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32話
「痛ッた……」
瞼を動かすと頭に響く。
ここはどこだ?
溶暗していた意識が浮上し、視界に像を結ぶ。
第一印象は荒廃した部屋。窓には羽目板が打ち付けられて薄暗い。
隅にクイーンサイズのベッドが鎮座し、コンクリ剥き出しの床には乱痴気騒ぎの名残りを留め、空き缶や空き瓶が転がっている。
鼻腔を突くアルコールの匂いに胃が収縮、吐き気を催す。続いて違和感に気付く。
身を捩って確かめれば、後ろ手に手錠をかけられていた。
「ようやっとお目覚めか、ねぼすけ」
野卑な声に顔を上げる。
綿がはみ出たソファーに股を開き、男がふんぞり返っていた。傍らに日本刀がおいてある。柄に双頭の獅子をあしらった、珍しいデザインだ。
ツーブロックに刈り込んだ黒髪、切れ上がった鳶色の瞳。年齢は二十代前半だろうか、若い獅子のような威風を従えている。
「んっ、む!?」
男がおもむろに腰を浮かせ歩み寄り、ピジョンの顎を掴んで口に指を突っ込む。
「かはっ、何す、やめ」
口の中を蹂躙される息苦しさに悶える。
構わず頬の内側の粘膜をこそぎ、唾液に塗れた指で歯茎の裏側と舌をまさぐる。
「げほげほっ」
「舌噛んどらんか心配したけどヘイキみたいやな」
漸く気が済んだと見え、無造作に顎を突き放す。
かきまわされた不快さにえずき、一通り咳き込んでから顔を上げ、ピジョンが訊く。
「お前、どっちだ」
ゴースト&ダークネスは双子だ。ならば目の前にいるのはそのどちらか。
ソファーに腰を沈めた男が嫌味ったらしく頬杖を付く。
「あててみィ。正解者にはええもんやる」
「ろくなもんじゃないだろ」
「十秒やったる」
「参加するって言ってないぞ」
「二択ならまぐれで当たる。おどれの悪運に賭けてみィ」
ゴースト&ダークネスの片割れが悠然と足を組み替え、重厚なブーツの爪先を揺らす。
「いーち、にーい、さーん、しーい……」
マイペースにカウントダウンする男を前傾姿勢で忌々しげに睨み返す。
落ち着け、俺。
目を瞑り深呼吸、平常心の回復と現状把握に努める。
ライフルは見当たらない。没収された?どうやらここはゴースト&ダークネスがねぐらにしている廃モーテルの一室らしい、失神中に運ばれてきたのだろうか。返す返すも死角への注意を疎かにした失態が悔やまれる。
「ごーお、ろーく、しーち」
そうだ、子どもたちは?
「きゅーゥ、じゅー」
ざっと見回したところ子どもたちの姿はない。麻袋も運び込まれてない。コイツらの名前なんてどうでもいい、子どもたちの居場所を聞け。
「時間切れやな」
「ノリ悪いなージブン」とぼやき、興ざめして足をおろす。開いた足の間に前のめり、男が名乗りを上げる。
「特別に教えたる。俺はゴースト、あっちが弟のダークじゃ。二人合わせてゴースト&ダークネスっちゅーダサい稼ぎ名で呼ばれとる」
ゴーストが親指の背でさした椅子にはダークが後ろ向きに跨り、返り血が付いたメリケンサックを嵌めたまま、酒をラッパ飲みしていた。
手錠が外れないかと手首を摩擦する傍ら、毅然と顎を引いて子供を拐かす外道に非難を飛ばす。
「ボトムの孤児院から子どもをさらっている悪党だな。他の犯行も全部お前たちの仕業か」
「せやで、今回みたいに大掛かりなんは初やけど。原則ダークと二人じゃ」
「報酬を山分けするのが惜しくなって仲間を殺したのか?」
「せやな、用済みやし」
「腐れ縁ははよ切らな」
ゴーストの独り言にダークが相槌を打ち、やんちゃな目配せを交わす。
堂々と開き直る双子に相対し、ピジョンの胸に沸々と怒りが滾る。
「なんでこんな事するんだ。子供を食い物にしてなんとも思わないのか」
「生きるにはカネがいる」
「遊ぶカネも欲しいしな」
「うまいもん食うにもええ女抱くにも」
「子供はええカネになるさかいに」
「製薬会社の献体に変態のペット、引く手あまたや」
「だからって」
「可哀想か?優しいな」
ソファーの背凭れに腕を回し、伸びをするライオンさながらふてぶてしく宣言するゴースト。
「ゴースト&ダークネスは他人様のことなんぞどうでもええ。いたいけなガキかて憎たらしい大人かて金に替えて地獄に落とすんが亡霊と暗黒の生計じゃ。かわいそかわいそするんは暇人のボランティアにまかせとけ、こちとら外道働きで荒稼ぎしてせいぜい面白おかしゅー暮らすねん」
「はらわたから腐ってる。兄弟で共食いしてろ」
ダークが腕を振り抜き、中身がまだ残る酒瓶を投擲。
咄嗟に突っ伏すピジョンの顔の横、壁に激突した酒瓶が爆ぜ、鋭利な破片が頬を切り裂く。
「!ッ、」
斜めに走った傷口から血が盛り上がり、モッズコートに点々と伝い落ちる。
「ナマ言うなや、捕まっとる分際で」
ダークは暴力を振るうことにまるで躊躇いがない。シャツの下で跳ね回る鼓動をひた隠し、もう一度聞く。
「子どもたちは無事なのか。まだ売ってないだろ、このモーテルにいるんだよな。頼む、顔を見せてくれ。みんな無事だってわかれば……」
「どないするん?助けるんか」
「怪我がないか知りたいだけだ。先生やシスター達も心配してる」
揶揄と嘲笑を浴びせられ、奥歯にぐっと力をこめる。
ゴースト&ダークネスが子ども達を丁重に扱うとは考えにくい。
今の自分と同じく、否、それ以上に酷い仕打ちを受けてないか不安が募り行く。
その時だ、かすかな嗚咽がどこからか流れてきたのは。
子供特有の甲高く水っぽい調子の声。
聴覚を研ぎ澄まし、息を殺して音の出所を探る。
答えはすぐわかった、壁の穴だ。
ピジョンがうずくまる部屋の隅、背中をもたせた壁の下方に穴があいている。
この声は……
「チェシャか、みんな無事か!?わかるかピジョンだよ、教会に居候してる……こないだシーツ干したろ」
「え……なんで」
返事をもらい、途方もない安堵が心を溶かす。
こみ上げる涙を瞬きで追い出し、穴へと這いずる。
「助けにきたんだ。皆は?」
「うん、みんなここにいる。ハリ―とシーハンも」
「怪我してない?」
「してる子もいる。袋の上からボコボコにされたの」
「なんだって……」
「たいしたことないよ、かすり傷。そういうのなれてるから」
目も眩むような怒り。
人でなしとは思ってたけど、そこまで腐っていたとは……助けてやるんじゃなかったと後悔する。
ピジョンの沈黙をなんと解釈したのか、チェシャが無理に笑ってとりなす。
「私たち人間のひとに嫌われてるから表を歩くと石投げられるとかしょっちゅうだし。うんと打たれ強いの、これ位へっちゃら。私だって教会来る前はひどかったもん」
一体どんな顔をしているのか、壁に遮られて見えない。チェシャの声が明るく弾む。
「神父様やシスターは?一緒?」
「…………」
「なんで黙るの?いるんでしょ」
「先生とシスターは外で待ってる、皆を助ける準備をしてるんだ。怖いだろうけどもうすこしだけ頑張って、俺もすぐ行くから」
「すぐ行くって……捕まってるんじゃないの、さっきすごい音したよ、バリンて。いじめられてる?」
「ちがうんだ、ちょっとドジ踏んで……心配しないで大丈夫だから、それにもし俺が捕まったって先生たちがいるから安心だよ、君たちの先生はすごい強いんだ、ケチな誘拐犯なんてたちまち懲らしめてくれる」
「だよね……」
「チェシャたちは縛られてるの」
「ううん、檻に閉じ込められてる」
「檻?」
「でっかいの。犬を入れるみたいな。2・3人に分かれて」
手が自由なら壁を殴り付けていたところだ。胸に広がるむかむかを押さえ、さらに聞く。
「近くに誰かいる?」
「シーハンとハリ―……ハリ―は寝てるわ、神経図太いのね」
「泣き疲れたんだよ、そっとしといて。シーハンと話せるかな」
少し間をおいて、か細い声が漏れ聞こえる。
「ピジョンさん……」
「大丈夫?どこも痛くない?怖かったろうね、でも安心して、すぐ終わるから。皆君たちを助ける為に一生懸命やってる、もうそこまで来てるんだ、すぐ孤児院に帰れるよ。一人も欠けずに……シスターたちがとっておきのスープを作って待ってるんだ、おかわり自由だって、よかったね。お腹いっぱいになったらぐっすり寝れる」
「妈妈に会いたい……」
「会えるさ」
「ヴィクは元気?」
「シスターたちと待ってる、君のことすごい心配してた。蛇いちご摘んでたんだろ?」
「うん」
「みんなで分けっこするなんて偉いね、俺なら独りじめしちゃうよ」
「今度とってあげるね」
「本当かい、嬉しいな」
手が使えないならせめて口先だけでも励まそうと、殊更に明るくおどけてみせる。シーハンの啜り泣きが再開、おずおずと聞いてくる。
「私たち売られちゃうの……?」
「まさか」
「痛いのやだ……先生ぇ……」
「諦めちゃだめだ、必ず助けにいくから」
動揺は伝染する。隣部屋から聞こえる嗚咽が大きくなる。
無力感を噛み締めて俯くピジョンをよそに、ゴースト&ダークネスがわざとらしく話しだす。
「出荷検査かったるィの~」
「せやかてリトルブラザー、変態はうるさいんじゃ。新品か中古かで穴の値段大違い」
「処女膜のあるなしよか抱き心地気にしィや」
「待てよ」
会話の理解を脳が拒む。双子の視線がピジョンに立ち返る。嗜虐の愉悦を潜めた二対の眸。後ろ手に食い込む手錠を鳴らし、膝立ちの姿勢で訴える。
「あの子たちに手を出すな」
「なんや?目の前でしてほしいんか?ええで~好きなの指名せい、股おっぴろげたるわ」
目と鼻先にしゃがみこんだダークがニヤ付く。
ピジョンは喉元までこみ上げた言葉を飲み込み、スワローをまね、せいぜいふてぶてしく笑ってみせる。
「小便臭い針穴を突付くだけじゃ退屈だろ」
「ほならお前がかまってくれんの」
ゴーストが正面に立ち塞がって聞き、ピジョンは伸びた前髪に表情を隠す。
ごめんスワロー。
俺がこれからすることを知ったら、きっと軽蔑する。でもこれ以外に方法が浮かばないんだ他にどうしたらいいかわからないんだ、俺が馬鹿でドジで間抜けなせいで全部おじゃんだ、ライフルを取り上げられて手錠噛まされて他にどうしたらコイツら足止めできるか本当にわからないんだよ、お前ならきっともっと上手くやるよな俺よりずっと要領よくて知恵が回るから
「どうせなら、俺と遊べよ」
ピジョンは、ふしだらに笑った。
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