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昭和十七年十二月某日
おはようございます。『大和』です。昭和十七年も十二月に差し掛かり、あと少しとなりました。私のいるトラック泊地は真夏のままですが。
十一月十二日からガダルカナル島沖のソロモン海で起きた海戦で、『比叡』先輩と『霧島』先輩は帰らぬ艦となってしまわれました…
海戦を終えて戻って来られた、巡洋艦や駆逐艦の先輩方のお話を聞くと、大激戦だったようです。
海戦は夜戦が二回発生したそうで、第一夜戦は十二日の深夜から始まり、天候不良や索敵の不備、陣形の乱れから日米の艦隊が至近距離で出くわす、大混戦となったみたいですね。駆逐艦の『五月雨』先輩のお話では、探照灯と幾つもの吊光弾が闇の中に光って、何が何だか分からないうちに戦闘が始まったとか。
この探照灯を灯したのが『比叡』先輩だったらしく、米軍の巡洋艦と駆逐艦に手あたり次第に主砲弾を浴びせたんですけど、逆に集中攻撃を受ける事にもなって、大損害を受けて舵が利かなくなられたんです。
それで夜が明けると米軍の空襲が始まって、舵が利かないままの『比叡』先輩は攻撃を回避する事もままならず…
で、十四日は真夜中に、別個で出撃した巡洋艦部隊がガダルカナル島飛行場の砲撃に成功して、さらに十五日、生き残った『霧島』先輩が、再度飛行場砲撃に向かわれたんですが、今度は米軍は戦艦二隻を主力に待ち構えていたんです。
この時もまた大混戦になったようで、まず単艦で米軍艦隊に突撃された駆逐艦の『綾波』先輩が、自らを犠牲に敵重巡一、駆逐艦少なくとも五の撃沈または撃破という、大戦果を挙げられました。これに発奮されたのか、『霧島』先輩も敵戦艦と、堂々と撃ち合いをされたようです。
ただ一緒に砲撃戦を行われた、重巡の『愛宕』先輩が言われるには、敵の戦艦は見た事もない、新型だったらしいんですよ。それってたぶん私と同じ、軍縮条約明けに誕生した『ノースカロライナ型』だったんじゃないかと。つまり主砲は間違いなく四〇サンチ。この不利な状況でそれでも『霧島』先輩は、怯むことなく敵の戦艦一隻を、戦闘不能に陥れられました。
だけどもう一隻の戦艦が暗闇の中から、次々と正確な主砲射撃を浴びせて来て、『霧島』先輩は反撃も出来ずに…
おそらく電探射撃だと思いますが、そんな正確な射撃が出来るなんて、びっくりです。て言うか、やっぱり私が行くべきだったんじゃないかと思いませんか!?
『綾波』先輩。ただ一隻で敵部隊に突っ込み、獅子奮迅のご活躍だったとか…
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