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雨水駅 7:46
幼い頃、駅で怖い目に遭ってからずっと電車や駅が苦手だったけど、どうしても電車を使わないと物理的に通学できない高校に受かってしまい、当時、お兄ちゃんがその時のことを思い出して眠れなくなる私のために、夜中に一緒遊んでくれたゲームのサントラをイヤホンから流すことで、今日もどうにかホームに立って電車を待っている。
「(………何?痴漢?)」
何かモゾモゾすると思ったら、制服のスカートから出た私の右の太ももに蚊がとまっていた。私は潰さず、黙って私のB型の血がその小さな虫の体内に取り込まれるのを眺めて、ホームの反対側に飛び去るのを見送った。
私は、命は大切だと思っている。
ペットの殺処分を少しでも減らせればと毎月わずかだけれどサロンモデルのバイト代から募金をしているし、将来的には医療関係の職業に就きたいと考えている。
その上で、自分で自分の最後を決めるのもまた、正しいと思っている。それは人間にしかできない、人間らしい行為だから。
たった17年しか生きていないお前が偉そうに言うなと、叱る人もいるかもしれない。
そういう人には、ぜひ想像してほしい。
私の3つ上のお兄ちゃんが、頼りないけど優しかったお兄ちゃんが、応援していたアイドルのライブの帰り道に、通り魔に鎌で首の動脈を切られてその場で亡くなり、犯人の中年女に警察病院のカーテンで首を吊って逝かれてしまった、私の気持ちを。
「愛来(あいら)と一緒に撮りたくないよ」
「何でよ。兄妹でしょ?」
「俺のブサイクが目立つんだよ」
家族で鎌倉に行った時に携帯でたまたまお兄ちゃんと撮った動画を何百回も見て、私は思い出し笑いを浮かべつつ、目がパンパンに腫れるほど泣いた。
ネットには「ヤバイ女がくたばった」「天罰が下った」「ざまあみろ」と胸をなでおろすツイートやらコメントが並んだ。彼らにはわからない。被害者の遺族である私や両親の心が、犯人が死んでも全く晴れていないことを。
怒りの矛先を失ったまま、悲しみだけがいくら掃除しても取りきれないカビのようにこびりついて、両親と私はあれから2年。常に重たい悲しみの泥を背負うような生活に陥ってしまった。
生き物はいつか死ぬ。命はそういうサイクルでできている。
でも人間だけが自分でその決められるのだ。お兄ちゃんの最後は、お兄ちゃん自身が決めるべきで、他の誰にもそれを奪う権利など無いのだ。しかしそうなると、お兄ちゃんを殺した女の自殺もまた、肯定することになってしまう…………。
お兄ちゃんとの思い出の曲をバックに、お兄ちゃんが亡くなってから何千回と考えた堂々巡りの議論を頭のなかで繰り返していた私は、すぐ横にいた見たことのない制服の女の子の様子がおかしいことになど、全く気付かなかった。
「新幹線のほうが良かったんだけど……」
「……?」
小さなこの雨水駅で、何で新幹線の話?と思った直後、ホームに滑り込んできた急行に、その女の子がふわっと舞うように飛び込んだ。
モスグリーンの制服の後ろ姿と、ショートカットときれいなうなじが一瞬見えて、すぐに消えた。
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