10月

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10月

 美咲と離婚をして塞ぎ込んでいる僕に、友人が『車窓カーテン』なるものをプレゼントしてくれた。 「なんだ、これ?」と訝しむ僕に、友人が紙袋に入ったそれを突き出してくる。折り畳まれているそれは、カーテンと言うより家具転倒防止のジェルマットのようだった。 「俺の会社で今売り出そうとしている新製品。試供品をもらって来たんだけどさ、お前にやるよ」 「やるって……試供品だろ?」  いいよ別に、と友人が言う。 「俺んちの窓、サイズが合わないんだよ。お前んちのところならぴったりだからさ。この前来たとき気になってたんだよ、この微妙にサイズが合わないカーテン」  そう言って、窓を指差す。ベランダに続く窓のカーテンは昼間だと言うのにしっかりと閉じられている。遮光カーテンなのでしっかりと陽の光を遮ってくれている……のだが、その裾は短く、下からは陽の光が漏れてしまっていた。 「お前のことだから、サイズもろくに測らないで買ったんだろ」  笑う友人に「仕方ないだろ」と僕はすこしむくれた。「そんなところまで気が回らなかったんだよ」  離婚すると決まったとき、僕は家を出た。そうして住み始めたのがここだ。一人暮らし用のワンルーム。慌てて決めた物件だったが、この手狭な空間が気に入っていた。 「これならぴったりのはずだから。やるよ、これ」 「……ありがとう」  そう言うと友人は「おう」と言って、また笑った。  サイズぴったりと言うことは、わざわざ指定してもらったと言うことなのだろう。だが、それならさっきの「自分の家の窓のサイズに合わない」と言う発言に矛盾が生じる。僕の家のサイズにできるのなら、自分の家の窓の大きさに合わせればいいだけである。 「早速付けようぜ。これ、はずしてもいいよな?」 「ああ」  そんなわざとらしい言い訳を用意しながらも、これを持ってきてくれた友人に感謝しながら、二人でカーテンを付け替える。中にあるレースのカーテンはそのままに、遮光カーテンのみを付け替えた。丈は本当にぴったりだった。  紙袋に収まっていた時も、そしてこれを取り付ける時もそうだったが、見た目も手触りもジェルマットのように柔らかく、布の質感ではない。カーテン特有の折れ目はついていたが、それ以外はカーテンと呼べるようなところは何も見つからない。陽の光だって……。 「ああ、そういえば結局、これってなんなんだ?」 「まあ、見てみろって」  友人が「えーと、コンセントは」といって部屋を見渡す。コンセント? と不思議に思いながらも一番近い場所を教えると、友人はカーテンから伸びるプラグを手にとった。 「コードの長さは充分だな。ああ、言い忘れてたけどスイッチはここな。そんで、リモコンはこれ」 「スイッチ? リモコン? カーテンになんでそんなもんがあるんだよ。しかもコンセントって」  ぶつくさ言う僕に、友人が手元にあったスイッチをいれる。すると、視界の端にあったカーテンが一瞬にして消えた、ように見えた。  そしてカーテンがあった場所に広がっているのは。 「……海?」 「今は日本海側の景色を映してるからな」  目の前に寒々とした海が広がっている。風もなく穏やかなように見えたが、テトラポッドに当たった波が砕けて激しくしぶきを上げていた。遊泳客もサーファーいないようだ。海から視線を少し下の方にずらすと、レールと敷石が見える。しかもそれが左から右へと動いていた。  まるで電車から見ているような……。 「有機ELって知ってるか? テレビなんかでも使われてる薄ーいパネル」 「名前だけなら」と、景色に目を奪われながらぼんやりと答える。 「それをカーテン状に加工したのがこれってわけ。うちの会社と契約している鉄道会社の車両の景色をこうやって映すことができるんだ。日本全国、どこでも」 「まじか!」 「へへ、いい目になってきたな」 「え?」  鼻の下を掻きながら友人は僕を指差した。 「ようやく顔に生気が戻ってきた」 「そ、そうかな」 「ああ」  言われるまでもなく、僕自身、久しぶりに気分が高揚しているのを感じていた。ずっと暗く重かった気分が、今だけは子供のようにワクワクしている。 「お前、旅行とか好きだっただろ。景色だけでも、って思ってさ」 「嬉しい。まじで嬉しい」  学生の頃から旅行が好きだった。特に一人旅が好きで、結婚後もよくふらりと出て行くことを繰り返していた。  だが、最近は全くいけてない。外にも出れないのだ。 「電気代とかあんまかかんないし、一日つけても大丈夫だとおもう。音声はないけど、録画されてるのもあるから夜でも昼間の景色が見れたりできる。まあ、まだまだサンプルが少なくて、流石に去年の桜が見たいって言われても難しいけど、三ヶ月程度なら遡れると思う。今後の課題だな。観光地とかどんどん契約して行って、見れる景色を拡大していく予定。まあ期待していてくれよ。あ、あと、見続けて体調とかに不調を感じたら教えてな」  友人はそう言い残し、簡単な操作方法を説明すると。 「じゃあ、俺、帰るわ」 「え?」  来て早々、カーテンを付けただけでコーヒーも出していないのに。 「どうしても今日は休めなくてな。これから会社に行かなきゃいけないんだ」 「なんだ、有給とってきたわけじゃないのか」  今日は平日。普通のサラリーマンは出勤している時間だ。僕も、すこし前は仕事に出かけていたのだが、ここ最近はいけていない。精神的な理由から、長期の休みをもらっている。  友人に何度もお礼を言って見送る。部屋に戻ると、眼前に広がる海に心が震えた。まる寝台列車に乗っているような気分になってくる。カーテンの下に布団を敷いているので余計にそう思えた。 「えっと、他にはどんな景色があるのかな」  車窓カーテンの操作方法は至ってシンプルで、コンセントを入れればあとはスイッチを入れるだけで起動する。あとは手元のリモコンで見たい場所を指定するだけだ。〇〇県の××のような指定方法ではなく海や山、もしくは地域を選び、あとはザッピングしてお気に入りの場所を選ぶだけだ。 「そういえば、去年の今頃はどこに行ってたんだっけ?」  リモコンからスマホに持ち替え、アルバムを開く。日付から、ちょうど去年の今頃の写真を探した。 「そっか温泉めぐりしてたんだっけ」  写真は旅館や、周辺の景色を映していた。旅館の内風呂もあった。その写真はどれも無人で、僕の姿はない。僕が自撮りを嫌うためだ。  もちろん、妻の姿もない。  一緒に行っていれば、何か変わっただろうか。一緒に写真を撮っていれば。  そんなことを思うと、急に頭が重くなった。  吐き気がする。喉のあたりにこみ上げて来たものを飲み込む。胃に戻す。押し込む。また迫り上がってくる。押し流す。何度か繰り返す。  落ち着け。  落ち着け。  落ち着け。  深呼吸。  深呼吸。  深呼吸。  ………。  ………。  よし、OK。  スマホを投げ捨て、リモコンを手にとった。 「日帰りだったから近場が多かったけど、せっかくだしもうちょっと遠出してみようか」  地域の選択で普段はあまり行かない北の方を選ぶ。カーテンの画面が変わり、一面の雪景色になった。海の時と違いレールや敷石さえ見えないため外にいるような気分にもなってくる。  「そっか、世間はもう冬なんだよな」  思わずそう呟いてしまうほど、外に出ていない。いつからだろう。秋を感じた記憶はないので、夏頃からだろうか。カレンダーもテレビもほとんど見ていないので感覚がない。部屋の中でなんども見たDVDと本を読む。その繰り返しなので1日を感じないのだ。  今のご時世、ネットに繋がっていれば買えない物はない。生活用品も食料もすべて配達してもらっている。そのため生活に不便なことは何もなかった。 「雪、こっちは降ったのかな」  しばらく見惚れていると、画面に白が混じり出す。雪が降り出したのだ。まだまだ積もるのだろう。明日はまた違った景色になっているのだろうか。 「これはすごい」  僕は、どんどん車窓カーテンにのめり込んでいった。    全く外に出る気が起きないくらい、気に入った。
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