12月

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12月

 あんた、今年は帰ってくるの?  携帯の向こうで、母親の声がする。 「帰らない」  素っ気なくいうと、電話の声が少し大きくなった。 「あんた、それじゃ今年は一度も帰ってこないのかい?」 「そういうことになるね」 「なあ、大丈夫なのかい?」 「何が?」 「なんか、声が暗いよ」 「大丈夫だよ」 「でも」 「だから、大丈夫だって」  スマホを枕元から遠ざける。全く、せっかくいい気分だったのに台無しだ。  布団に寝転がりながら見る紅葉は素晴らしかった。過去の映像も見れるというので探してみたら、秋のものがあったのだ。渓谷に広がる紅葉の、日に日に色づく様子を観察していたのに。 「年末だけでも帰っておいでよ。おせち用意して待ってるから」 「いいよ、今年は」 「でも、今年、いろいろあっただろう。心配で」 「大丈夫だって、僕もう大人だよ」  ますますスマホを遠ざける。「あれ? 声が遠くなったけど」と母親の声を無視した。 「あんた、旅行好きだっただろ? こっちにくるついでに、いろいろみたらいいじゃない」 「見るもんなんかないよ」 「あ、じゃあ、お母さんと一緒にどこかに」 「今、そんな気分じゃないんだ」  遮るように言うと、電話の向こうの声が大人しくなった。 「それに今、車窓カーテンっていうものがあって、擬似旅行してる最中だから」 「車窓カーテン? なんだいそれ」  めんどくさい。そう思いながら説明する。景色をみながら適当な説明だったのだが、相槌が何度も聞こえてきた。 「それじゃあ、こっちの景色も見れるのかい?」 「さあ、見れるんじゃない。知らないけど」 「そうかい、Yちゃんは、そんな会社に勤めていたんだねえ」  そういえば車窓カーテンをくれた友人と母親は顔見知りだったことを思い出す。結婚式でお互い紹介したのだ。 「ねえ、Yちゃんの会社、なんて言うんだっけ」 「なんでそんなこと知りたいの? まだ販売されてないよ」 「いいから、お願い」  めんどくさい。そう思いながらも会社名を言う。 「ありがとう」 「じゃあ、もう切るから」 「もうかい? あ、今年はこっちに」 「帰らないって言ったでしょ」 「そうかい……じゃあせめて、もっとメールを返信して欲しいよ。お母さん、心配だよ」 「メール?」 「そう。何度も送ったけど、返事がなくて。だからこうやって電話したんだよ」  そういえば、もう長い間メールをみていない。ずっと車窓カーテンの景色を眺めてみた。仕事も休んでいる今、わざわざメールをみなければいけないことなんてないのですっかり忘れていた。 「ああ、そうね。見ることにするよ」 「お願いだよ。心配で心配で」 「じゃあ、バイバイ」  電話を切り、そして電源も落とした。最初からこうしておけばよかったのだ。 「……スマホ、解約したいなあ」  どうせももう必要ないし、でも、それをするには外に出なきゃなあ。  家にいながら、解約できないかな。料金を払わなければいいのかなあ。  紅葉に目を映す。スマホを投げた。ガンと音がして、僕の頭からスマホの存在が消えた。
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