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その日の夜、美容室の片付けをしていると、河合の携帯が鳴った。
「はい、河合ですーー」
「あの、脇坂です。今、話しても大丈夫かな?実は頼みたいことがあってーー」
十数年ぶりに会った先輩の頼みーーそれは、亡くなった妻の代わりに、娘の髪に編み込みをしてあげたいので、河合に教えてもらえないかというものだった。話を聞いた河合は考えた末に答える。
「脇坂先輩、悪いことは言いません。自分ですることは諦めて、僕の店にお嬢さんを連れてきてください。そうすれば、お嬢さんの気に入るような髪型にできますからーー」
「それはそうなんだが、妻の代わりに娘にしてあげられることがあれば、できるだけしてあげたいんだ」
春樹の決意にはゆるぎがないことを感じ取った河合は、
「わかりました。とりあえず、一度会って話しましょう」
そう言うと、河合の店が休みの日の夕方に、会う約束を取り付けた。
平日の仕事帰りに、春樹は河合の店を訪れた。店は、モノトーンを基調としており、センスの良さを感じさせる。ガラス越しに外から中の様子が見える作りになっており、店内から春樹の姿を認めた河合が手招きをする。
「こんばんは。今日は休みなのにすまないな。これ、お土産」
そう言って、洋菓子の入った紙袋を手渡した。
「ありがとうございます。休みの日も雑用できているときがあるから、お構いなく。今、コーヒーいれますから座ってくださいね」
応接セットのソファに座ると、コーヒーが春樹の前に差し出された。淹れたてのコーヒーを口にすると、春樹の口から思わず言葉がもれる。
「このコーヒー旨いな。仕事の疲れが飛ぶよ」
「僕もコーヒー好きなんで。先輩は今、どんな仕事を?」
「住宅建材の販売をしている。以前は営業だったんだが、今は内勤に替えてもらったんだ」
その言葉に、家庭の事情があったんだなと河合は察する。
「先輩、早速だけど、本当に自分で娘さんの髪を編んであげたいの?」
「そう思ってる。実は、この前、娘に妻がしていたような編み込みをしてほしいといわれたんだが、俺にはできないって言ったらすごく悲しそうな顔をされたんだ。だから、今度9月に娘のピアノの発表会があるから、その時は俺がしてあげたいと思ってる」
「先輩、編み込みって難易度が高いんですよ。少なくとも、三つ編みができないと編み込みはできません。男の人は、そもそも三つ編みをしたことがないと思いますし……。それでも、自分でしたいですか?」
「ツインテールくらいはするんだけど、三つ編みはしたことがなくて。でも、本気で頑張れば、9月までにはなんとかなるんじゃないかと思うんだ」
河合はため息をついた。
「先輩、お嬢さんの発表会の写真ってありますか?」
スマホの中の写真を選び出してみせると、河合はしばらく眺めて独りごちた後、切り出した。
「わかりました。じゃあ、その9月を目標に僕がやり方を教えましょう。でも、僕は厳しいですよ。ダメなときは先輩でもガンガン叱りますんで」
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