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急行は止まらず、そのまま通過していった。
「今の…………本物?」
同じようなシーンがトラウマとして心に刻まれた私だけに見えた幻かと思ったが、周囲にいたサラリーマンや赤ちゃん連れの母親など、他に電車を待っていた人達も「人身事故だ!」と色めき立っている。
私はドクンと跳ね上がる鼓動を両手で抑えつつ、恐る恐る急行が去った線路を薄目で探した。
さっきのが現実なら、あの女の子の遺体がどこかにあるはず。
「(また……またなの………?)」
そう。私が人身事故に遭遇したのは、初めてではない。
幼い頃に母親と一緒に叔母の家に行こうとしていた時、すぐ近くにいたサラリーマンが同じ事をするのを目撃してしまった。急行に飛び込むと人はバラバラになるのだと、その時知った。
「いない…………?」
とりあえず見える角度にそれらしきものはない。
「あっ!」
ホームの上りのほうから男性の驚く声がしたので目を向けると、ホームのすぐ下から先程の女の子がのそのそと這い出てくるのが見えた。
生きていた。という安堵はなかった。
何故かというと、手足が逆間接のようにあらぬ方向に曲がった状態のまま蜘蛛のように歩いているので、とても人間に思えないような状態だったからだ。
「あーー、やっぱ足りないわーー」
そんな台詞を吐きながら、その女の子はゴキリと真横に折れた首を元に戻し、反対方向に曲がった手足の間接を自分で捻ったりぐるぐると回して器用に元に戻したかと思うと、呆気に取られつつ差し伸べた駅員さんの手を掴み、ホームに戻ってきた。
「もう。やっぱ新幹線には勝てん」
女の子は制服の汚れをバタバタと両手で払い、唇から流れ出ていた血を手の甲でごしごしと乱暴に拭って、顎に引っかけていたモスグリーンのマスクを付け直すと、興奮してスマホのカメラを向ける人々を掻き分けて、私の目の前までやってきた。
「あなた、いい反応ね」
マスク越しなので、聞き取りづらい。
「反応………?」
「あなた、電車に飛び込むウチを止めなかった」
「それは……考え事してたし、びっくりして」
「それだけじゃない。あなた、人が死にたい意思を否定しない人でしょ?」
「……………!」
女の子の薄茶色に透けた瞳に、言葉を失って立ち尽くす私が映る。
急行に轢かれて、四肢があらぬ方向にひん曲がった状態から、自力で元の身体に戻し、当たり前のようにホームに戻ってきた奇怪さ。
加えて、初対面なのに胸の内を見抜かれた驚きで、私は何も言い返せなかった。
「ウチはハナ。まあそうだね、こんなん見せられたらびっくりするよね普通。でも、安心して。人間て理解を超えたものを目の当たりにすると、正常性バイアスが働いて脳が都合の良い解釈をするものだし」
ハナと名乗るその子が語る言葉の内容が入ってこない。意味も分からないし、冷静でいられない。
「例えば、震災の時に津波が目の前に迫っているのに、『そんなこと起きるわけない』って頭が勝手に判断して、恐怖をブロックするの。結果その人は、津波に飲まれて亡くなっちゃうんだけど」
「そ、それじゃ、ダメじゃん」
私はどうにか返した。自分の口が自分とは別の意思で動いているようだった。
「場合によってはね。でも今日のあなたには有効だった。普通だったら気を失ってもおかしくないのに、あなたはそんな状態になっても正気を保ってる」
「そんな状態?」
「ほら、それそれ」
ハナが私の全身を指先でちょいちょいと指すので見てみると、ハナのものと思われる大量の血液がぶちまけられて、私の制服がドロドロになっていた。
そこで私の正常性バイアス効果は切れた。
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