8 ベストポジション

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8 ベストポジション

昴のそばに立つという目標の明日香。しかし混雑の列車であるので彼のそばに他の人がいることも多く、明日香は週に一、二回しか達成できずにいた。 『ドアが開きます。ご注意ください……』 ……あ、ラッキー!今朝は空いてる。 こんな事を続けていたある日。彼のそばのベストポジションが空いていた。明日香はそこにススと乗り込んだ。しかし今朝の彼はいつものように眠そうな顔ではなく、どこか窓の外の遠くを見ていた。 これを不思議に思った明日香であったが、いつものように側にただ立っていた。 やがて明日香は駅に降りたが、知らない女子生徒二人に声をかけられた。 「あのさ。あなたストーカーなの?」 「え?」 彼女達の制服は工業高校の物だった。二人は明日香が例の彼に付き纏っているという話であった。 「そんな事ないです」 「でも今朝だって、そばに乗り込んできたじゃないの」 「ぜったい狙ってるでしょう」 「……それは……」 言い返せない明日香だったが、ここで友人が声をかけてくれたので工業高校女子は電車に乗り去っていった。 友人女子に気にするなと言ってくれたが、明日香は朝の彼にとって自分の行為は迷惑だったかもしれないと思った。 ……そうだよね。気持ち悪いよね。これじゃ私の方がチカンみたいだもの…… 目元涼しい冷たい雰囲気の彼。しかし電車内で頼りになる彼を好きになりかけていた明日香は、これを反省し、翌日から彼に近づかない事にした。 毎朝の混雑の電車が楽しくなっていた彼女は、彼のいない車両に乗った。同じ時刻の電車のたった二駅の時間であったが、明日香にはとても長く寂しい時間に思えていたのだった。 ◇◇◇ 「おはよう。どうした昴」 「ん?なんでもねえ」 そう言う割には寂しそうに彼は椅子に座った。 「どうした?あの小さい子に振られたのか」 「……まだ何にもしてねえよ!」 ようやく電車の小さき娘に気づいた昴。しかしまだ一緒に立っているだけだった。 「なんかさ。こう、向こうから話しかけてくるかと思ったけどよ。何も言ってこねえし」 「そこはお前が行くところじゃないか」 「お前は俺にナンパしろって言うのかよ」 妙にプライドが高い昴。自分からお近づきになろうと低姿勢になるのは困難である。それを知っている友人の彗は、納得でうなづいた。 「まあ。別にお前も何とも思ってないなら。そのままでいんじゃね」 「ふん!あの女。気を持たせやがって」 自分でも良く分かってない昴。今は試合もあるので小さい女は気にしないことにした。 しかもテストの成績が悪いと試合に出られないと言う絶体絶命の状態。彼が今やらねばならないことは、勉強だった。 昴が試合に出られなければ、人数が足りないチーム。彼は監督に懇願されて自宅で勉強する日々を送っていた。 そんな朝。電車の彼はまた寝ていた。しかし、混雑してくるとそばにやってくるポニーテールの女の子。彼女は捕まるところがないが、結構頑張って踏ん張っている。 だが、この線路の危険箇所のコーナー。ここが弱いポニーテールは彼に寄りかかってくる。 体力自慢の昴。当初はこの甘えに腹が立っていた時期もあった。だがある時、この寄りかかって来る圧は、ポニーテールが少しで、ほとんどが他の親父だと判明した。 サラリーマン親父の圧。これは湿布の匂いからして彼の腰痛が重症のことを表している。それに加えてこのポニーテール。小さいなりに必死に耐えているのが彼には伝わってきていた。 ……だって。こいつ、つり革に届かねえもんな。 彼女とて。捕まるものがあれば捕まるはず。しかし、それを許してもらえない彼女の身長。 これは彼女のせいではない。昴はこれらを踏まえ、朝の寄り掛かりを甘んじて受けていたのだった。 そんな昴。テストの山が当たったおかげで赤点を免れた。久しぶりに部活の練習で汗を流した彼。彗と学校帰りの道を歩いていた。 「やったぜ。これで部活に専念できるしな」 「お前にはそれしかないもんな。じゃ、明日も朝練でな」 「おう」 そして翌朝。機嫌よく電車に乗った昴。空いていた電車内に、ポニーテールが乗ってきた。 ……ん?何でそっちに行くんだ。 いつも自分のそばにくる彼女。しかしこの日は避けるように窓側に立っていた。 ……気のせいか。 そしてやっぱり眠い昴。駅まで爆睡した。この日はたいして気にならなかったが、これは一週間続いた。 「はあ」 「なんだよ。彼女ならもう紹介できないよ」 「ちげえよ。ポニーテールだよ」 昴は彗に打ち明けた。 「小さい彼女か。なんだろう。お前が臭いとか」 「んなわけねえだろう。何だろ、気になるんだよな」 「あ?ここにいた……昴!ここでお昼食べてるんだ」 昼休みの屋上。同級生の女子が二人やってきた。 「一緒にいい?」 「別にいいけど」 「あのさ。昴の部活って、あれなに?どんなことすんの」 「あ?ええと、そうだな」 普段、同級生と思っている女子。しかし、隣に座り結構ぐいぐい来る感じ。実は昴は苦手である。これを知っている彗はさっと立ち上がった。 「昴。そういえば昼休、部室に来いって言われてたよな」 「あ?ああそうだった。悪いな」 不満そうな女子に詫びを入れた昴。いそいそと屋上を後にした。 「何だいきなり」 「あいつ、柔道部の男と別れたばっかりだよな。今度はお前にしたんじゃないのか」 「やだよ」 理想の女子と程遠い同級生女子。昴は避けるように過ごすようになっていた。 そんな苛立つ毎日。やはりポニーテールはそばに来ない。電車の昴は離れて乗る彼女を探すようになっていた。 この朝も昴は何気にポニーテールを見ていた。 ……ん?なんだ。 彼女はどこかそわそわしていた。昴は違和感を覚えた。 ……スマホでも床に落としたのか……いや違う。 ちらと見えた顔。泣きそうだった。彼は咄嗟に動いた。 「すいません。ちょっと通してください。はい、ごめんなさいよ……」 揺れる電車。その隙を突くように彼は人をかき分けた。ポニーテールのそばまできた。 「おい。大丈夫か」 「……その人が」 涙目の彼女。その背後にはトレンチコートを着たバーコード頭の中年親父が立っていた。 「痴漢か」 「はい」 「何だ君は」 親父の声。昴は怯まなかった。 「……っつうかおっさん。なんで服着てねえんだよ」 ここで声がした。 「あの。私、通報しましたから」 ちょっと離れていた会社員女性。スマホで操作していた。これを聞いた昴は彼女を抱きしめた。 「いいから。窓の外みてろ。気にすんじゃねえ」 「はい」 めそめそしている彼女。昴はなぜか怒りを抑えて彼女を抱きしめていた。 そして降りたホーム。通報を受け、駅員が立っていた。 「このおっさんです。逮捕してください」 「被害者は君だね。こっちにきて事情を」 「冤罪だ。これは冤罪だ」 騒ぐ男。仕事で急ぐ駅員。そんな中、被害者の彼女は悲しく立っていた。昴は彼女を放って置けなかった。 「おい。お前、名前は」 「明日香です。山本明日香」 「明日香。俺の連絡先はこれだ。いつでも連絡よこせ。わかったな?」 「はい……うう」 妹がいる昴。こんな彼女を放って置けなかった。 まだ泣いている明日香。ここに先ほどの女子会社員がやってきた。 「大丈夫?私もあいつに痴漢されたことがあるから一緒に警察に行くわ。その方がいいでしょう?」 「はい」 「心強いっす」 そして会社員は昴に向かった。 「私はあの後。写真を撮ったから証拠になると思うわ。彼女のことは心配しないで。あなたは学校に行っていいわよ」 「そうですか」 「ええ。あなたも元気出して?かっこいい彼が守ってくれて、良かったわね」 二人が恋人と思っている会社員。明日香は恥ずかしそうにうなづいた。 こうして朝の痴漢事件は二人の距離をグッと近づけた。 放課後。連絡を取り合った二人。いつもの電車の駅で待ち合わせをした。 「で。どうだった」 「あのおじさんは前科ありでした」 「まあ、座れよ。ひでえな」 この駅は電車の車庫の駅。駅前のマンションの住人や鉄道関係の人しか降りない駅だったためこの時間はホームには誰もいなかった。 駅のベンチ。誰もいない離れのホーム。昴の隣にちょこんと座った明日香。ポニーテールが揺れていた。明日香は細々と話し出した。 「気分が悪いのか……」 「はい。でも……休めばきっと」 「寒くないのか」 「いえ。電車が暑かったから涼しい方が」 「そうか」 彼はそういってホームの先につかつかと歩いて行った。そして戻ってきた。 「レモンティーとアップルティーとお茶のどれがいい」 「アップルティー」 「わかった」 すると彼は買いこれを明日香にすっと渡し隣に座った。ありがとうと言った明日香は飲もうとしたが蓋がキツかった。 「キ、キツい」 「これが開かないのか?どらよこせ」 クシュと開けた彼ははい、と明日香にくれた。彼女はこれを飲んだ。 「はあ……私、アップルティーって初めて飲みました」 「割と即答だったけどな」 「だって美味しそうだったから」 彼はハハハと笑った。これを見て明日香は意を決した。 「すいません。朝の電車……」 「何が」 「いつもそばに立って。迷惑でしたよね」 お茶を飲んだ彼は遠くを見ながらふうと息を吐いた。 「別に迷惑じゃねえけど。何だろうとは思ってた」 「すいません」 俯く明日香。昴は足を組み直した。 「最初はたまたまかと思っていたんだけど。毎朝、お前が俺目掛けて乗ってくるんでちょっと怖かった」 「本当にすいません」 「理由は何だったんだ?」 明日香は不思議顔の彼に本音をこぼした。 「痴漢対策です。でもあなただけは、絶対しないと思ったので、それで」 「俺は痴漢よけのボディーガードだったのか……」 全くの想定外の昴。ショックでベンチの背にもたれた。明日香は慌てた。 「そうじゃないです!?あなたは絶対チカンしないから安心するというか、その、信頼できる人っていうか」 「……もうわかった。で、どうしてそれをやめたんだよ。他の男を見つけたのか」 「違います!!そんな人いません!」 ここで電車が通過して行った。 「……あなたの学校の女子さんにストーカーだって言われて。だから私」 「あいつら?マジかよ……」 明日香が説明する女子の特徴。最近ぐいぐいきてる同級生と昴は思った。 ……それで俺を避けていたのか。臭いせいじゃねえのか。 ほっとした昴。こんな彼に明日香は再度謝った。 「本当にごめんなさい!私、自分の事ばかりで……でも、もうしないですから」 「……いいよ。もう」 「あの」 彼は恥ずかしそうに腕を組んだ。 「あのな。俺は嫌とは言ってない……俺と乗りたければ乗ればいいさ」 「でも。彼女さんに」 「そんなのいない」 「でも同じ学校に。昴さんのファンが」 「あれは女の顔をした男だ。気にしないでくれ」 「……いいんですか?毎朝一緒に乗っても?そばに居てもいいの?」 ……何だよ。可愛いじゃねえかよ。 「いいって言ってんだ。そうしろよ」 恥ずかしさを誤魔化す昴。すっと立ち上がった。明日香は立ち上がり頭を下げた。 「はい、よろしくお願いします」 「ああ、よろしく」 ……明日香。ここよ! 彼女は勇気を出して握手を求めた。昴はしっかり握ってくれた。顔を真っ赤にした。これを見た明日香まで恥ずかしくなってしまった。 「さてと、帰るか。顔色が良くなったみたいだし。家まで送るから」 「……本当にいいんですか」 「ああ。そばに居てやるよ」 彼は明日香を立たせると鞄を持ってくれた。そして優しく電車にエスコートしてくれた。 揺れる電車の車窓には、彼がそばにいてくれるのが映っていた。 夜の電車は帰宅者の疲れた顔が多かったが、二人だけは駅一つの恋の旅を寄り添うように微笑んでいたのだった。 9話へつづく
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