昭和十六年十二月七日

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昭和十六年十二月七日

   おはようございます!  今日は昭和十六年十二月七日。私は大和型戦艦一番艦『大和(やまと)』です。いま私は山口県の周防灘に来ています。今日は私にとって大切な日、初めて主砲の試験射撃を行う日なんです。うー、ドキドキします。  去年の八月八日に進水した私は、まだ艦体だけで、意識もはっきりしていませんでした。それが主砲とか艦橋とかを取り付けられていくうちに、おそらく乗っている人達から、知識を分け与えられたのでしょうね。次第に自分が何であるのかを、知っていったのです。そして――― ジャーン!  そう、私は日本海軍聯合艦隊(れんごうかんたい)が誇る、最新鋭で世界最大最強の戦艦なんです。凄いでしょう!…って、あ、ごめんなさい。私ったら、どうもお淑やかにするのが苦手で。建造されたばかりだから、つい調子に乗っちゃうんですよ。  私の全長は約二六三メートル、全幅は約三九メートルもあります。ね?…(おお)きいでしょう? 私を建造するためにわざわざ、(くれ)建造所の乾ドックを拡張してくれたんですよ。それなのに私の建造は極秘なもので、外から見られないように隠すのが大変なんだったとか。  たとえば船台の周りを、漁網なんかで使うシュロで作った、すだれで隠したんですけどね。それも極秘で、海軍がシュロをこっそり買い占めたもんだから、理由不明のまま市場にシュロが出回らなくなって価格が高騰、日本中が大騒ぎになったんですって。国民の皆さんごめんなさい。  そしてなんと言っても、私の一番の自慢が九門の主砲、四五口径四六サンチ砲です。こちらも世界最大、射程は最大で約四二キロまで届きます。でもそこまで飛ばすとなると水平線の向こうになるので、カタパルトから水上観測機を飛ばして支援してもらう事になりますが。  あっ、そろそろ主砲射撃の時間です。私に乗り込んでいる水兵さん達が、みんな忙しそうです。艦橋上部の測距儀が回ると、それに連動して三基の主砲塔も回ります。この主砲塔がまた凄く大きくて、駆逐艦一隻ぶんほども重くてですね、呉でしか作れないんですよ。  それで私はまぁ、地元の呉で建造されたからいいんですけど、長崎と横須賀で建造中の二隻の妹のところに、呉から主砲塔を届けなきゃなんないってことで、わざわざそれ用の『樫野(かしの)』って運搬艦が作られ―――あれっ!? ドーン…て、もう主砲撃っちゃった!!  
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