37話

1/1
前へ
/44ページ
次へ

37話

「ご苦労。少し待っていてくれ」 「御意に」 待機を命じられたミュータントの運転手が恭しく一礼し、外套を纏った主を送り出す。 夜も更けた頃合い、錬鉄の門の向こうには静寂の帳が降りていた。 敷地に踏み込みまず気付いたのは轍の跡……彫りの深さから見てジープだろうか、縦横無尽に芝を荒らしている。 「これは酷い」 山高帽の下、横に切り込みが入った瞳が剣呑に細まる。 抉り取られた芝や轍は、詳細に検証するまでもなく賊の侵入を物語っていた。 キマイライーターが緊急の一報を受けたのは数刻前、アッパータウンの豪邸で愛妻と寛いでいた時だ。キマイライーターは新聞の一面で報じられる市議会議員の汚職を憂い、ルクレツィアはテレビのクッキング番組を見ていた。 使用人が取り次いだ電話の相手は長年懇意にしてる神父。 彼は久闊を叙するマナーも飛ばし、ひどく意気消沈した声音で子供たちがさらわれたと告げた。 キマイライーターはボトムの教会に多額の寄付をしており、最大の後援者といっていい存在だ。 不祥事が起きたらまず報告が入る立場である。 孤児たちが誘拐されたと知ったキマイライーターは、ルクレツィアに事情は伏せて現地に急行した。 愛妻への説明を省略したのはひとえに心優しい妻を悲しませたくないからだ。 あるいは夫以上に慈善活動に熱心なルクレツィアは、子供が惨たらしい目にあうのをなにより嫌い恐れている。 キマイライーターとて心は同じだ。無辜の子どもたちを害する存在に、もとより容赦などする気はない。 「先客がいるようじゃな」 半ばまで来て振り返れば、門の向こうにもう一台車が止まっていた。悪趣味の一語に尽きる、ド派手な黄色のアルファロメオだ。フロントのナンバープレート上に一対、蛇の装飾が施されている。 案の定、宿舎の方から騒々しい物音が聞こえてきた。何かが壊れる音に続く甲高い悲鳴は女性のものか。 ほどなく頭巾を被った修道女の一群が転がり出て、キマイライーターに縋り付く。 「ああ、キマイライーター様!ナイスタイミング、天が遣わされた救世主ですわ!」 「どうかお止めになってくださいまし、神父様が殺されてしまいます!」 「アレはきっとギャングですわ、破廉恥な髪色の無法者が突然殴りこんで神父様を張り倒して」 「部屋に鍵をかけて全く様子がわかりませんわ!」 「神父様が絶対近付くなって人払いなされて、わたくしたちどうしたらいいか……ただでさえ大変な時に」 「なるほど、よくわかった。君たちはここで待っていたまえ、私がいいというまで入ってはいけないよ」 「危ないですわ」 「だてに長くは生きておらんよ、喧嘩の仲裁はお手の物じゃ」 不安がるシスターたちを苦笑いで宥めて通りすぎざま、一際憔悴の激しいシスターが目に入る。 両側から支えられ、辛うじて立っているといった風情だ。 神父は言葉を濁していたが、そのたたずまいを見れば彼女の身に起きた出来事は予想できる。キマイライーターは立ち止まり、静かに名前を呼んだ。 「シスターゼシカ」 「は、はい」 「よく戦い抜いた。敬意を表する」 シスターゼシカが驚きに目を見張り、次いで震えながら俯く。 「……わたくし、何もできませんでした。子供たちを守れずされるがまま……連れていかせてしまいました……」 両手に顔を埋めて泣きじゃくるシスターゼシカに相対し、キマイライーターは厳しくも優しいまなざしを向ける。 「君は犠牲者(ヴィクテム)ではない。生存者(サバイバー)じゃ」 男性への恐怖を骨の髄まで刻み込まれたゼシカには決して触れず、どこまでも高潔な声と、包容力に富んだ眼差しだけで励ます。 「この世界では生き抜いた者が即ち勝者じゃ。君は残された子供たちを守り、助け、導いた。起きた事をしっかり我々に伝え、後を託してくれた。その勇気を貶めるのは許さんよ、務めを果たしたことを誇りたまえ」 キマイライーターは守るべき弱者としてではなく、身を汚されても穢れ得ぬ、不屈の精神を持った強者としてゼシカを遇した。 女性全般を重んじて立てる彼が、愛妻とならぶ特別な敬意を払ったことで、それまで耐えに耐え続けた感情の堰が決壊する。 「ッ……」 うなだれて立ち尽くすゼシカに背を向け、追い縋るシスターたちを制し、悠揚迫らぬ物腰であたりを払って宿舎に赴く。 何が起きているか大体予想が付いたが、実際この目で確かめるまで結論を急ぐのは差し控えた。 物音はどんどん大きくうるさくなる。誰かが激しく言い争っている……否、一方的に怒鳴っているようだ。 「入るぞい」 エチケットとしてノックをしたあとにノブを捻るが、やはり開かない。 ドアの向こうで中国語の恫喝が炸裂する。轟音と共にドアが撓んで破砕され、隙間ができた。隙間から覗いたところ、ラトルスネイクが神父に馬乗りになっている。神父の表情はよく見えないが、殴る蹴るされて既にボロボロだ。 『该死、见鬼去吧』 ラトルスネイクが神父に拳銃を突き付けて喚く。 神父が力なく首を振る。 銃口でくり返し小突かれても無抵抗のまま、四肢をぐったり投げ出していた。 『以后打算怎样?』 「副音声忘れてますよ」 ラトルスネイクが銃で殴り付ける。横っ面を張られ、神父が鼻血を出す。 「だからわかりませんって中国語は。あなたの悪い癖ですよ、頭に血が上るとすぐ」 「じゃあこの場に似合いの聖書のフレーズ言ってみろよ。好きだろ、ヤッてる最中に口走って萎えさすの。汝姦淫するなかれ?黙れアホが」 「落ち着いて、と言っても無駄ですね」 胸ぐらを締め上げられたまま低く笑い、噎せる。 ラトルスネイクは瞬きをしない。 黄色のサングラスの向こうで、インペリアルトパーズの目が憤怒にぎらぎら光っている。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

138人が本棚に入れています
本棚に追加