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第11話 トトメス王子、夏至の神託により恐ろしき世界の命運を知り、再び西の地へ赴くの由
ついて来なくてもいいと言ったのに、ベセクは意地でも一緒に行くと言い張った。
「このくらい、一人で行って戻れるのに…」
「いーえ。トトメス様のことだ、またとんでもないことに巻き込まれるに決まってますから」
「酷い言われようだな…。」
苦笑しながら、トトメスは後ろにベセクを引き連れて、再び西の高台へ続く道を登っていた。
昨日、ケペルカラーと話した内容は、誰にも言っていない。ベセクには、ただ、「重要な頼まれ事をした」とだけ伝えてある。それを疑ってはいないものの、彼の従者としての嗅覚は、何か厄介ごとを抱え込んでいると認識したようだった。
(だけどあの王様が出て来ると、皆、気を失っちゃうんだよなあ…。)
どこかで巧く言いくるめて、別行動にしたほうがいい。どう言い訳しようかと考えながら歩いているうちに、高台の端の、掘り出したばかりの巨像の佇む場所に出ていた。
驚いたことに、像の周囲には黒山の人だかりが出来ている。近隣の村人たちのようだ。
掘り出された巨像が物珍しいらしく、顔をのぞき込んだり、背中のほうに回り込んで、まだ半ば砂に埋もれた尻の辺りを掘ってみたりしている。当の巨像はというと、誰にも聞こえない声で空しく叫び続けている。
『お、お前たち、何をする。近い。近すぎるぞ…あっこら、我に触れるな! ええい、我を何だと思っておる。我こそは偉大なる夜明けの地平線の――あっ!』
像はトトメスを見つけるなり、像は、助けてくれと言わんばかりの涙目を向けた。
『これ王子。こやつらをどうにかしてくれ。日の出からずっとこうなのだ。千年後の民が、これほどまでに不作法はと思いもよらなんだぞ』
「あー…、えっと。」
仕方なく、トトメスは集まっている村人たちに向かって声を張り上げた。
「皆さん、どうか手を触れないようお願いします。この像はホル・エム・アケトと言って、いにしえの王様が作らせた偉大な守護者なんです。砂に埋もれれば不服の唸り声を上げ、通りかかる旅人に悪夢を見せます。意外と怖い…いや、偉い守護者なので。なので、遠くから見守って貰えませんか。」
あまり威厳のない物腰に、村人たちは顔を見合わせ、何やらひそひそと囁き合っている。あからさまに不審な眼を向ける者もいる。
「何者だい、あんた。」
「怪しいねえ。どこの貴族様だい」
「なっ、…」
これには、トトメスの後ろに控えていたベセクがかちんと来て、トトメスが止める間もなく、前に進み出て口上をぶち上げる。
「おいお前ら、何てことを言いやがる。このお方はなあ、都におわす偉大なる二つの国の王、神々の王ホルスの似姿たるアアケペルウラー様のご子息、正妃ティアア様の次男であらせられるトトメス様だぞ。今は後学のためにイウヌの大神殿に滞在されておいでなんだ。一般庶民が気安く口を利けるお方じゃないんだぞ」
「なっ…」
いちばん驚いているのはトトメスだ。「後学のため」? 実家を追い出されたのに?
だが、ベセクのあまりにも堂々とした宣言は、かえって村人たちに疑いの隙を与えなかったようだ。
「王子様だって? そ、そういえば確かに、そんな噂をイウヌで聞いたぞ」
「ひっ。と、とんだご無礼を」
「…あー、いや…そこまで偉いかっていうと、偉くもない気が…」
「トトメス様は寛大にして控えめなお方だ。庶民に混じって出歩くのがお好き故、この程度では腹を立てられはしないが、二度は無い。命拾いしたな、お前たち!」
「ははーっ」
「……。」
トトメスは渋い顔のまま棒立ちだ。こういうのは、あまり慣れていない。
村人たちがうやうやしく引き下がった後、彼は、溜息交じりに頭上の巨大な顔を見あげた。
「なんとか、上手くいったけど…これで…いいかな?」
『うむ。しかし、なんだ。汝はずいぶんと弱腰であるな。王の子なれば、もっと堂々としておるべきではないのか。』
「そうは言われても、俺、王宮では邪魔者扱いだったんですよ。ていうか、皇太子候補としては一番の出来損ないっていうか」
『ふむ?』
「って、そんな話をしに来たわけじゃ無いんです。」
怪訝そうなベセクの視線を背中に感じながら、彼は手早く訊ねた。「カーエフラー王は何所にいらっしゃるんですか。ちょっと聞きたいことがあるんですか」
『む、王にお目通りをと申すか。王は、――墓所に戻られたが――…何用であるか』
「今日は、イウヌの太陽神殿の大神官さまからのお使いで来たんですよ。太陽神さまの神託のことで、ちょっと」
『…そういえば、夏至祭りの季節であったか。ふうむ』
小さな唸り声をあげ、像は、空を振り仰いだ。『しばし、待つが良い。』
まずい、と思った瞬間にはもう、像は、白く輝き始めている。
「あっ、ちょっと待って。皆を下がらせ――」
「あ、あれ?」
ベセクがふらふらと地面に座り込んだ。見守っていた村人たちも同様だ。
「ああ…遅かったか…。」
トトメスは額に手をやった。せめて、下が砂地だったことが幸いだった。
てっきり、王はまた参道を歩いてくるのだと思っていた。けれど今回の登場は、もっと早かった。ほどなくして頭上から、賑やかな宮廷音楽が響いて来たのだ。
見上げると、お供を従えたカーエフラー王が、昨日と同じ出で立ちで、花びらとともに舞い降りて来るところだった。
「はっはっは、苦しゅうないぞ。楽にするがよい、トトメスよ」
「…あのー、…もうちょっとこう、地味めの登場って、出来ませんかねえ」
「地味? 王の行幸なれば、これでもずいぶん略式なのだぞ」
「いや、まあ…そうですよね。すみませんでした」
確かに、昨日のように五十人からなる大行列を引き連れているわけでもない。多分、神王の基準では、これでも相当「地味」なほうなのだ。
「して、余に用向きとは何事か。」
「はい、太陽神さまの神託で、確かめたいことがあるんです。イウヌの大神官さまが言うには、天と地の時間軸のずれが生み出す宇宙の歪みが原因で世界に危機が迫っている、前回どのように乗り切ったのか古代の王ならば知っているはずだ、とのことなんです。カーエフラー陛下がこの世に戻って来られたのも、そのためなんでしょうか」
陽に灼けた、浅黒い肌の王の表情が、真昼の太陽のように明るく笑顔になった。だが、次にその口から出て来た言葉は、笑顔で言う内容からは程遠いものになっていた。
「――うむ! 実に、その通りである。既に知っているならもはや隠すことはないな。世の始まりに創成神によって作られた、この世界の秩序はほころびつつある! じきに完全に破綻し、世界は混沌の海に沈むであろう」
「なるほど、やっぱりそう――って、ええ?! 世界、滅ぶんですか?」
「うむ、じきにその時が来るぞ!」
「いや、待って、待ってください。そうは言うけど、どうにかなるんでしょう? っていうか、陛下は、そのために蘇ったんですよね? どうすればいいか方法を知っているはずですよね」
「うむ、いかにも。ゆえに案ずることは無い! 我に全て任せておけ。…と、言いたいところなのだが」
「"だが"?」
「一つ、問題があってな。」
王杓を握った手を腰の辺りに降ろし、王は、真面目な顔つきになった。
「計算違いがあったのだ。本来ならば、余は墓所に保存しておいた余自身の肉体に宿って蘇るはずだった。しかしその肉体が既に滅びてしまい、宿るべき器が見当たらぬ。近隣の墓に収めた我が兄弟、同族たちのものも同様であった。しかるに、我が『生あるもの』としてこの地上に、来るべき破滅の日まで留まる手立てが無い」
「そんな――それじゃ、また消えてしまうってことなんですか」
「このままでは、じきにな。ひとつ方法があるにはあるのだが、…それは、生きた人間に憑依して、身体を借りるという方法でな。余の魂の器ともなると、それ相応の者でなくては務まらん。余の神気に当てられても意識を保っておれる者。それでいて若く、健康で、動くのに支障の無い者であれば助かる。」
「うーん、神官とかですかね…」
「いや」
カーエフラーは、じっ、と黒い瞳で目の前の少年を見つめた。
「トトメス王子よ。そなた、しばし余に体を貸してはくれんかな?」
「……。」
トトメスは、思わず王を見つめ返した。
「はい? 何て言いました?」
「これから成すべきことのためには、生きた者としての身体が必要なのだ。そなたの意識は優先しよう。生活の邪魔はせぬよう努める。余の意識があるのは太陽の加護のある昼の間のみだ。日暮れの後は、そなたに干渉することは無い」
「ちょ、待っ…な、何で俺なんですか!」
「他に適任も見当たらんのでな。憑依には相性も必要だ。そなたであれば、巧くいくであろう確信がある」
『我からもお願いする、現世の王の子よ。このままでは、世界の秩序が失われてしまうのだ』
「ううっ…」
王と巨像に見つめられ、トトメスは頭を抱えた。
古えの神王に身体を貸す? 相手は千年前の偉大な王だが、亡霊に取り憑かれるのと基本は同じ事だ。それに、日の出ている間はずっと側にいる――ことになる。でも、もし、断ったら、どうなるのだろう。王は他の者を選んで世界を救うかもしれないが、自分以外の誰かが不運な目に遭うことは間違いない。
それならばまだ、自分が引き受けたほうがいい。
トトメスは、ごくりと息を飲み込んで、ぎこちなく頷いた。
「分りました…。」
「うむ。良い覚悟である。それでは」
目の前の半透明な幻影がぼやけ、煙のようになってズズズッとトトメスの身体の中に沁み込んで来る。最初は冷んやりとして違和感があったものの、それもすぐに慣れ、何やら胸のあたりにもやもやする感じが残っているだけになった。
自分の身体を見下ろしていると、右手が勝手にするすると上がって、心臓のあたりに触れた。
『うむ、思った通り相性は悪くないな。そなたは意識を失ってはおらんし、余もそなたの身体を使えておる。』
カーエフラーの声が耳元、正確には頭の中から響いてくる。
『余は今、そなたと肉体と感覚を共有しておる。これからは、そなたが感じたものは余のものとなり、余の力は、そなたのものとなろう』
「なんか…頭の中から別人の声がするのって変な気分です…。で、これからどうすればいいんですか」
『うむ。説明するよりも直に目にしたほうが早かろう。少し、身体を借りるぞ』
カーエフラーがそう言うなり、トトメスの足が勝手に石積みのほうに向かって歩き出した。砂の上に隠れながら続く参道の上を歩いている。
「わっ、…えっ?!」
『船よ、これへ!』
腕を上げると、砂の中から木造船が浮かび上がって来る。王が川を渡って行幸する際に使うような、天幕付きの豪華なものだ。櫂に魔除けの眼を描き、舳先は水蓮の花を象って、帆の先には神を表す御旗がたなびいている。
『乗るぞ』
言うなり、トトメスの身体を借りたカーエフラー王は、ひらりと甲板に跳びあがった。船は宙に浮かんだまま、舳先を西に向けている。
「でも、どうやって操船を――」
言いかけたトトメスは、いつの間にか船の上に半透明な船員たちが現れて、動き回っていることに気が付いた。漕ぎ手が櫂を持ち、櫂の前には船頭が立っている。使用人たちは大きな一枚帆を上げ、天幕には酒瓶を手にした献酌係まで控えている。
『前進だ!』
カーエフラーが命ずると、船はゆっくりと宙を滑るようにして進みだした。トトメスは船の縁にしがみついたまま、眼下に遠ざかってゆく高台の、恐るべき風景に目を見張っている。
「…すごい」
ただただ、驚嘆の声しか出てこない。船は聖なる墓所の岩山のてっぺんに近い場所を通り過ぎ、西の沙漠へ向かって進んでゆく。川べりの黒い大地とは対照的な赤っぽい色をした大地は起伏に富み、突き出した岩の作る濃い影が、深い陰影を落としている。
「これが、太陽の船ってやつですか? 太陽神が座して空を渡ると言う」
『同じようなものだ。だがな、これはただの遊覧船ではないぞ。見よ』
カーエフラーがトトメスの手を借りて指さした沙漠の一画に、黒ずんだ空気がわだかまっているのが見えている。
「あれは…」
『創世の神によって編まれた世界の秩序が綻んでいる場所だ。そこから混沌が湧き出して来ておるのだ。あれらは、こちらの世に入ると"悪霊"や"呪詛"といったものに姿を変える。人に取り憑けば疑心暗鬼をもたらし、街にわだかまれば病や不和の種となる。』
船が近づくにつれ、トトメスの目にもそれがはっきりと見え始めた。最初は靄のようだったものが次第に形を変え、蛇や蠍、人間のような形をしたもの、それに、もっと得体のしれない何かへと変貌してゆく。
「ど、どうすればいいんですか?」
『なに、あれらはまだ簡単に祓える代物よ。倒せば良いだけだ。この――我が破魔の弓でな!』
にやりと笑ったカーエフラー、いや、トトメスの手に端、何時の間にやら光輝く大きな弓が握られている。側に寄った王の家臣がうやうやしく矢筒を差し出し、ずしりとした重みが肩にぶら下がる。
『さて、行くぞトトメスよ。しばし腕を借りるぞ!』
「はい…えっ、う、うわあっ!」
返事をする間もあらばこそ、トトメスの身体は、かつて無かったほど身軽にひらりひらりと、舟の舳先の上に飛び移っていく。トトメスの身体を借りたカーエフラーは、慣れた手つきで矢を一本引き抜くと、弦を引き絞り、行く手の岩陰に蠢く黒い靄の中に狙いを定めた。
『そら、ひとぉつ!』
ビィン、と弦のしなる大きな音。真っすぐに空を切って、光を放つ矢が靄を射抜く。光の矢の放つ輝きで、靄は、形作ろうとしていたものたちともども、あっという間に四散する。
(すごい、この距離から…父上にも匹敵する腕前だ)
『そうら、次だ! まだまだ、沢山いるぞ』
カーエフラーは上機嫌に次々と矢を取り、一矢も無駄にすることなく黒い靄を射抜いていく。空の上にも、沙漠の中にも、川べりにも、同じような靄のわだかまる場所が沢山あるのだ。
次第にトトメスは不安になって来た。今まで、自分たちの暮らしている世界がこんなことになっているとは、少しも気づいていなかったのだ。もしカーエフラーが居なかったら、これらは街までやって来て、何か悪いことを引き起こしていたかもしれない。
不安な彼の気持ちが伝わったのか、手を止め、カーエフラーは笑って言った。
『そう不安がることも無いぞ、トトメス! こんなものは前哨戦に過ぎん。元々、人の世は不完全なものなのだ。多少のほころびは、普段からそこらに在る。悪霊に出くわしたからと言って全ての人間が取り憑かれるわけではないし、悪しき者どもは太陽の光に照らされれば消え去るものだからな。余が相手をすべきものは、他にある。』
「他に?」
『見よ。あれだ』
カーエフラーは空を振り仰いだ。真昼なのに、空の高みには暗い夜の色が広がり、その真ん中を星の川が白く滲むように流れているのが見えている。その川の只中を斜めに引き裂くようにして、大きなひび割れのようなものが広がっている。
『あれはな、時の狭間というものだ。あれが開ききると蝕が起き、太陽を飲み込む混沌の蛇が現れる。時期は――そう、おそらくは、太陽の輝きの最も弱まる冬至の頃であろうな。』
「太陽を飲み込む――?」
トトメスは、ごくりと息を飲み込んだ。太陽が無くなれば、世界は闇になってしまう。
この世界は、太陽の輝きが照らし、秩序を作るところから始まった。だとすれば、その太陽が失われることは、秩序の喪失と、この世界の崩壊に繋がっている。
メリラーから聞いた世界の終りの神話、ケペルカラーの言っていた神託。それに、たったいま目にした世界の姿。
あまりにも壮大で、トトメスにはまだ完全に理解が出来ていない。ただ、「とんでもないことに巻き込まれてしまった」という実感だけが在った。不運といえば、これも不運だ。凡人なら出くわさないような難事に、驚くほど自然に足を突っ込んでしまう。
船がゆっくりと弧を描き、出発した高台へと戻ってゆく。
高度を下げ、地面に辿り着くまでの間、トトメスは無言のままだった。
カーエフラーがひらりと船から飛び降りるのと同時に、大きな船は、再び、幻のように砂の中へ沈み込んでゆく。そして元通り、何もなかったかのように平らな地面だけが残った。
ずいぶん長いこと船に乗っていたような気がするのに、太陽の位置は出発した時と変わらないまま、天頂高くに輝いている。
ようやく、トトメスは口を開いて、ぽつりと言った。
「初めてではない…んですよね? ということは、千年前にもこれは、起きていたんですか」
『いかにも。その時には、我が父にして偉大なる太陽の似姿、クフによって滅びは回避されたのだ。裂け目が広がるにつれ、人の世にはより強力な悪しき者どもが現れる。それらを退けつつ、最後には、いずれ現れる混沌の蛇を倒さねばならぬ』
歩き出そうとしたとたん、砂に足を取られてよろめいた。やけに身体が重い。
「あ、あれっ」
肩と背中が痛い。それに、腕が上がらない。
足を引きずりながら苦労して巨像のほうに向かって歩いていた時、参道の東のほうから、彼を探しにやって来たベセクと出くわした。
「トトメス様! 何所に行ってたんですか、探したんですよ。…って、どうかされたんですか」
「あー…うん…多分これ、筋肉痛…」
「え?」
ベセクは眉をよせた。「ここまで走ったくらいで、ですか? あ、判りましたよ。本当は、どうせまた穴にでも落ちたんでしょう。しょうがないですねえ。肩を冒ししますから、ゆっくり街まで降りましょう」
「うう…」
動くたびに、体じゅうの筋肉が悲鳴を上げる。
さっきまでカーエフラーが体を使っていたのだ。やけに身軽に動き回るから、てっきり王の力でそういうことも出来るようになっているのかと思っていたが、残念ながら肉体の限界までは変えられなかったらしい。
『すまぬな、自分の身体でないことを忘れておったわ。いやしかし、まさかそなたの身体が、こうも脆いとは思ってもみなかったぞ。よくよく見れば腕も足もおなごのように華奢ではないか』
頭の中から、謝っているのか貶しているのか分からない声が響いてくる。
「ずっと王宮に閉じこもってたからなぁ。少し、身体を鍛えたほうがいいかも…。」
「そうですねえ。トトメス様はお父上似なんですから、鍛えればれなりに逞しくはなりそうですよ」
トトメスのぼやきに、ベセクが相槌を打つ。「訓練なら、元兵士のメンナが得意でしょう。戻ったら相談してみてはどうですか」
「うん、そうするよ…。」
足を引きずりながら去ってゆくトトメスを、巨像は、無言に見送っていた。
なんとか帰り着いたイウヌの大神殿では、夏至の祭りのため近隣の街や村から大勢の参拝者が集まって、盛大な賑わいを診せていた。
かがり火が焚かれ、歌や踊りに酒の大判振る舞い。これから夜を徹しての宴になるのだと、すれ違う人々が楽しげに話している。けれど疲労困憊のトトメスには、それを楽しむだけの余裕はない。体力はすでに限界だった。一刻も早く、床に就きたい。
賑やかな広場を通り過ぎて家に戻るなり、トトメスは、マイアの用意してくれていた夕餉にも手を付けず、一目散に寝室に向かった。
「ベセクは楽しんで来るといい。俺は朝まで寝てるから」
「そんなに疲れてるんですか? 本当に、どこも怪我はしていないんですよね」
「大丈夫。眠いだけだから…それじゃ、お休み」
扉を閉める向こう側から、ベセクと、留守番のために残ってくれていたマイアの話し声が聞こえて来る。
「どうしたんだかねえ、うちのご主人様は。妙にやる気を出したかと思ったら、急に筋肉痛だなんて。身体だけは丈夫な方なんだか」
「西の高台に行かれてたんでしょう? 暑さでバテたのかもしれません。明日は元気が出るように、ニンニク入りの料理にしてみます」
「そいつは有難いな。お祭りの季節だし、市も沢山出ているはずだ。少し奮発して、牛の肉も…。」
ぱたん、と扉を閉ざし、彼は小さくため息をついた。
他の誰かには、本当のことを言うわけにいかないのだ。
どう説明していいかも分からないし、言ったところで信じて貰えるわけもない。話せるとしたら、老神官ケペルカラーだけだ。もっとも、今は忙しくしているはずで、すぐには相談にも行けないけれど。
その夜は、いつも以上に寝台が心地よかった。
疲れて眠る夜はいつだって、寝具の柔らかさと静けさが心の友なのだ。
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