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10 勝手にボディガード
そして、四年後。
◇◇◇
「ではミーテンングを行う。コーチから報告してくれ」
「はい」
前に出た彼はスクリーンを使用して説明を始めた。
「先月から始めた練習メニューについてです。選手のみんなも知っている通り、このカバディというスポーツはインド発祥のスポーツ。他国も始めたばかりの競技で、まだ練習や試合内容も手探りというか、わが日本でも未知数のスポーツです」
日本代表のカバディ選手たちは、またか、という顔で話を聞いていた。
「しかし。今回、国立スポーツセンターから来た博士は、世界でも数名しかいないカバディ専門の研究者です。そんな博士は、我々一人一人の体力や、試合時の様子を分析し、みんなに練習メニューを渡したと思うが、感想を言ってくれ」
これについて選手が手を挙げた。
「はい。自分も博士のアドバイスで。筋トレを見直して、食事も言う通りにしています。体重は変わらないんですけど、体が軽い感じっす」
「他にはないか」
これに選手が手を挙げた。
「自分は試合前に緊張するんで。それを相談したんです。そしたら瞑想を教えてもらって。すごくリラックスできてます」
この話。監督もコーチもうなづいていた。
「じゃ、次、行くぞ」
ここで彼が手を挙げた。
「すんません。あの……俺って、その博士のアドバイスって。まだ全然ないんですけど……」
会議室はシーンとなった。監督は一拍入れて、彼を見た。
「ああ。お前はいいんだ。次、行くぞ」
「はあ?」
昴の言葉は無視された。彼は腕を大きく広げて抗議した。
「何だよ?みんな、その博士からマンツーマンで指導を受けたって。俺だけ無いってどうしてだよ!」
これになぜか目線を逸らす選手仲間。どこか笑いを抑えていた。ここで一人ぷんぷん怒る昴。監督はまあまあと彼を制した。
「何を言う昴よ?お前にはちゃんと書面で渡しただろう」
「あんな百科事典みたいな奴で?この俺がわかるわけないだろうが!」
ドッと笑いが出た会議室。するとコーチの彗が優しい目で彼を見つめた。
「昴。わかったから!それはあとで。監督、では次の試合の話にしますね」
むすとしたままの昴。腕を組みながら彗の作戦を聞いていた。
「……以上が博士が見抜いた相手の弱点です。これの対策について、博士が各自の練習メニューを作ってくれたので、それをやっていこう」
「よし。今日は以上だ。解散!」
ぞろぞろと会議室を後にする選手達。監督もコーチの彗も去ろうとしていた。
「おいおい……待て待て!そこの二人。これはどう言うことなんだよ」
日本代表エースの昴。監督は大学の先輩、コーチは同級生。しかし自分だけ博士のアドバイスがない事。最近ようやくやっと気が付いた彼。親しい二人に怒りをぶつけた。
「だから。お前には書面で」
「ふざけんなって!あんなの読めるか」
監督の服を掴む昴。彼を睨み、それを離した。
「なんで俺だけ、何にもないんだよ……くそ」
ここで彗がため息で話した。
「……博士の意向なんだよ。それにだ。お前は天才だから、必要ないだろう」
「俺は負けたくないの!頼むよ。博士になんとか言ってくれよ……」
ここで顔を見合わせた二人。何か思った顔の監督は昴に言い放った。
「とにかく。相談してみるから。お前は庭を走ってこい」
「庭?」
「ああ、できるだけ遠くへ行け」
これに彗も倣った。
「そうだ。ずっと遠く、ここからなるべく向こうへ行け」
「くそ。覚えていろよ」
どこか意味深長に昴に指示した二人。関係者以外立ち入り禁止の部屋に入っていった。走って来いと言われた昴。玄関に向かう時、ここではたと気がついた。
……待てよ?この部屋って。みんなが面接した部屋じゃね?
日本代表の合宿をして半年。思えば自分は入ったことのない部屋。彗は普段から行き来しており、今日もここから出てきて、先程の作戦を話していた。
いつも『入るな、来るな、気にするな。』と言われていた部屋。その部屋の前で立ち止まった。
……いるのか?ここに。きっとそうだ!
昴は深呼吸をして、ドアをノックした。そして返事を待たずに入った。
「チース。って。あ、監督!」
テレビモニターとパソコンの小さな部屋。そこには驚き顔の監督と彗がいた。
「お前?とうとう入ってきたのか」
「ようやくか。俺はもう無理だと思ってたのに」
監督と彗の話。とにかく昴は怒っていた。
「お前ら。一体俺をなんだと思っているんだよ。して?その博士はどこだ」
「お待ち下さい……今、計算が終わるので」
パソコンの前に座っている女性。顔を覗き込むと、昴の知っている女性だった。
「明日香か?お前。こんなところで何をしてるんだよ」
「……大丈夫です。数字に問題はないので。選手の練習メニューは変更なしで」
「はい。じゃあな。昴」
「あ、ああ」
監督と彗は昴の肩に手をポンと置き、そして退室した。明日香は立ち上がった。
「昴さん。お久しぶりです。私のこと、覚えていてくれたんですね」
「当たり前だろ?っていうか。お前が博士だったのか」
「はい。どうぞ、お座り下さい」
ソファにふんぞり返った昴。明日香は冷蔵庫から飲み物を出してくれた。
「お尻の痛いはどうですか」
「なんでそんなことを知ってるんだよ」
「選手の体調はなんでも知ってます。はい。これ、どうぞ」
りんごの香りの飲み物。昴はこれを飲んだ。
「これって?チームの栄養ドリンクじゃねえか」
「そうです。成分はスポーツ飲料ですけど、配合は全然違います。私の思い出の味なんで、勝手にそれにしちゃいました」
しみじみ話す明日香。自分もひと口飲んだ。
「自分で作って言うのもあれなんですけど。これ、美味しいですよね。私も好きで飲んでるの」
「これって。お前が作ったドリンクだったの?すげえ」
代表に選ばれてすぐに飲んでいた昴。これに驚いた。
……こいつ。そんな前から俺のサポートしてたのかよ。
恥ずかしそうな明日香は対面のソファに座った。
「私。大学でスポーツ科学を専攻したんです。そこでカバディを選んだんだけど。オリンピックの種目になったでしょう?でも、世界でこれを研究している人なんて少ししかいないから。こうしてここで働いていたの」
話す明日香。昔よりも綺麗になっていた。小柄なのは相変わらず。化粧もしてないような綺麗な肌、クルクルした黒い瞳。桃色の唇。染まった頬。
清楚なシャツにパンツ姿。ふっくらした胸元、揺れるポニーテール。健康的な美しさの明日香。昴は思わず目を逸らした。
「で。俺だけ無視か」
「ごめんなさい!?そんなつもりじゃなかったんだけど」
彼女は必死に言葉を選んだ。
「私。昴さんに、アドバイスしようって何度も思ったんだけど。その、昴さんて、私の事、好きじゃなかったでしょう?」
「明日香」
昴が見つめると俯く彼女。昴には電車に乗っていた時の初々しい姿に見えた。
「私のこと。好きじゃないのに。一緒に電車に乗ってくれて。本当に、申し訳なかったと思ってるの。昴さん、本当は、もっとこう、背の高い、かっこいい女の子の彼女がよかったんだもんね」
悲しげな明日香。昴は息を呑んだ。
……こいつ。そんな風に思ってたのか。
目の前の女の子。シクシク泣き出した。
「だから。昴さん、私のアドバイスは、嫌じゃないかと思って。自信なかったの」
「……んな事ねえよ」
昴は立ち上がった。そして窓辺に向かった。
「明日香……俺さ、お前と別れて大学入って。まあ、彼女も作ろうと思ったけど。その、全部……ダメだった」
「全部?」
「ああ……全部だ」
明日香の言葉。昴は真顔でうなづいた。
「お前は知らなかったと思うが。俺が女の前で、素のままでいられたのはお前と妹だけなんだ」
「そうだったんですか」
彼は恥ずかしそうに頭をかいた。
「なんつうかその。どの子と付き合ってもよ……。気を使ってばっかで。お前との時みたいに、こう、会うのが楽しいっていうか。安心するっていうのがねえんだよ」
昴は明日香のそばに歩み寄った。座っていた明日香になぜか財布を取り出した。
「ほれ。まだ持ってるぞ」
「あの時のお守りですか?」
ボロッボロのお守り。受け取った明日香。昴はにっこり笑った。
「これ。手作りって誰かに言われてさ。怖くて中身も見ちまったし」
「『不撓不屈』です。私の字」
和紙に昴を思って書いた毛筆。昴はアハハと笑った。
「ああ。初めての彼女がくれたにしては、すげえ文字だよな?普通、もっとなんか違えだろうよ?」
はははと豪快に笑う昴。明日香はお守りを握りしめて、シクシク泣いた。そんな明日香の肩に昴は優しく手を置いた。
「なあ、明日香。俺さ。お前のこと、好きだったぜ」
「……ありがとうございます」
「って言うか。今でも好きだから」
「いい。無理しないで」
肩を震わせ泣く明日香。昴は背後から明日香を抱いた。
「あの時。駅で別れた時、お前の泣き顔、忘れらんねえんだよ」
「……昴さん」
「お前の事、抱きしめて。『好きだ』って。どうして言わなかったんだって。ずっと思ってた……ごめんな、明日香。だからさ。もう……泣くなよ」
それでも泣いている明日香。昴は立たせ、くるりと自分に向かせた。
「いいか?俺はお前のボディーガードなんだろう?」
「う、うん」
「でもよ。これからは、お前が俺を守れ!な?」
「……ふ?わけ、わかんないよ」
少し笑顔で泣き止んだ明日香。この時、昴は唇を奪った。二人の初めてのキスだった。
「いい子だ。明日香……好きだからな」
「はい……私も、好きです」
昴は抱きしめた。いつも電車でこうしてくっついて乗っていた二人。そして昴は明日香のおでこにキスをした。
「さあて……で?俺の練習メニューは?」
「その前にお尻を治さないと」
真面目な明日香。昴はコツンとおでこをくっつけた。そして彼女の手を取った。
「そこかよ?全く。なあ、明日香」
「ん?」
「マジでお前はその……お、俺の女だからな!」
「はい!」
頬を染める二人。手を繋いで窓の外を見ていた。その景色はあの時の空のように青く優しく輝いていた。
完
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