い伝えにある世界の危機の起きる時なのかもしれん」  「……。ええっ?!」 トトメスは、思わず声を上げて尻もちをついた。「それってつまり、世界の終わり、とかいう?」  「うむ」  「比喩とかじゃなく、本気で本当の? 世界って終わるんですか? ていうか…その、俺たちどうなってしまうんですか?!」  「判らん。誰も世界の終わりなんぞ体験したことはないし、どう終わるのかも分からん。が、少なくとも千年前の王たちは、この時がくるのを知っておったはずじゃ。でなければ、あのような巨大な装置を作って備えておくはずもないからのう」 老神官は、既に暗がりの中に沈んだ川向うの西の高台のほうに視線をやった。  「それにな、希望もある。太陽神さまのお言葉通りなら、これは、天と地の時間軸のずれが生み出す宇宙の歪みが原因で、定期的に訪れるものなのだ。つまりは今回が初めてではなく、前回は無事に乗り切れた、ということなのだよ。お前さんが出会ったというカーエフラー王は、その時代を知っておるやもしれん」  「つまり、あの王様に聞けばなんとかなるってことですか?」  「おそらくはな。」  「…分かりました。俺、もう一回行って聞いて来ます」 大きく頷くトトメスに、ケペルカラーは、目尻に皺を寄せて微笑んだ。  「そう言って貰えると有難い。何しろ相手は神王と呼ばれた伝説上の御方だ。並みの神官など寄越しては失礼にあたる。――では、よろしく、頼みますぞ。」 言われたことに微かな違和感を覚えたのは、頭を下げてその場を辞してからだった。  (――ん? 失礼にあたる?) それを言うなら、自分のような肩書だけの王子のほうが失礼なのでは…。  振り返りかけてから、彼は、口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。  やる、と言ってしまったのは自分なのだ。それに、信頼して任せてくれたケペルカラーに、今さらやっぱり止めますなどと言いに帰れるわけもない。  帰り道、案内のメリラーは弾んだ声で彼に言った。  「明日には、大神官さまも下に降りられます。今日から三日間は夏至のお祭りですから」  「お祭り、か…。」  「朝からたくさん人が来ますよ。対岸の神殿では、夜通し太陽を讃える賛歌を唱えて歌っている頃です。夜明けとともに行列が、この神殿に渡って来るんです。明日の夜が本祭で、ビールが配られます。とても盛大なお祭りですから、ぜひご覧になっていってくださいね」 大神官の受け取った不吉な神託を、他の神官たちは知らされていないのだ。以前ケペルカラーに聞いた時も、神託の内容は王にしか伝えられないと言っていた。  そんな大事なものを自分が知ってしまっても良かったのだろうか。  けれど、知らなければ、もう一度カーエフラー王に会って聞くべきことが分からなかっただろう。  (明日だ。明日にも、もう一度、あそこへ行こう) 飾り付けされた広場を横目に通り過ぎながら、トトメスはそう決めた。もし本当に、これから何か大変なことが起きようとしているのなら、ぐずぐずしている時間は無いのだから。
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