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頼まれても何もできないし、おばあさんの頼みを聞くことにする。
レジカウンターに置いてあるパイプ椅子を、おばあさんの近くにもっていってあげる。それから、ストーブも限界まで近づける。
「あらあら、気が利くのね~ お兄さんの名前伺ってもいい?」
「鵜飼大輔です」
「大輔君ね ありがとうね」
にこっと微笑んで感謝してくれる。それが何だか気恥ずかしい。それが、顔に出ていたのかおばあさんは楽し気で、どこかいたずらな視線を送ってくる。
「私も、自己紹介するわね。私は三田百合(みたゆり)って言うのよ。気軽に百合さんって呼んで欲しいわ」
おばあさん改め、百合さん。名前呼びにするだけで、何だか少し親近感のようなものが浮かんできた。
「百合さんはよくこの店に来るんですか?」
「そんなに頻繁ではないけど、長年通い続けてはいるわよ」
この店が、一体どれくらい続いているのか分からないが、建物の古びた感じからだいぶ歴があることは明白だ。
「それで、今日の要件は何だったんです?」
「ビールを買いに来たの」
「ビールですか?」
百合さんがビールを飲んでいる姿が想像できない。ビールはおっさんの飲み物っていうイメージのせいだろうか…
自分の中のイメージだと百合さんには、緑茶とかの方が似合いそうだ。
でも、人は見かけによらないというし…
「良く飲まれるんですか?」
「いいえ、私は飲まないわ」
そう言いながら、首を横に振る。
では、誰が飲むというのか…
「ご家族の誰かが好きなんですか?」
「そうね。好きじゃなくて…だったが正しいのだけど。少し長くなるけど、昔話を聞いてもらえるかしら?」
もともとそのつもりであったし、どんな話が飛び出してくるのか少し興味もあったので、頷きを返す。
「私の主人と息子は二人とも、お酒が好きだったの。毎日、仕事から帰っては二人で乾杯していたわ。私は全く飲めないから、その輪に入れなかったのだけど、二人が本当に楽しそうに飲んでいる姿を見ていると、自然と私も楽しくなっていたわ。」
遠い昔を懐かしむように、百合は語りだす。
「二人のために酒の肴を何にしようか、毎日悩んだわ。何を作っても美味しい、美味しいって言ってくれる人たちだったけど、同じものばかり作っていても面白くないでしょ? だから、いろんなものを作ったわ。一番好評だったのはスモークチーズだった気がするわ。本当に美味しものの時は、二人とも目がきらきらするの!」
百合は心底楽しそうに、昔語りを進めていく。
でも、話が全て過去形なのが段々と気になってきた。
「二人とも飲みすぎるから、一か月に飲んでいい量は、一人一箱ってルールも作ったわ。まぁ、すぐに守れなくなっていたのだけどね。私が守らせようとしても、二人して子供みたいにねだるから、結局私が折れちゃっていたの。」
話を聞くことに専念していたが、百合が一息入れる間につい口を挟んでしまう。
「旦那さんと息子さんは、今何なさっているんですか?」
そう尋ねると、彼女は小さく微笑んで
「逝ってしまったの」とだけ答えた。
彼女の様子や話口調から、何となく頭の中にそんな気がしていたのに、無遠慮に聞いてしまい後悔した。
「すみません…」
「気にしないで」
百合は、僕の発言に腹を立てたり、嫌な顔をしたり、悲しんだりと反応を見せることなく、ずっと同じように微笑んでいる。だから、気にする必要がないのかもしれないが、自分が何の考えもなく発言してしまっていたことが、恥ずかしくなっていた。
そのせいで、まともに百合の顔を見ることが出来ず、話も中断になってしまった。
自分の変化に気が付いたのか百合も無理やり視線を合わせようとせず、何も話そうとしない。
そのまま、重苦しい雰囲気のまま数分の時間が過ぎさる。
すると——
バン!!!
勢いよく店の奥にある引き戸が開かれた。
いきなりの音に肩がびくっとなる。
すぐにそちらに視線をやると、一つにまとめた栗色の髪、紺色の前掛けの女性。
店主である天音が気の抜けた様子で店に入ったところであった。
そして、店の様子を見渡して、「あっ」声を上げる。
すぐに手を顔に当てて、「やってしまった…」という表情になったのだ。
それから、こちらに手招きしてくるので、百合に断りを入れて店の奥へ行く。
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